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(6)クメールルージュの残滓(2023.12改)

ブルネイ王国を飛び立った政府専用機の搭乗者は大幅に減っていた。
プルシアンブルー社のエンジニアや研究者16名がボルネオ/カリマンタン島内のマレーシア、インドネシア領内の各農場に分散し、太陽光発電の規模と発電量/蓄電量のシステムサイジング、農耕地としての地質調査、島の沿岸部海域の肥料となりうる海藻採取と海藻の栄養素、ヒトが持ち込んだ家畜の野生化がどの程度進み、島の生態系に影響を与えているか等、マレーシア/インドネシアの大学研究者達と共に調査に臨んでいる。

これから向かうカンボジア西部とタイ東部の両国の国境地帯にある王家・王族の領地では、プルシアンブルー社のベトナム法人とタイ法人のチームが両国の農学研究者と共に調査と開拓を進めている。
農作物栽培プランの規模や収穫推定量から、収穫物からの2次・3次産業のプランニングと太陽光発電システムの概要が纏まりつつある中での現地視察となる。

モリは外務省の櫻田から渡された情報を参照する。前回のインドシナ3カ国訪問後、3カ国の直近の状況を各日本大使館が纏めた資料だ。
外務省を味方にしておくと、このように最新情報を押さえられるし、時にはプロジェクト立案やプランニング時にアドバイスも得られる。
今回まで里中女史の情報網を活用させて貰ったが里中が外相の執務官に就任するので、後任の櫻田女史に頼る格好となる。彼女の実力の程は、まだ未知数なのだが。

ラオスと、同国を経由してカンボジアの2国に対して、石油、麦、食用油等の食料品、生活雑貨が中国から届き出したと記してある。
「何故、周辺国への物資供給を止めていたのか?」里中も疑問に感じたのだろう。

昨年末のコロナ感染者発覚から始まって、半年も立たない5月には代表者が北京に集い、全人代を開催した。同時に止まっていた投資を再開すると、フル稼働ではないにせよ中国内の工場が動き始め、9月末でにはほぼフル生産に転じたという官報情報は前回も聞いていた。モリは共産党政権の情報を信用していない。コロナをどの程度まで封じ込めているのか、メディアが報じる中国メディアの懐疑的な報道と、中国在住の日本人からの情報程度しか分からない。北京と上海の日本の大使館員領事館員であっても、共産党の監視網の制約下で限られた情報しか手に入らない。幾らでも数値を誤魔化せる国家なのだ。自滅党政権の粉飾、数値改竄の酷さもあるので、声高に批判できない弱さもあるのだが。

何が言いたいかと言うと、先月9月の時点で中国からのラオス、カンボジアへの物資は止まっていた。それ故に両国は日本に支援を求めて来た。
訪問中もラオスとカンボジアの政府関係者からは「中国から物資が届かないから、助けてくれないだろうか」というトーンだった。
実際は、割高とは言えタイからの物資供給を受けており、大きな問題には至っていないと確認した上で、外務省は供給見送りの判断を下した。中国側が報じる官報情報とラオス・カンボジアへの物資供給ストップの意味合いや整合性が合致しないからだ。
「日本が支援を断った後で、中国が供給を再開した」のであれば、作為的なものをどうしても感じてしまう。
プノンペンで外務省チームの大半は降りて、カンボジア外務省と実務者協議に臨む。協議後のレポートにも注目したい。

モリは外務省の報告書を隣席の結城さんに手渡す。カンボジアでは栃木出身の結城さんが通訳になるという。我々はプノンペンでは降りずに、第二の都市バッタンバンへ向かうので着物を着る必要は無くなったのだが、結城さんは和服姿だった。
「実家が呉服屋なんです」と言っていたが、スタイルの良い人が纏う和服は犯罪だと思う。妙になまめかしい。昼に由真と玲子と発散していなかったら、モヤモヤしていただろう。

「ほな、行ってまいります〜」京訛りではんなりと品を作って、外務省の面々の居る前席へ立ち去ってゆく。
後席から志木佑香が「先生の好みでしょ、あの子」と囁くので、つい頷いてしまう。
幸乃と志乃姉妹に通じる撫子路線だ。日本男子の潜在意識を撹拌する様式美があると、結城さんの臀部を見ながらウンウンと頷いていると、ペシッと頭を叩かれる。振り返ると後席に座っている玲子が、頬を膨らませてムッとした顔をしている。

