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ランニングクリニックに参加して想う「走る」ということについて

前書き

超私的な内容だし、かっこう悪い話だし、「ランニングクリニック」の良い宣伝にもならなさそうな内容なので、SNSとかnoteに書くつもりはなかったんだけど、なんか、今のこの気持ちを忘れたらダメな気がして、備忘録という意味と、今回の出来事というかこの気持ちを昇華したかったので、つらつら書きました。乱文駄文にて失礼。

序文

「ランニングクリニック」に参加してきた。

このイベントは、ドイツに本社を置く世界的な義肢装具メーカーのオットーボック社が主催するイベントで、義足ユーザーを対象にスポーツ用義足を使って「走る」ことができるように指導してくれる講習会。
約2日間、みっちりと「走る」ためのトレーニングが行われます。

講師陣

講師として、パラリンピック金メダリストのハインリッヒ・ポポフ氏と、同じくメダリストの山本篤選手、東京パラ代表でアジア記録保持者の兎澤朋美選手の豪華メンバーが参加。世界トップの義足のアスリートが「走り方」を徹底的に指導してくれるというものだ。

10月13日、クリニック前日のオリエンテーションでは、会場となる東京大学駒場キャンパスに全国から11名の下肢切断者が集まった。

クリニックの概要説明や注意事項などが終わると、参加者それぞれが自己紹介をし、このクリニックに参加した動機、走ることへの思いなどを語った。‌

私は、子供の頃は走るのが得意で、運動会ではリレーの選手。家でゲームというよりも外で走り回っているのが好きな少年だった。

しかし、12歳で左脚大腿の半分から下を切断した後は、走ることを諦めた。というか、走れないことを受け入れたという方が感覚的には近いかもしれない。

医者かリハビリの先生か忘れたけど、誰かに「断端(残った脚の部分)が短すぎるから走るのは無理」って言われたことがずっと頭に残ってて、そういうものかと思っていた。

それから30年以上が経ち、この「ランニングクリニック」の存在を知った。

実際に受講した友人に話を聞き、
「もしかしたら自分もまた走れるかもしれない。」
「あの頃は無理だと言われたけど、時代も変わったし、もしかしたら、、、」
そんな期待を持って、応募した。

ゴルフ仲間の山本篤くんが講師って言うのも背中を押してくれたのかもしれない。

倍率の高いこのクリニックに参加できると決まってからは、今まで考えてもみなかった自分が「走る」ことが現実味を持ち、走れるようになった自分を想像し、期待は膨らむばかりだった。

初日

クリニック本番は、まず日常用の義足からスポーツ用義足に付け替え、調整するところから始まる。

初めてつけた板バネの感覚は、日常用とはまったく違い、とても頼りなく、不思議な感じがした。

まずはストレッチから始まり、続いて、まっすぐ脚を振ること、きちんと手を振ることなど基礎的なトレーニング。

午後からは、早速、走り方へ入っていく。
早歩きから軽く跳ねるように前へ進み、徐々に本格的に走り始める。

この辺りから、「あれ?ちょっとまずいぞ」と感じ始めた。まず、私一人だけ、何度も何度も転ぶ。他の人は全然転ばない。

そして、早歩きの練習くらいからどんどん遅れをとるようになり、軽いジョギングのような跳ねるように進む段階で、完全についていけなくなった。

見かねた山本くんが、私だけ別メニューでマンツーマンで指導してくれたのだが、なかなか思ったように体が動いてくれず、どんどん焦ってくる。転んだ時に傷ついた膝もジンジンしている。次第に体力も削られ、うまくいかない苛立ちも合わさって、絶望的な気持ちになってくる。
心が折れそうだ。

山本篤さんと別メニュー。ポポフも心配してみにくる。

何度も挫けそうになる私に、スタッフや参加者が、声をかけ鼓舞してくれる。
その声に応えたいと思うのだけど、できない。

そして日が暮れて、終了。

前日まであった「走れるかもしれない」が、「やっぱり走れないかもしれない」に変わった。

終わってからも、家に帰ってからも、ずっと頭の中は、走れなかったことでいっぱいだ。

「なんで自分だけ走れないんだろう?」
「明日中に走れる気がしない」
「そういえば、オリエンで、このクリニックで走れなかった人は誰一人いませんって言ってたな。自分が最初に走れない人になるのか?やばいな」
「転んで体中痛いし、足が痛いって言って、明日、行くのやめようかな?」

