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歌舞伎の元祖は女性だった!

何故、歌舞伎役者は男なのか?

最初の歌舞伎は女性によって始められたもので、初期の歌舞伎は実際に**女性(おんな歌舞伎)**によって演じられていました。しかし、現在では歌舞伎は男性が演じる伝統芸能となっています。その経緯を以下で説明します。


 1. **女性による最初の歌舞伎 – 出雲阿国(いずものおくに)**

   - 歌舞伎の起源は、17世紀初頭(1603年ごろ)に、巫女出身の**出雲阿国**が京都で「かぶき踊り」を演じたことに始まります。彼女が始めたこの「かぶき踊り」は、独特の振る舞いや衣装、音楽を伴ったもので、当時の庶民に非常に人気がありました。最初期の歌舞伎は主に**女性が演じるもの**であり、男女の恋愛や日常の風景をテーマにした舞踊劇でした。


2. **女性の歌舞伎が禁止された理由**

   - 出雲阿国が始めた**「おんな歌舞伎」**は、人気を博しましたが、次第に性に関連する要素が強くなり、**風紀の乱れ**が問題視されるようになりました。女性歌舞伎の公演は、しばしば遊興や売春が絡むことが多く、特に若い女性歌舞伎役者が客の目を引き、遊郭的な要素が増えていきました。このため、江戸幕府は**1629年に女性による歌舞伎を禁止**することを決定しました。これは、女性の歌舞伎が風紀を乱すとして問題視されたためです。


 3. **若衆歌舞伎(わかしゅうかぶき)への移行**

   - 女性による歌舞伎が禁止された後、次に歌舞伎の中心を担ったのは、**若衆(わかしゅう)**と呼ばれる10代から20代の美少年たちでした。この**若衆歌舞伎**は、若い男性が女性役を演じ、女性が出演していた時代の歌舞伎の雰囲気を引き継ぎました。

   - しかし、若衆歌舞伎もやはり風紀の乱れを引き起こしました。若い男性役者が人気を集め、彼らもまた客と性的な関係を持つことが多くなったため、江戸幕府はこれを問題視しました。**1652年に若衆歌舞伎も禁止**されることになります。


 4. **野郎歌舞伎(やろうかぶき)への変遷**

   - 女性と若衆の歌舞伎が禁止された後、歌舞伎は次第に大人の男性だけが演じる**「野郎歌舞伎」**へと変化していきました。これが現在に続く、**男性のみが演じる歌舞伎の始まり**です。幕府は成人男性が演じることで、風紀の乱れを抑えることを期待していました。

   - ここで登場したのが、**「女形(おんながた)」**と呼ばれる役者です。女形は、歌舞伎の中で女性役を演じる男性俳優であり、高い技術と表現力が求められます。現在でも歌舞伎における女形は、歌舞伎の華やかさと美しさを象徴する重要な役割を担っています。


5. **男性中心の歌舞伎の確立**

   - 野郎歌舞伎が定着した後、男性役者のみが歌舞伎を演じることが普通になり、女性役もすべて男性が演じるようになりました。歌舞伎の中では、男性が演じる女性役(女形)が重要な位置を占め、女形の美しさや優雅さが観客を引きつけました。

   - 女形役者は、歩き方や話し方、仕草までを繊細に演じることで、女性の美しさや内面を表現します。この技術は長い修練によって磨かれるもので、今日に至るまで歌舞伎の中心的な技術として受け継がれています。


 6. **文化的・社会的背景**

   - 江戸時代は、女性が公の舞台に立つことが限られていた時代でした。幕府は遊郭や歌舞伎を含む芸能の管理に厳しく、特に性に関連する問題については風紀を厳しく規制していました。このような社会背景もあり、最終的には男性だけが舞台に立つ形式が確立されました。


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 結論

歌舞伎が男性だけによって演じられるようになったのは、江戸幕府の風紀に対する規制が大きな要因です。最初は女性が主役でしたが、風紀の乱れが問題となり、女性の出演が禁止されました。その後、若い男性が演じる若衆歌舞伎も同じ理由で禁止され、最終的に大人の男性だけが出演する「野郎歌舞伎」に移行し、現在の形が確立されました。


この結果として、歌舞伎の中では男性が女性役を演じる伝統が生まれ、女形という独特の演技形式が発展してきました。この伝統は、今も続く歌舞伎の重要な要素として受け継がれています。

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