(3)時の流れに身を任せる日々、が 始まってしまった日(2023.9改)
互いに名刺を交換する。神奈川県警と県の公安のトップ2名とその部下達だった。警備棟の守衛さん達の休憩室を借りて、「このような場所で申し訳ありません」と詫びながらパイプ椅子に座って貰う。
そもそも校舎内の応接で話せる内容ではないのだろう。組織の上位の者が、黒塗りの覆面パトカーではなく、敢えて普通のパトカーで乗って来たのだから。
「先生のお時間もあまりないでしょうから、手短に済ませます。まず、ご自宅を含めた拠点への調査活動を全て中止いたしました。様々なご迷惑とご不便を掛けました事、重ねて陳謝申し上げます」
一人がそう言うと全員が5秒間頭を下げた。妙なところでタイミングを合わせている、練習でもしてきたのだろうか。
「尚、改めて与党の方から連絡があると思いますが、政府としてブルーインパクト社への出資の提案をするとのことです」県警の幹部が得意げに言う。
「出資ですか・・どのような内容になるか聞かれてますでしょうか?」
驚いたあとで困ったような顔をして、質問が出てきた。モリは関心がないのだろうか?
「良い提案だと私は個人的に考えております。
実際の出資元がどこになるのか、手を上げた法人で奪い合い合戦が始まっている程だと聞いています。まずは御社を株式会社として格上げして、農協、漁協の団体で株を一定額購入するというイメージのようです。将来性のある御社だからこそ、なのでしょうね」
「そうでしたか・・。我々は失敗してしまったかもしれません。慌てすぎたかな・・。実はですね今月の1日付けで株式会社になりまして、シンガポール企業の傘下に加ったのです」
「プルシアンブルー・リミテッド」という企業名の会長職の名刺を取り出した。本社はシンガポールで、日本事務所がブルーインパクト社の住所、石川県かほく市となっていた。
寝耳に水だったのだろう。全員が驚いている。名刺を取り出したモリは、まだ困惑したような顔をしている。
シンガポールの企業だと?シンガポールの企業情報まで政府や公安が把握しているはずもない。「では、起業なさったのですか・・」
「ええ。結果的にそうなってしまった、そんな感は否めませんね。今回、私がハンターとして注目を集めてしまったからでしょうか、皆さんもご存知なのでしょうが、中国やアメリカ企業が弊社に買収交渉を持ちかけるようになっていました。
とは言っても我々には資産防衛できるほどの資金も後ろ盾もなく、困っていたのが実情です。
我々がそういった状況にあると皆さんも把握されていたから、様々な支援策をお考えになられていたのでしょう。その情報を伺っていたらシンガポールでの起業は無かったかもしれませんね。
ある日のことです。日本に留学していた同級生から数十年ぶりに連絡が来まして、コロナが明けたら東南アジアで製品を販売しないかと言われて、ネット越しに話を聞いて、皆で提案に飛びつきました。それで1シンガポールドル、僅か80円程度で起業したのです」
「そうなんですね・・。あのモリさん、これはお願いなのですが県警に、この警備システムを提供していただけないでしょうか? 警察組織のお恥ずかしい実態を晒すようで申し訳なのですが」
「葉山の御用邸、大磯、箱根の要人の別荘の警備用、といったところでしょうか?」
「そうです、まさにその用途で必要なのです。しかし何故お分かりになったのですか?」
「栃木、長野の両県警からは那須の御用邸と軽井沢の別荘、宮内庁からは皇居の警備システムとして、同じようなお話を頂いています。
皇族の方々の安全を支える評価を得られるかもしれないと、一同で喜んでいたのです。その一方で政府から支援して頂ける、絶好の機会を逸してしまいました・・これは早計、失敗でした。痛いな・・」
モリは前職は営業職で、今は教師だ。本音を隠して建前を滔々と語る職業をジョブホップしている。政治家ほどではないかもしれないが、少なくとも目の前の連中は騙す事に成功していた。
報告を受けた与党は、シンガポールのプルシアンブルー社の企業情報を取り寄せる。資本金はシンガポールドルで20億円相当まで増資され、香港籍の中国人名が2人役員に加わっていた。この2人の特定をするためにシンガポールの日本大使館と香港の日本領事館に指示を出した。
