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(11) 犯罪者(?) 、堂々と南米を渡り歩く



 3月の南米諸国連合の会議は、会合形式で行われる。
南米の旧宗主国であるスペイン、ポルトガルが参加していた。ブラジルが加盟国になっていないのに、ポルトガルがやって来たのは、南米諸国連合がカネになると思っているからだろうか。もしくはスペインへのやっかみが原因かもしれない。北アフリカに大規模な投資を行い、EUを商圏として見定めている事。スペイン・バルセロナのプルシアンブルー社の工場で中古車改良事業が活況を呈し、マドリッドではスペイン製の都市型自動運転システムがこの秋にスタートする。スペインは中古車販売事業と新開発の自動運行プログラムで、EUと北米で結構な販売利益を上げている。国内に自動車メーカーを持っていなくてもプルシアンブルー社と結託したビジネスで成功していた。一部では中止となると噂されている、来年2035年のエンジン車販売中止前の荒稼ぎといった所だ。ポルトガルも何かビジネスチャンスを探して虎視眈々と隙を覗っているのだろうが、元植民地のブラジルは居ないし、他の南米諸国と接点が薄いのに、参加して、どうするのだろう?モリがボルトガルの首長なら絶対に参加しないだろう。挨拶だけを外交としていた自滅党と一緒だからだ。いや待てよ、この会合に参加するとポルトガルが擦り寄ってくるのが分かっているから、私に押し付けたのか・・後者が正解かもしれない。

今回、メキシコとチリへ戦闘機を飛ばした。南米諸国連合からは、チリが何をしでかしたのか聞いてくるだろう。誠実に答えなければ、と考えていた。鮎首相は、メキシコから先行して帰ってきた里子外相と杏の母子を連れて、会場となるエクアドルの首都キトへ向かいながら、アレコレ考えていた。

南米諸国連合は、連合国ではない国も含めて南米全域に影響を及ぼしている。ボリビア、アルゼンチン、ペルーの3ヶ国は国境を開放している。実際、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、チリの商人達が調達に訪れている。PB Mobileを購入して、RedStarBankの口座を開設し、域内通貨システムSimonPayを使って南米中の人々が商品を購入してゆく。個人に限らず、南米諸国連合で商品を仕入れて、連合国外で販売するビジネスが伸びていた。テレビのような家電製品であればまだ良いのだが、バイクや軽自動車・中古自動車となると、それぞれの国で追加関税が掛かる。税率も車検期間も各国で異なる。軽自動車の場合は、税制の特例を設けていないので「普通車」の扱いになる。それでも人々が欲しがるのは、値段と燃費に魅力を感じているらしい。

ボリビア、アルゼンチン、ペルーはそんな格好で、南米諸国連合製品の輸出に関わっている。
南米諸国連合の製品が、南米の周辺国に入り込むと、周辺国の従来の製品や商品は売れなくなってゆく。売行きの低下に悩む企業は、輸入貿易に規制を掛けるように国に陳情するようになる。とは言っても、規制を掛けても闇経済となるのは分かっているので、各国とも規制導入には及び腰となる。
政府の腰の重さを見限った企業は、南米諸国連合の企業に提携を申し入れ、ライセンス生産や商品の提供を要請してゆくことになる。
相談を受ける企業には断る理由も無いので、喜んで話に応じてゆく。企業間同士の決済方法も「Simons」を利用して、無駄な出費を少しでも削減しようと努力していた。そんな諸々が進行して、「Simons」を中核にした経済が南米中で成長しつつあった。

連合国以外の周辺国政府が対応に苦慮したのが、街中でのSimonPay キャッシュレスサービスの浸透だ。事実上の南米の共同通貨なので、各国の通貨がダブつき始める。電子決済が進んで現金が使われなくなるからだ。各国の中央銀行が発行する紙幣や貨幣の製造見合わせが進む。
南米全体の共通システムなので、各国の商取引の統計情報が自然と出来上がる。国別順位、地域別順位など簡単に状況が分かるのも勿論だが、輸入超過の状態が周辺国では顕著となるので、取引額で国別の優劣も判断されてしまう。通貨の価値が刻々と変化してゆく。
残念ながら、南米諸国連合各国の通貨価値が上がり、連合に加盟していない国の通貨価値は下がる傾向が恒常化する。瞬時にSimon上の各国通貨の両替価格が変動してゆく。連合国以外は今までの物量を欲しい場合、以前購入時よりも現金が必要となる。事実上の値上げとなる。方や連合加盟国は商品売買の度に通貨価値が強くなるので、今迄よりも儲かる。各国金融機関も、南米諸国連合内の金融機関のように、RedStarBankと直接提携する訳にも行かず、次第にジリ貧の道を歩んでゆく。連合国外の国々にすれば死活問題なのだ。モリに直訴して何とか加盟したいと考えていた。

