致命傷への特効薬
2月、大阪での大木先生のサイン会以降、仕事が原因でかなりメンタルが沈んでいる。
まぁ、これまでも定期的に訪れるバイオリズムの一つではあるのだが、本当に家でひたすら悶々とする日々。
こういう時に必ずと言っていいほど思い出すことがある。
『(辛いことがあっても)時間がお薬だから』
ゴリパラ見聞録のハードキッズならお分かりだろうが、かなり昔の旅の一献で訪れた女将さんに斎藤さんが言われた言葉。
時間が経てば、それなりに気持ちも持ち直してくるもんで、落ち込んだ時はよくこの言葉がふと浮かんでくる。
家では大抵ニュース見てるか、ゴリパラ見るか、水曜どうでしょう見るか、がほぼお決まりのルーティーンの中、こういう精神状態だとゴリパラが一番沁みる。水曜どうでしょうは僅かでも精神的に余裕があるから笑えるんだと最近思うようになった。
※ノートのタイトルもゴリパラのキャッチフレーズをキッズが考えるという企画の中で出たもの。マジで今の自分にとってのゴリパラのど真ん中を射抜いているので、勝手ながら拝借致しました。ご了承下さい。
初めて見た時から約10年分の放送の99%を録画しているけど、コロナ禍辺りからの放送をずーーーーっと毎日振り返りながら見ていた。いや、今もまだ見ている。
ゴリパラはいろんなことを教えてくれる。
(番組が)変わらずに変わり続けることの大変さと大切さ
良くも悪くも人の根本はそう簡単に変わらないということ
そして何よりもゴリパラの3人がシンプルに仲が良いことにちょっとだけリアルに嫉妬している。
だいたい隔週で日本全国旅をしながら15年目。よほどのことがなければ、飽きてるところだろう。もちろん3人が随所で芸人というスイッチを入れているところもあるかもしれない。それでも3人の距離感が変わらずに、むしろ年をとるにつれて更に近づいていると思うくらいの仲の良さは心底羨ましいと思う。加えて、ゴリさんも時々嫉妬するように、パラ部2人の仲の良さもおじさん目線から見ても羨ましいと感じる。ゴリさんの2人への嫉妬はずっとゴリパラを見てると最も共感するところの一つかもしれない。時折見せるパラ部の「芸人コンビ」としてより根っこにある「同級生の友達」感は大人としてカッコよくて、青春を感じさせる。
あれだけペーパードライバーだった矢野さん。昔はトミさんでさえ、積極的に運転しないことに不満を漏らしていたのに、今じゃ矢野さんが(オンエア上かもしれないが)旅の全部を運転していることもある。番組のフォーマットをほぼ変えない中、昔からゴリパラを見てるといろんなことが変わった。
運転以外にも矢野さんの変化はゴリパラが変わらずに変わり続けることを象徴するところだと思うし、その一方で矢野さんだけじゃなく、3人が共に人間性の螺旋をぐるぐる回って結局元の位置に戻ってしまったり(欲しがり、酒の失敗、泣き喚き、わがまま、成功への嫉妬、など)、結局人間って、心を入れ替えるなんて難しいんだなと、至極当たり前のこともゴリパラは教えてくれる。まさに経典。
そんな3人を見てると、「ゴリパラの3人がこんなんなんだもん。なんか、そんなに無理しなくてもいいんだなぁ」とか思えてくる。それでも、明日からそれができりゃ苦労しねえよなぁというのが生きるってことなんだよな、ともゴリパラを見てると強く思う。
阿部ちゃんからの手紙であった「ゴリパラで人生変わりました、と言われます。」自分もそんなキッズの一人です。ゴリパラ見聞録は面白いバラエティの枠を超えて、癒しでもあり、自分の人生の一部にもなっている。
フジテレビの戸渡さんが言ってたようにゴリパラは60歳まで続けて欲しい。篠栗お遍路の納経帳が誰かの棺桶に入れられる日はいつかやって来るだろうけど、その時はキッズみんなの前で入れてもらいたいと思う。
永遠のマンネリでも構わない。3人とトミさんがずっと旅をしてくれてたら、それでいい。