シンガポール政府は東南アジア市場でのスタートアップ・起業推進を政策に掲げており、ブルーインパクト社の評価も極めて高く、申請の翌日には起業の承認を完了させていた。
ブルーインパクト社が中国企業にならずに良かったと与党側が安堵する一方で、日本は将来性のある企業を失ったと嘆いていた。10億以上の資金投入は不可能だったので、競っても敗れていただろうが、政府内の民間支援制度の脆弱性を痛感していた。
日本における起業は飲食店や店舗開店程度の小さな案件ばかりで、国の為になる産業としては脆弱なものばかりだ.海外への援助金はアメリカ政府の指示により破格な大盤振る舞いをするのだが、民間企業を育成、企業を促進するとなると、桁も額面も急激に下がる。
モリは政府の支援など最初から期待していなかった。新たな役員は最近コロナで亡くなられた中国人の2人分の情報を、その筋の業者から買った。シンガポールと香港で探した所で該当者は見つからないだろうし、中国人として判明しても死亡しているし、選挙もとっくに終わっているだろう。
ーーー
金曜の夕方、子供達5人と彩乃と共に車で帰って来ると、テーブルの上にメモとメニューが残されていた。樹里が夕飯を作ってくれたのだろう。
これから、樹里の家のそばにあるという個人経営のレストランで樹里と玲子の母と3人で会食する。なので今夜は子供たちだけで夕飯を食べてもらう。
これも樹里が受領してくれたのだろう。北陸から大きなダンボールが届いていたので早速開梱してセットアップを始める。
田畑で栽培している作物を野生の獣から保護するシステムが新たに開発された。
我が家では交換はしないが、従来のバギーの車輪をワイドでやや大きめのタイヤホイールに変える。これで多少のデコボコや不整地、草むらも走行できるようになる。とは言え、サルやシカは崖を乗り越え、谷を渡り縦横無尽な動きをするのでバギーでは追いつけない場面も出てくる。
そこでバギーの屋根に小型のドローン2機を設置し、バギーが「進行不可」と判断すると、2機のドローンが飛び立ち、獣を追う。ドローンには小さな麻酔カプセルが入った矢がドローン1機体あたり50本搭載されていて、シカとイノシシは2本、クマは5本程度が放たれると寝てしまう。
横浜の家の警備システムは夜間は探査用ドローンを仕舞っているので、夜間用のツールとして、この2機の小型ドローンに矢じりが硬質ゴムに変わった矢を搭載しておく。不審者を追払うのが目的だ。
ITに強いのは、我が家の野郎どもは駄目で、娘となる。
PC上のシュミレーター画面から矢の発射確認を都度求められる度に、PCのエンターキーを押すように指示を出す。
モリは県警と公安の発言を信じていなかった。何かしら手段を講じてくると考えていた。
2機のドローンを飛ばしながら、娘と性能と仕様を確認していたら、着替えてきた彩乃が目を輝かせている。サチと同じ、さすが姉妹と思っていたら
「そこはエンターキーじゃなくて、マウスを使いましょう」と言うので、あゆみが操作を譲った。彩乃が操作すると、ドローンが安定しだした。「あゆ先輩がおふろの時、私がこの部屋で待機しますね」と彩乃がいって笑った。
「誰もいなければドローンが人を追っ払い続けるんでしょ、大丈夫よ」
「このサイズですから、飛んでいる時間は限られています。バッテリー容量が小さいから、通常時はバギーで待機してバッテリー充電している。日中の監視用ドローンとは狙いが違うんです。おそらくですが、矢の命中率を高めて、短時間内で一撃必中するコンセプトで設計されているのではないでしょうか」
・・彩乃ちゃん、君、中2だよね?・・
あゆみを見たら、やはり驚いた顔をしていた。うちの娘もどうかしていると思った。彩乃にどうしてそう思ったのか、質問攻めを始めたからだ。
変な箇所で2人が意気投合し始めたな・・と思いながら、出掛ける準備の為に部屋を出た。
ーーーー
久々に相鉄線に乗る。帰宅ラッシュのピークも済んで二俣川で別路線に乗り換えたら、座れた。
丹沢に登りに向かう際に利用するだけの相鉄線だが、その山並みを拝むのも、コロナのせいでご無沙汰だ。
