
愛と恋の違いを説明できますか?
マルチメディア論を教える授業で、
ある程度講義が進んだ段階で学生に
この質問を投げかけることがある。
「愛と恋の違いを説明できますか?」
大抵の学生は少し考えたあとに、
「わかりません」または「愛のほうが深い」
なんて答えを返してくる。
「もちろん、人によって様々な考え方がありますが・・・」
そう前置きをして、ワシは続ける。
「では、家族に恋をすることができますか?」
この質問には例外なくすべての学生が
「できません」と答える。
「家族を恋することができないのは何故かを考えれば
マルチメディア論的な”愛と恋の違い”を見つけることができます」
ワシがこう言うとたまに、感のいい学生が気がつく。
「情報量の違いですか?」
そう、ワシはマルチメディア論の授業で、
単にメディアとは何かといった話だけでなく
【情報を伝える媒体としての人間】と、
【なぜ人間が情報を伝えずにいられないか】を教えている。
これらはむしろ、哲学や心理学、そして考古学に近い。
ワシの答えはこうだ。
あなたたちは家族のことを、よーく知っている。
嫌な部分も含めて、知り尽くしているといってもよい。
これに対して、恋の対象、たとえば彼氏のことは、
知っているといっても、それは自分が見たい部分だけ切り取って
知ったつもりになっているだけなことが多い。
しかし、やがて気持ちが冷めはじめたとき、
嫌な部分も見えてくる。
嫌な部分を見てしまい、気持ちが冷めることもある。
そのうえで、その嫌な部分もぜーんぶ含めて
相手を受け入れることができたとき
恋は愛に変わる。
つまり相手に対する情報量の違いが恋と愛を分かつのだ。
これがワシの【マルチメディア論的、愛と恋の違い】だ。
諸説あります笑