会場に到着すると、自然と里子と杏の親子に注目が集まる。
前回のネット会議でマチズモ男社会の南米社会を理解した、鮎の作戦だった。この野郎共の会合の場で、経済強者である国の代表が70になったお婆ちゃんでは軽んじられてしまう。それでも、里子外相には勢いのあるベネズエラらしい若々しさがある。仮に櫻田外相に引き継いだとしても、10以上も若返るのだから、成長国家のイメージは更に維持できる。
男社会でありながら、南米はラテンの国だ。男たちは女性にオベンチャラを言うのが上手い。まるで挨拶のように思ってもいないことを口にする。
ポルトガルとスペインの首相が鮎を見掛けると喜々として近寄ってくる。久々に会うが、ベネズエラ首相としては初めましてとなる。この2日間、2人はベネズエラ首相に張り付いて離れなくなる。スペイン語が上達しましたねとお褒めの言葉を口にすると、EUのラテン国家は調子に乗る。

「東洋人は歳をとっても老けないのでしょうか。あなたは相変わらず美しい。確か、60になられたのですよね?」真顔で言うから厄介だ。こちとら化粧品と魚の助けを借りて四苦八苦しているというのに・・

「モリが60を過ぎました。私は彼の義理の母なんですよ・・」

「えっ、モリさんが60代ですって? やはり東洋人は老けないのでしょうか・・」

「そうかもしれませんね。外相も50代になりましたが、30代後半でも十分通用します・・」付き合っていられないので2人を里子に押し付けた。
 
そんな2人よりも、ホスト国のエクアドル大統領に挨拶に向かおうとすると、どこかで見た事がある2人がお辞儀をしながら近づいてくる。スペインが今回招待したという、ウルグアイとパラグアイの大統領だった。勝手な事をしてくれちゃって、と2人の話を聞きながら思う。今度はこの2人が放してくれない。

そうこうするうちに時間となったので、全員で会合場所へ移動する。
エクアドルの大統領の挨拶で会議が始まる。念の為にタブレットを出して翻訳AIを使いながら話を聞いていた。秘書官として連れてきた杏は、メキシコ訪問中のモリのために、会議の録音をこっそりと始めた。

エクアドル大統領が話の最後にパラグアイとウルグアイ大統領を紹介する。今回は両国の至っての要望でお越しいただきましたと、急に歯切れが悪くなったような感じがした。スペイン語が上手い里子外相にこっそり聞くと「エクアドルは、明らかに好意的には思っていないようですね」と頷いた。

2カ国を代表してウルグアイ大統領が招待してくれたお礼を言った後で、SimonPay キャッシュレスサービス導入以降、我々の通貨価値が下がり続けている。準加盟国よりも更に下の受け皿でも構わないので、南米諸国連合に是非参加させて欲しいと、冒頭の挨拶から要請してきた。必然的に、各国の視線がベネズエラに集中してくるのが分かる。どうして連れてきたの?と鮎と里子は思っていた。ブラジルとチリが居ない場で、相手を期待させるような発言は厳禁だ。それにメキシコとチリでの戦闘機侵入事件が起きたばかりだ。ベネズエラに対して様々な意味合いが絡み合って視点が集まってくる。

もし、鮎が期待値を少しでも口にすれば「ベネズエラは容認の方向へ」とマスコミも各国も誤認しかねない。さて、困った事になったぞと悩んだ首相と外相は、判断の先送りへ全体をコントロールしていこうと考えた。日本自滅党の唯一の必殺技を用いることにした。

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翌朝、首脳会談の場に米国共和党 上院院内総務のマイケル・ルイスがワシントンからメキシコシティにやってきたので、各国の記者たちは騒然となった。アメリカ共和党が何らかの関与をしていたのか、と誰もが察した。
アメリカのメディアが多数集まっていたのも、事前に民主党あたりから情報リークがされていたのかもしれない。
マイケル・ルイス院内総務とモリは、モリが事務総長時代、週末は共に過ごす事もある、仲の良い友人同士としても知られていた。その院内総務を特使として送り込んできた。