翌朝、とても憂鬱な気持ちで、また会場の東大駒場キャンパスに向かった。

2日目(最終日)

2日目は生憎の雨で、グラウンドではなく体育館でのトレーニングだった。

「秋山さんがどうしたら走れるか寝ずに考えてきました!」と言って山本くんが義足の調整をしてくれた。

山本くんのおかげで、前日より全然動きやすく、何か上手くいきそうな気がしてきた。

そして2日目、最終日のトレーニングがスタートする。

前日からさらにレベルは上がり、みんなは走ることからより綺麗に速く走れる訓練に移行していく。
そして当然、私はついていけず、途中から別メニュー。

みんなは驚くほど早く上達し、どんどん綺麗にそして速く走れるようになっていく。

一方、私は全く走れない。少し跳ねるように前に進むも、10mも進めない。

健脚(義足じゃない方の足)が、走ることにブレーキをかけてしまう。

長年、安全に歩くことが体に染みついてしまって、走ることを拒絶してしまい、健脚が邪魔をしてしまう。

動かそうと思っても、動かない。

山本くんは、つきっきりで指導してくれる。

下を向く自分に、ポポフも兎澤さんも、「大丈夫、できてる、もう少し!」と鼓舞してくれる。

なんとしても走りたい。そして、講師の皆さん、特に山本くんの私を「走れせたい」と言う気持ちにも応えたい。

だけど、無常にも時間はどんどん過ぎていく。

クリニックの最後は、2チームに分かれてリレー対決が行われた。

私はその時点で走れてないので、もちろんそこには加われない。横で、リレーするみんなを見てるしかなかった。

リレーは勝った負けた、もう一回勝負だと大盛り上がり。
それをただ見ているしかできない自分がいる。

学生時代、体育の授業をずっと見学していた時のことを思い出した。

ドラマとかなら、ここから奇跡の踏ん張りを見せて、走れるようになり、講師のみんなや受講生と一緒に泣いて喜ぶんだろうけど、現実はそんなに甘くなかった。

タイムアップ。

走れなかった現実が目の前にどんと現れる。そして、悔しさと情けなさと申し訳なさの入り混じったなんともいえない感情が湧き上がる。

込み上げてくるものをぐっとこらえ、なんとか笑顔を作って、記念撮影を終えた。

修了式

講師から「おめでとう」と言われ、良い成果を修められたこと証明すると書かれた修了証を渡される。

参加者一人ひとりが感想を述べる。

皆、晴れ晴れとした表情で、いかに充実したクリニックだったか、目標を達成した喜びなどを語っている。

皆、とても格好よくキラキラしていた。

そして自分の番。

ポポフから「Congratulation」との言葉とともに修了証をもらう。

おめでとう? 複雑な気持ちだ。

マイクを持ち、お礼とともに、今回のクリニックを振り返り話し始めたら、どんどん悔しさ、情けなさ、申し訳なさが込み上げてきて、堪えきれなくなった。

アラフィフのおっさんが、悔し泣き。カッコ悪い。

だけど、みんな、本当に優しくて、次々と励ましの声をかけてくれた。

ありがとう。

兎澤さんも自分のことのように悔しがってくれたし、ポポフも最後に、チャレンジしたことを誇りに思えと言うような話をしてくれた。

優しい人たちばかりだ。

こうして、私の「ランニングクリニック」は終わった。

結果はもちろん残念だったけど、こんなに悔しく情けなく悲しい気持ちになったことに、驚く自分もいた。

自分に言い訳はいくらでもできる。
やっぱり断端が短過ぎたから無理だったとか、他の誰よりも義足歴が長く、時間が経ち過ぎてしまったとか。
だから、そんなに悔しがることはないだろう。

でも、そんなの関係なく、ただただ悔しい。泣くほど悔しかった。

なぜなのか。

「走れないことを受け入れてた」と思ってたけど、実は本当は、ずっとずっと走りたかったのかもしれない。

もう一度走りたいって、心の奥底ではずっと思ってのかもしれない。

だから「走れるかも」って思った時の期待がとても高くなってしまった。

今回、走れなかったことで、もう走るのを諦めるのかというと、なぜかそんな気持ちになれない。

あれだけ打ちのめされたのに、不思議なものだ。

次回のクリニックも応募するだろうし、別で走るトレーニングができるならやってみたいと思う。

走れなくても、今の人生が大きく変わるわけでもないのに、なんで、走りたいんだろうか。不思議だね。

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