丹沢と言っても登山対象のコースは多岐に渡る。モリが向かう山はマイナーで、登山者も少ないので感染とは本来は無縁なのだが、自粛のプレッシャーは全ての外出を否定する。理不尽な話だと思いながらも、未だに素性を特定できないコロナに警戒をし続ける。飲食店が最も被害を受けた業界かもしれない。感染スポットのような扱いをされて、敬遠され客足もすっかり遠のいた。「研修がある」と言って一人飲みをしていたモリもアオリを食って、夜の街とはご無沙汰だった。
そんな中で樹里が知らせてきたのは「住宅街の地図情報」だけだった。
グルメサイトに掲載されていないのも、常連客だけを受け入れているからだという。期待しながら横浜の郊外までやってきた。そんな営業形態なので自粛もせずに、2組8名までに限定してコロナ渦中はやっているらしい。翔子と樹里の家族も常連で、蛍とウチの子供たちも何度か訪れたことがあるという。知らぬは父親だけという店らしい
住宅街の中にある古い洋館で、店の看板も出ていない。店舗名も出ていない。
「いらっしゃいませ。ご予約はされていますか?」
「セーラ、で予約があるかと思います」樹里のミドルネームを名乗る。
「2階になります。ご案内します お二方はもうお見えになってます」 スーツ姿の女性のあとをついてゆく。
「こちらになります」と言われて部屋に入ると、樹里と玲子の母親という朝見た組合せなのに、目眩を覚える。
我が家に今居る「大人だけの懇親会」というのが会の主旨だと聞いていたのたが、樹里は近所なのに化粧をバッチリして、胸元を強調した服を纏っている。玲子の母も仕事帰りなのに、いつもよりメリハリの効いたお顔立ちになっている。が、スーツ姿は新鮮で唆るものがある。
「先に飲んでてごめんなさい。先生は叔母様の隣に座って」
窓側の席に座って窓の外を見下ろすと、駅から歩いてきた通りを見下ろせる。それ以外は斜めに傾斜した住宅街の屋根が広がる光景だった。
尾行者には気付いていたが、窓から見る限り見当たらなかった。
2人はワインを飲んでいたが、モリにはビールピッチャーとグラスが運ばれて来た。料理もお任せなのだろうか、メニューは見当たらない。
給使の方のピッチャーからの泡立たない注ぎ方に、思わず声を出してしまう。「僕がやってたら泡だらけです」「簡単ですよ、名ハンターさんなら」と秒で返されて、樹里と翔子が笑う。
3人でグラスを合わせて、宴の第一幕が始まった。
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美味しい洋食屋さんは幸せな気分にさせてくれる。形の整ったオムレツやハンバーグを自分は作れない。見た目の美しさと想定通りの味は、場に安心を齎す。料理が安定しているから会話に集中できる。
「先生とこの店の料理は一緒なんだよ」
樹里が唐突に話題を変えるのでクレームを兼ねて、その手の話には加わらないぞと思いながらビールを飲み干す。ピッチャーを手にとってグラスに注ぐ。
「私達がこの店に通っている理由は、楽しく話ができる店だから、なんです。味は店舗開店から殆ど変わりません。でも食材を提供しているお肉屋さんも八百屋さんも、この店のメニューを維持するために同じものを調達し続けている。それが常連さんを増やして、一見さんに頼らずとも、こうして営業できるようになった。感染のリスクを認識しながらも、他のお客さんとの接点を回避、リスクを軽減して開いているんです」
「先生にとっては初めての店だから、少なからず不慣れな部分はあると思うの。どんな料理やお酒があるんだろう?って。でも洋食店だから料理のイメージは先生も出来る。しかも叔母様は常連だから、先生はエスコートする必要もないし、会話に集中しやすい状況にある。
知りもしないフランス料理店の有名店でデートするカップルや、お高い日本料理店でお見合いしている男女のように右往左往しっぱなしの状況にはならない。
先生は私達のホームグラウンドにやって来ただけ、一方で叔母様はホーム状態で試合に臨める。杜家のアウェー状態から解放されてね」
「あぁ、なるほど。・・理解しました。配慮が足らずに申し訳ありませんでした」
「あれ?」
樹里はモリの反応が予想外のものと認識した。
