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ある転職の思い出

卒業して最初に就職した会社から数えて、今現在で9社目の会社に
勤めている。
転職の回数が多いのは自分が飽き性だからではない。最初の会社
には7年、次の会社には12年勤めた。ともに日本の企業であった。
3社目の会社は米国企業の日本支社でこの会社にも長く勤めたいと
思っていたのだが、4年目に他の会社に吸収合併された。
技術者以外は皆、買収されたその日付で即日クビになった。
外資系の吸収合併とはそういうことを伴う。

会社事由とはいえ、初めての解雇で戸惑った。不慣れな再就職活動
の末、5か月間、無職状態を続け、結局は昔の会社の上司が転職した
会社に雇ってもらうことができた。

一安心したかったのだが、その会社は純粋な日本企業であり、特に
英語力も必要としない会社で給料レベルは前職、前々職に比べても
かなり低いものであった。
ただ、自分では、会社都合で前職を去らざるを得なかったのであり、
いつか必ず前と同じような給与レベルの会社に戻れるのだ、と科学的
な根拠もないまま、そう強く信じながら仕事をした。

当時、上の娘が私立大学に入ったばかり、下の娘は中学の2年生で、
これも私立であったため、毎月の教育費もかなりかかり、生活はすぐ
に窮地に陥った。

毎月給料日の翌日に、公共料金や各種保険、家のローンの引き落とし
などがあり、給料日から2日後には、前月の貯蓄額よりマイナス20万円
の額となった。支出に対して収入がそれだけ低かったことになる。
衣食住を徹底的に切り詰めるしか思いつかなかった。

毎月20万円ずつ通帳の額が減っていき、6月と12月だけはボーナス
があるため、減額は一時的にストップするが、またその翌月から
マイナス20万円が始まる。当時使っていた銀行は、貯蓄額が0を
割っても、定期預金額の90%の額までマイナスにできることと
なっていたが、その限度額を超えるのも時間の問題であった。

マイナスが限度額を超えると公共料金の引き落としが出来ず、電気、
ガス、水道、電話が止まってしまう。。 子供をかかえてこのような
恐怖を味わうことは辛いことであった。
風呂で湯舟に浸かっているときに、この浴槽一杯の湯を沸かすのに
いったいいくらかかっているのだろう、明日は風呂に入れるのだろ
うか、いつかは入れない日が来るのではないか、などと考えた。

上の娘が夏休みに1か月間のイギリス留学に行きたいと言ってきた
ときは、それまで貯めたフライトマイレージで往復の航空券をゲットし、
なんとか乗り切った。
また、親に電話をして金を借りたり、断腸の思いで子供の学資保険を
解約したりして、何とか生活をつないだ。

ある日、引き出しにしまってあった、「金(Gold)50g」を見つけた。
聞けば家内が結婚の際に、何か困ることがあったときのためにと家族
が持たせてくれたものだそう。
。。これも現金に換えた。金買取りの店で自動計算で機械から無機質
にパラパラと良い音をたてて出てきた一万円札の束をもって、そのまま
どこにも立ち寄らずまっすぐ銀行に行きATMに入れた。その分だけ
マイナスが減ったが、プラスに転じはしなかった。

虚しかった。 ただ、電気、ガス、水道が止まる日は少しだけ遠退いた。
必ず元のような生活に戻れると信じながらも、精神的な限界が来る方
が先かもしれない。。 毎日張り詰めたような不安の中にいた。

そんな生活が1年以上経過したある日、奇跡のようなことが起こった。
ある外資系の会社が営業マンを探しており、SNSを使って私にたどり
ついてくれた。直接の勧誘のemailが来たのだ。半信半疑ながらも電話
と対面で面接をし、結果、その時の倍以上の給与額で雇われることと
なった。このあと何度か転職をするが、この時の転職だけは、神様が
助けてくれたものと思っている。

その会社に入って、2か月で貯金通帳の額はマイナス額からプラスへ
と代わった。

プラスに代わったあとで家内と買い物に出かけた。
食料品などを買った後、家内がまだ他に買いたいものがあると言う
ので、ついて行った。

家内が買ったものは園芸用の「土」だった。
10kgで1,000円程度のものであっただろうか。

「そうか、こんなものが買いたかったんだな」

「食」、「住」の他に一切金が使えなったつい先日までの生活。
爪の先に火をともす、というのはこういうことを言うのかと実感した。
そんな生活の中では、花を育てるための土を買うなんて出来なかった。
いや、衣食住に最低限必要なもの以外のものを買うなんて思いつき
もしなかった。

今、ここに花も育てられる生活が戻ってきたことをしみじみと感じた。
またこの前までの生活を一緒に乗り切ってくれた家内へも感謝した。

その会社も3年後には会社都合でまた辞める羽目になり、そんなこと
を繰り返しながら今に至っている。あの時の経験から、職を失って
も慌てないことにしている。幸い子供たちも社会人になっている。
今振り返れば他にもいろいろなことが出来たはずだ、などと思った
りもするが、当時直面していた問題は当時にしか分からない。

あとは、あの時売り払ってしまった「金」を買い戻して家内に渡す
ために働いている。金の価格は当時の4倍程度になっていて、相当
きついのだが。
信じているので何とかなるだろうと思っている。


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