高嶋仁のセオリー69 選手を怒らないために仁王立ちする
『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』の一部を公開します。"立ち読み"してみてください。
ベンチの中央に立って仁王立ち――。
甲子園では、すっかりおなじみになった高嶋監督のスタイルだ。対戦する相手校の監督は仁王立ちする高嶋監督を見て甲子園に来たことを実感するという“甲子園名物”。実はこのスタイルは、甲子園のときに限定される。
「和歌山では隅の方で座ってます。できるだけ、テレビに映らんように(笑)。目立つことはいらんというのもあるし、みんな一生懸命(サインを)盗もうとするやないですか」
仁王立ちが始まったのは、1993年の夏。智弁和歌山を率いて6回目の甲子園のときだった。85年センバツの初出場以来、前年の92年夏まで甲子園で5連敗。「このままではいけない。何かを変えなければ」と思ったのがきっかけだった。
「5回続けて負けたでしょ。座ってたんです。監督は目立ったらアカンと思っとったんですよ。もともとが気が弱いもんで(笑)。勝てんから、『これやったらアカン。オレが一番目立ったる』と思って立ったんですよ。そしたら、勝ったんです。ひとつ勝ったら、ふたつめも立たなアカン。それから、座れんようになった(笑)」
5連敗していたのが、仁王立ちをした途端、2勝してベスト16。さらに翌春のセンバツでは優勝と劇的に変わった。いわば、ゲン担ぎで始まり、続いたのだ。
仁王立ちをするにあたり、高嶋監督が意識していたことがある。ひとつは、“不動”であること。きっかけは、初優勝した1994年センバツ準々決勝の宇和島東戦だった。率いるのは、上甲正典監督。88年に初出場初優勝を果たすなど実績十分の指揮官だ。その試合で智弁和歌山は4点リードされた9回表に5点を奪って逆転、その裏に追いつかれるも延長で勝利する驚異の粘りを見せたが、そのときの相手ベンチの光景が高嶋監督の目に焼きついている。
「上甲さんを見とったら、ベンチでクマみたいにウロウロしとるんですね。焦っとるんです。あー、やっぱり、上甲さんでもああなるんやなと。ピンチでも、負けとっても、何であっても、オレは絶対動かんとこうと」
どんなときも、選手たちは監督の姿を見ている。不安そうな態度や表情は選手に伝わり、それがプレーにも影響する。だから、意識して動かない。どっしりと構え、いつもどおりの姿勢を見せることで「安心せえ。大丈夫や」と選手たちにメッセージを贈るのだ。
もうひとつは、試合中に怒らないこと。これは、初めから意識したことではなく、仁王立ちしたことによる副産物によって生まれたことだ。
「あそこにいたら、怒られへん。ベンチに座っとったら、やっぱりグチを言うじゃないですか。『お前なぁ、何やっとんや。それだけはやめとけ言うたやろ』とかね。座ってたとき? そら、言うてますよ。黙っとられへんもん(笑)。あそこにいたら言われへん。テレビがアップで来るから、知らん顔しとかな。だから、選手はわりとのびのびやっとんのかなと思うんですけどね」
何度も甲子園を経験するうち、テレビが監督を映す場面はだいたい把握できるようになった。アップで来るのを察知して、意識して動く。
「それ、任しといて(笑)。何回も行っとったら、だいたいわかる。エラーとかしたら、『来たな』とよそ見する。変な動きしたら、画面をパッと切り替えるんやな。だから、変な動きしたらアカンと思ってました。ホームラン打っても、エラーしても、変わってない方がいいわけ。尾藤スマイル? あんなこと、ようしない。作り笑いなんかできませんよ。エラーしたらアップが来るのわかっとるから、ああしとるだけ。気持ちの中では、『ボケ、コラ、走らすぞ』と思ってます(笑)」
意識して動かないことを意識したことで、こんなことを言われたことがある。
「優勝したとき、小学生が『智弁の監督はすごい。サイン出さんと優勝した』と。アップで来たときはサインを出してない。もう引いたなと思ったらパッと出しとるんです」
そこまで言えるのは高嶋監督ぐらいだろう。それだけベンチで余裕があるから、結果もついてきたといえる。自分のチームの選手にはもちろん、相手にも、メディアや観客にも見られることがわかっている以上、そこでの立ち振る舞いも意識する。
「センバツはええんです。腕も組めますから。でも、夏はね。ひじからポタポタ汗がたれる。腕を組むとわきの下が汗でびっしょりになる。チェンジになったら水を飲んで、汗をふいて……。大変ですよ(笑)」
それでもやり続けたのは、やる意味があるから。仁王立ちで確立した“不動”のスタイル。それが高嶋監督の強さでもあった。
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