「翔子さんも樹里も、当然ご自宅の方がいいですよね。ウチの都合で共同生活を押し付けてしまって・・本当に申し訳ありません」
「いやいや、センセそうじゃなくって・・」
「あの、蛍さんなんです。この店に先生をお連れしたらどうだろうとアドバイスしてくれたのは」
「ホタル? 息子ではなく、妻の方ですか?」
「はい。私が話しやすいのはこの店がいいんじゃないかと。先生も店を気に入るのではないかと」
確かに個室になるし、自分にはアウェイ感も少ない。敵地に乗り込んだというより、ママ友の集会所を知ったというのが、正直な感想ではないか・・
「そうでしたか・・そうですよね。ウチでは子供たちも居るし大人どうしで話す場も少なかった・・週末は3人でこの店で夕食にしましょうか、私が費用を出しますので」
「ありがとう先生!実は物凄いお金持ちみたいだし、このくらい、どうって事ないよね?」
「教師が金持ちのはずがないだろう・・」
門に隠れながらカメラのレンズがこちらに向けられているのが分かる。
「えっと、話は変わるんだけど。まずは窓の外を見ないで欲しい。
恐らく公安がこの場をカメラに撮ろうとしている。翔子さんも樹里も居るから、この場を撮られたって困るようなものでもない。
しかし、この場が終わって二人がそれぞれの家に帰った場所を奴らに張られるのも気分が良くない。
そこで提案なんだけど、夜陰に乗じてウチのドローンをどちらかの家に移動させて警備させたいんです。つまり、今夜はどちらかの家で2人には宿泊してほしいっていう話なんだけど」
「それならウチで。元からその予定だったけどね」樹里がウィンクする意味がいまいちワカラナイ。
「でも、先生のお宅の警備がおろそかになりませんか?」
「いえ、今日新しいドローンが届きまして数時間前に設置したので、いつものドローンは空いてるんです。あの荷物、樹里が受け取ってくれたんだよね?」
「うん。あれドローンだったんだ。前のとどう違うの?」
暫く、田畑の獣害対策用途、通称スナイパードローンの説明をする。2人が目を輝かせながら説明を聞いていた。
樹里が前傾姿勢になって下着というか、胸がほぼ丸見えなので、モリの隣席の翔子がその都度叱る。この日はそんな繰り返しだった。
この日は理性の崩壊がいつもよりも早かったように思う。
全ては作戦通りに事態は進んだと、計画を立案した智将が得意げな顔をして、後に語る。
それで向かい同士に座ったのだろう。とにかく疼いて仕方なかったのだ。。。
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五箇山に居る女子大生達は、ブルーインパクト社の動画編集作業を新たに請け負った。
臨時バイトとしても破格な金額だった。自分達の動画収入も含めて税金対策を考えなければいけないだろう。
エンジニア達が撮影してきた映像は2箇所、と言っても隣接地で、宿泊した2県の温泉地情報も盛り込まれていた。
コロナで客足が遠のいたホテルの過剰なまでのもてなしの映像は、3人の胃袋を刺激した。その辺は何度か遊びに行ったエリアでもある。
1つ目の映像は、富士山の裾野一帯に数万頭生息していると言われているニホンジカを新型ドローン数機が矢を放ち、刺さった矢が注ぐ睡眠薬がシカを眠らせてゆく内容だった。
朝日に照らされて、赤富士となった富士をバックにした朝霧高原一帯には500頭を超える鹿が横たわっていた。眠っているシカを静岡県富士宮市の保健所の職員達や市が委託したハンターが回収している映像だった。
もう一つが朝霧高原の毛無山の反対側、モリの母方の生家のある山梨県南巨摩郡側の農村で、バギーから放たれたドローンがサルやイノシシに矢を放ち眠らせる映像だった。
つまり、同社の農耕用バギーはパーツ交換する事で(1)田畑を耕すトラクター、(2)野菜の種まきと田植えも行い(3)稲刈りのコンバイン機能に加えて、新たに獣害から農作物を駆除する機能が加わった。つまり、ほぼ年間を通して農耕バギーが活躍し続ける。
この獣害対策の機能が紹介されると同時に、農業関係者が飛びついてゆく。
モリ達の特許収入も膨れ上がるきっかけとなったのだった。
(つづく)
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