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【旅】丹党中村氏の墓 〜多治比氏の末裔・丹党〜

秩父にはかつて丹党と呼ばれる武士団がいた。
丹党は武蔵国に存在した武蔵七党の一つであり、2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目を集めた畠山重忠と関わりがあるなど、秩父地方で勢力のあった武士団だ。

丹党は多治比氏の末裔を称していることから、多治比氏を調べる自分としては興味深い集団だ。

鎌倉殿の13人で畠山重忠はイケメン俳優・中川大志が演じるなどで人気の高い人物として注目されたが、歴史上で深い関わりのある丹党に注目が集まらなかったのは残念だった。

かつての武蔵国には丹党の痕跡が数多く残されており、今回の旅では、その一つである秩父市の「丹党中村氏の墓」を訪問する。



丹党中村氏は秩父神社の造営にも関わるなど、秩父地方に深く根付いた勢力であった。


丹党中村氏の墓は近くに駅やバス停が無く、住宅地の中に存在し専用駐車場も無さそうなので、秩父観光情報館でレンタサイクルを借りて移動する。
知名度の低い文化財や、個人管理の文化財は移動手段の確保が大変なのはあるある話だ。

レンタサイクルは簡素な装飾の電動自転車だ。観光地のレンタサイクルは地元ゆるキャラや萌えキャラ等のイラストが描かれている場合もあるなど、乗るのにに多少の勇気が必要な場合があるため、このような簡素な型の自転車は非常に助かる。

レンタサイクルで目的地に向かう。途中でセルフレンタカーの看板を発見した。最近は多くのサービスでセルフが導入されており人と関わるのが苦手な自分は大助かりだ。

スマホのナビに従い住宅街を突き進む。住宅街の中の文化財を目指すときに、知らない人間がウロウロしてしまっているのは毎回申し訳ないなと思う。

目的地である丹党中村氏の墓に到着した。
解説板には「丹党名の由来は宣化天皇の皇子 上殖葉(かみえば)皇子の末えいと言われ、天皇の曽孫が丹治比の氏を賜ったことが由来」とある。
「多治比」ではなく「丹治比」であることが興味深い。
また「平家物語の宇治川の段に畠山重忠と共に語られた」とある。かの有名な宇治川の先陣争いの場に多治比氏の末裔が関わっていたのだから面白い。

解説板を確認した後に墓地へ入る。
丹党中村氏の墓だけではなく一般の墓も管理されている場所だった。こういうのは現地に来てみないと分からないため入るのに躊躇したが、秩父市指定史跡になっていることから「文化財を見学させていただきます」と心の中で祈りながら墓地に入らせていただいた。

墓地には丹党中村氏之墓という石標が建てられている。

この簡易的な覆いに守られているのが丹党中村氏の墓になるようだ。墓石には特に何も刻まれておらず石標がなければ、その存在に気づくことは難しい。

石標には市史跡に指定された年月日が刻まれていた。戦後まもなくに指定されたことを思うと、古くから守られていたお墓というのが読み取れる。

墓地に入って真っ直ぐ進んだ突き当りには「心都」と刻まれた大きな石が設置されていた。正直に言うと現地ではこれが丹党中村氏の墓と思い込み拝んでしまっていた。
後から秩父市HPを確認して自分の過ちに気がついたが、気付いたときには帰りの新幹線に乗っていた。
心都に関する解説板はなかったため何を意味するかはわからなかった。

ここには飾られたばかりであろう美しい花が飾られていた。誰かがしっかりと管理している証である。

市指史跡がある墓地だが、個人のお墓も同じ敷地にあることから、墓地周辺は綺麗に管理されていた。秩父市HPには丹党中村氏の墓の所有者は個人とあり、解説板には管理者 井上家とあるが、この方は丹党の末裔なのだろうか?
しかし、解説板にある丹党の分派の名字には井上という名字がない。残念ながら個人情報に関わることなので自分の調査で知ることは難しいだろう。

お墓のある場所の住所は「中村町」といい、どうやらこの周辺に館跡もあったようだ。しかし、その痕跡は残っていなかった。


市指定文化財とはいえ個人所有であり、個人の墓地であり、住宅街であることから長居するわけにもいかず、墓地の管理に感謝しつつ早々に立ち去った。

かつては、武蔵国での一大勢力を築いていた多治比氏の末裔である丹党中村氏。秩父神社の造営にも関わりがあるなど秩父に深く根付いていたが、今ではその痕跡も個人所有のお墓にひっそりと残るだけとなっていた。

また、畠山重忠は現代では銅像が飾られてある熊谷市や深谷市の印象が強いが、秩父市と丹党にも深い繋がりがあることを改めて確認できた。



そして、丹党中村氏の墓を訪問後、秩父神社と秩父まつり会館を訪問し観光を楽しんだ。




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