「なんで煽り手と静止役が仲良く座ってるの?」

「明日は攻守交代しちゃいますけどね。今宵は私のターン、玲ちゃんはディフェンスに徹します」
志木佑香がタクトを持っているかのように四拍子を振るう。玲子はゴールキーパーのつもりだろうか?両腕を手のひらを広げて45度の角度で広げている。玲子の相方を努めた由真は、実に幸せそうに笑みを浮かべながら寝ている。いい夢を見ているのだろうか・・

モリは口をへの字に曲げた顔を 天使と悪魔っ子に見せてから、前を向いた。


「お疲れ様です。モリ先生がお借りしていたものです。こちらは皆さんでどうぞ」
結城 綾が外務省の櫻田詩歌の座席にやってきて、レポートの入った茶封筒と京都土産の阿闍(々)梨餅一式を手渡す。

「あ、どうも有難うございます・・」
櫻田は結城の笑みに不敵なものを感じた。包囲網をモリの周囲に張り巡らせている一人だ。彼女たちの壁を櫻田は突破できず、ブルネイでは会話の機会も与えられなかった。彼女たちの意思なのか、モリの要請に基づいているのかの判断が出来ない。

結城はパーサーの女性、吉田 圭に向かい、互いがミドルタッチし合うと櫻田の方を見て何やら説明し、2人で機内食ブースであるギャレーに入っていった。直ぐに2人でワゴン車を押して来たので、和菓子用の呈茶なのだと櫻田は悟った。

元CAならではの小憎たらしい所作に、外務省の男共は癒やされ、若手にはソソるものとなる。空の上では勝ち目がないと悟った櫻田は、今宵の宴席で何としても近づいてやると意気込むのだった。

ーーー

「富山県副知事の村井幸乃が妊娠3ヶ月」という情報はプルシアンブルー社の新宿オフィスにも広まっていた。
妹の村井志乃の富山本社への異動も直ぐに決まった。この手の人事は中小企業のように早く決まる。志乃はオフィス近くの新宿中央公園内にある保育園に娘の転出届を出し、美帆は富山城址公園に隣接する保育園に転ずる。

富山本社の副社長中山智恵も新宿オフィスと大井ふ頭事務所のスタッフの期間限定の本社移転と都内在宅ワークの準備に取り掛かっていた。
11月からコロナが太平洋側で蔓延するとAIが予測したからだ。予測結果を聞いた志乃はいいタイミングかな?とツキを感じていた。

姉の相手が誰だか知っている事務所のスタッフの中には「自分達にもチャンスがある」と捉えている女性陣が少なからず居るのを志乃は察していた。
同時に姉の妊娠で落ち込んでいる2人と3時のおやつタイムを取っていた。源 翔子と平泉里子だ。2人の母の由紀子と理美は幸乃の妊娠で前向きに喜んでいる。モリが子を宿す事に前向きな証拠だと、親の2人は受け止めていた。

平泉理美は席上で一気に核心を付いてきた。
「お姉さまの名字は変わるのかしら?」嫌味を全く感じない、純粋そうな問いだった。
「子供が生まれた場合、成人するまでは村井姓のままになると思います。姉も村井のままです。先生の認知は頂いて、子供が成人したら杜と村井のどちらを選ぶかは本人次第です」
志乃が内容を気にしながら発言する。妊娠予定者が同席しているので。

「なるほど。認知という方法かぁ・・」理美が頷いている。
隣で聞いていた由紀子は同じ手法を真麻と自分の子にも適用しようとお腹をさすった。姉の手の動きを見て取った妹の啓子は「まさか」と勘ぐった。姉は閉経していないのを啓子は知っている。

「次はあなた達の番よ、頑張りなさい」
理美が次女の理子と啓子の次女・真麻に向かってエールを送る。真麻は「ゲット済なんだけどな」と思いながら笑い、理子は真っ赤になって下を向いている。何故か自分の親達から蚊帳の外 扱いされている翔子と里子は項垂れていた。

休憩が終わるタイミングで由紀子が声を掛けて、里子と翔子の腹に手を当てた。・・里子は・・間違いなかった。

「あなたはもうちょっとだけ待ってなさい。激しい運動はしちゃ駄目だよ、そうすればコウノトリがやってくるからね。翔子の卵子はまだ大丈夫。安全日に先生にお願いして、先ずは慣れなさい。40過ぎて未だに子宮ヴァージンは不味いわよ」

