Aさんへの手紙
私もつい最近、失恋しました。
失恋の色が何色なのかはわからないけど、仕事中に突然人前で勝手に涙が頬を伝ったり、大勢の前で話しているときに、次の話の展開を考える頭のなかに突然その人との想い出が浮かんできて、まるで予期せぬ心の動きに驚かされたりしました。
気分はもう、真っ暗なブルーです。
これが自傷(自分を傷つけることで傷みから逃れる手段)なのかわからないけど、それ以来、めったに行かない繁華街に頻繁に通い、お酒を飲み続けました。とはいえ大勢の人に講義をする仕事柄、朝まで飲んで酔いつぶれることもできず、度胸もなく、ちゃんと家に帰って、数時間でも寝て、翌日にはきちんと講義をする自分が、どうにもうら悲しかったです。自分をすごくちっぽけに感じました。
2週間ほどそんな日が続きましたが、徐々に心が癒えてきたのか、繁華街に行く回数も減り、独りぼーっとしている時間にも、あれほど流れていた涙が落ちなくなってきました。
思うに、相手のことが好きであればあったほど、即効性のある自傷なんて無いような気がします。
ただ私の場合、いくつかのできごとのお陰で傷が癒えてきている気がするので、長くなって申し訳なですが、書いてみます。
失恋した最初の夜、片思いのまま終わり、結ばれることのなかった初恋の人と結ばれる夢が現れました。失恋したばかりの筈なのに、胸が熱く、満たされた気持ちになったのです。
目が覚めたとき、心の企みに気づいた私は、「あー人間の心はなんて上手に自分を守ろうとしているんだろう」と感心すると同時に、自分の心がどれほど傷ついているのかを改めて知りました。でもそれを知ることができたのはよかったと思います。
その次の夜、音のない部屋に耐えられずテレビをつけてみたら、百人一首に関する番組をやっていました。
「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」清原元輔
1000年前から、人の悩みなんて、なにも変わってはいないのだと思い出すことができて、少し楽になったような気がします。そう、人の悩みなんて、太古の昔から、なーんにも変わっちゃぁいないのです。
そして繁華街で飲み続けた夜、立ち飲みバーのカウンターの向こう側にいる若い女の子たちと話すことで、「自分の傷なんて、所詮他人には他人事だよな」と認識することで、多少の空しさを感じはしますが、徐々に楽になれたと思います。
まぁ中には「自分の苦しみを理解できない世間を逆恨みする人」が居るのも間違いないのですが、どうにも私はそんな風に自分を癒すことができないので、自分の傷みは自分でどうにかするしかありません。
別れを持ち出されるということは、自分が至らない部分があるからだと思ってしまうタイプの私は、人に相手の愚痴を言える柄ではないですし、こんなおじさんが失恋話をしても、若い子たちは軽く愛想を振りまいてくれるだけに違いないのですが、それでも独り自分の部屋に籠っているよりも、少しだけでも胸の中の傷みを吐き出すことができる場があったことは、とても有難かったのです。
そして今回のAさんのお話です。
AさんをTwitterでフォローし始めたのが何年前だったかは覚えていませんが、CめいさんやAさんのような雰囲気のある方が、まだTwitterにあまり登場していないころからですので、もう何年かは経つと思います。
ずっとAさんの写真にはいろんな感情を揺さぶられてきました。他の女性の写真からは感じることのない世界感がAさんにはあります。そのAさんですら、失恋をする・・・まぁ人間だから当然のことだし、私が勝手にAさんの写真の中に自分の感情を投影させているだけで、実際にはAさんのことは全くといっていいほど存じ上げないし、いわば私にとってAさんはアイドル化している存在なのですが、その人が紡いだ失恋の言葉に共感することができたことで、ずいぶんと楽になれた気がします。勝手な話で申し訳ないですが。
とはいえ、まだ私の傷みも続いています。
なにかの折に、ふっと蘇ってくるのだろうと感じてもいます。
でもそれはたぶん、それほど自分がその人のことを大切に思うことができた証なので、仕方ないのです。