子宮バージン?と里子は思いながらも由紀子に縋る。
「伯母様、今の話って・・」
「休憩時間終わり〜。家に帰ったら教えてあげる。そうそう、理美には内緒だからね」
由紀子はそう言って先に進んでいった。

「何か、若返ってるよね?」由紀子を指しながら、翔子が里子に訊ねる。

「そうだね。還暦過ぎの女性のトークじゃないね」里子が翔子に応える。

「でも、里子が妊娠したって事だよね?」

「コウノトリだもん・・ね・・」
里子が立ち止まって両手で顔を覆った。
翔子は里子を抱きしめる。母はタラレバを言わない。里子の願いが本当に叶ったのかもしれない。

ーーーー

プノンペンでゾロゾロと日本の訪問団が降りて、機体はバッタンバンへ直ぐに到着した。
モリの学生時代はヘンサムリン政権で、バッタンバン一帯はポルポト派に支配されていた。ポルポトの右腕でナンバーツーのイエンサリも、派閥を指導するキューサムハンも存命で、当然ながら近寄れなかった。
タイ国境にアンコールワット以上の面積を誇る巨大なクメール期の遺跡があって、そこに訪れるのが当時のバックパッカーの限界で、タイからカンボジアへの越境は不可能な時代だった。

30年前の自分を思い出しながら、車窓に写る自分の顔を見る。実はそれ程顔の造形に変化を感じていないが、表情は豊かになったと思う。
モリの学生時代の東南アジアは、ベトナム戦争とポルポト派による虐殺の影を色濃く引きずっていた。タイは占領された経験がないのでパラダイスのような平和な世界だったが、東西南北の国境には緊迫した空気が漂い、その地に住まう人々の面影はどことなく強面の表情をしており「微笑の国」というタイを形容していた表現や印象からは、程遠いものがあった。南部は自国のイスラム共産ゲリラの存在を抱えながら、東西北は中国共産党が支援する3カ国に対峙していたタイに多額の西側の支援が注がれていた頃でもある。
南ベトナム・サイゴンのような退廃的な文化が地方都市にまで広がり、女性・少女のみならず、少年までが人身売買の対象となっていた。
「共産化を防ぐ為の投資や援助で、どうしてこうなる?このザマはなんだ?」と怒りを感じていた。ビルマからミャンマーに代わった西側国境以外は開放されて、売春と人身売買はラオス、カンボジアにも拡がった。
そんなバッタンバンも、今やカンボジア第二の都市となった。ポルポト派の支配領域だったからこそ資本が投入され、王家王族の土地となった。
歴史のなせる技とは言え、我々はそんな歴史があるこの地で新たな事業を始めようとしている・・

志木佑香が隣の座席に座ったのを車窓に反射する画像で知る。
「クメール・ルージュの支配領域を引き継ぐのは、だあれかな?」耳元で囁く。
ポルポト派をそう呼称したのは、国王の亡父シアヌークだ。

「カンボジア政府であり、バッタンバン州知事だろう?」
ガラス越しに佑香に返答すると、佑香がノートをチラつかせる。外務省の櫻田女史に貸していたカンボジアのノートだ。中身を読んだのだろう。

「这只是随机罚款。 我会让你用那性感的身体付出代价。(勝手に見た罰金だ。そのエロい体で払って貰うからね)」と中国語で言うと驚いた顔をする。
「最初からそのつもりじゃない。でも驚いた、喋れるんだね?」北京語が帰ってきた。
「中華街でバイトしてたら覚えたんだ」
亮磨の父、周泰山に習ったようなものだ。

「そっかぁ、あの、綾と皐月も一緒でいいですか?利子を付けて返して上げましょう!持ってけ、泥棒!」
呉服屋の娘の結城さんとアパレル会社の令嬢の岡山さんもだという。何でもアリなのか?

「良いけどさ・・いつから女郎小屋の主人になったんだい?」

「そりゃあチーフに引き抜かれた時からですよ。チーフのご主人様ですもの。もっと頑張って稼いで頂かねばなりませんからねぇ」

佑香に里子から届いたメールを見せる。妊娠検査キットが妊娠判定の印を示している写真が添付されていた。

「さっきさ、ホントの主人になっちゃったんだ」

「うわー!おめでとうございますぅ。凄いじゃないですかぁ〜」
急に泣き顔になった佑香が日本語で騒いで、バシバシといつまでも叩かれていた。

(つづく)


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