院内総務が2人の大統領に面会するやいなや、深々特使と頭を下げた。モリが歩み寄り、院内総務を抱きしめると院内総務が泣き出した。カメラを気にしない3人の振る舞いに記者たちは声をかける事が出来なかった。ただ、この光景からメッセージは伝わった。何かしら、共和党が関与しているのだろうが、モリはこの詫びを受け入れようとしているのかもしれない。

結局、メキシコとチリの上空に自衛隊機が現れた理由は明かされないまま首脳会談は終わった。ただ、3人の政治家が話し合って、何かしらの決着が付けられたのは分かった。院内総務は記者会見の場には現れなかったが、今回の首脳会談の総括が、2人の大統領から紹介されるとその内容に注目が集まり、アメリカの関与についての関心は霧散してしまう。
メキシコ政府が麻薬組織の掃討作戦を始めると宣言し、その掃討作戦に自衛隊が全面的に参加すると表明されたからだ。メキシコとベネズエラの間でわだかまり等存在しないかのような力強い話し方に、記者団は追求の手を緩めた。モリは言った、「コロンビアの麻薬組織壊滅以上に力を入れる。メキシコ国境を渡ろうとしても、アメリカ政府に蹴散らされるだけだ、はっきりと言っておこう、諦めろ」とカメラを見据えて言い放った。

院内総務はベネズエラ政府専用機に乗り込み、モリと共にベネズエラへ向かうという。旧交を温めるのだという。

メキシコを去る際の記者会見で、院内総務を隣にしてモリが言った。

「記者の皆さんにお伝えすると、今後の国際関係に支障が出る可能性が出てくるかもしれない、と私達は考えました。状況を説明しないままでは憶測の範疇に留まりますからね。要は仲の良い国同士で意見の相違が生じて、短気な私がカッとなって先走ってしまった、そういうレベルのものだったのだとご理解ください。
詳細が何れ明らかになるかもしれませんが、今回はノーサイド。何も無かった事になりました。日本語で言えば「全てチャラ」です。また、今回はチリ政府に多分のご迷惑をお掛けいたしました。誠に申し訳ありませんでした。改めて謝罪に伺おうと考えております」
これで、真相解明は先送りにされてしまった。

そんな事件があろうとも、首脳会談は全く蔑ろにならずに、しっかりと成果を上げる。しかも、驚くべきは会談に臨んだのは大統領一人だけで、メキシコ側は何十人も居た。ベネズエラ大統領が一人で全てをマネージしていたというのが、妙に説得力がある。会談中はどんな雰囲気になるんだろう・・毎夕新聞の山田瑠依記者は、モリの政治力に改めて興味を持った。

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メキシコからベネズエラに移動中のモリからメールを受け取った鮎は、そのメールを里子外相に見せる。里子がニッコリと頷いた。
南米諸国連合の門戸は開かれた。単一の勢力圏への道へ、また一歩、前進となった。

モリと共和党・院内総務はベネズエラ・カラカスで記者たちを下ろすと、物資と、新たに人を乗せて、そのままチリへ向かった。
首都サンチャゴの滞在は僅か数時間だったが、チリの大統領に対し、メキシコ大統領の親書を手渡し、院内総務とモリがそれぞれの国の対応を謝罪した。モリは改めて首脳会談の機会を頂きたいとチリ側へ要請し、サンチャゴを去り、明日はブラジリア入りする。

南米諸国連合の午後の会議の途中で、モリが米国共和党の重鎮とチリに現れて謝罪をした。2人はその後ブラジルへ向かう、という情報が齎された。
急に会議が熱を帯びたものになった。南米が遂に一つになるかもしれない、そして、中米も。
ブラジルへ向かったと聞いたポルトガル首相は急に元気となり、オブザーバー参加中のパラグアイ、ウルグアイの大統領の顔にも笑顔が浮かんでいた。

「ドンピシャのタイミングになったね」
里子外相に筆記したメモを見せたカナモリ首相はもう笑うしかなかった。まさか、共和党の重鎮に頭を下げさせるなんて、思っても見なかった。事務総長時代のNYで得たコネクションを使える強みがモリにはある。民主党はさぞガッカリしているだろう。これで外交問題など存在しない話になれば、今まで通りで問題は存在しなくなる。そもそも「証拠」を握っているのはベネズエラだけだ。ベネズエラが動かなければ、問題は顕在化しない。アメリカ政府も民主党も、証拠が無いままでは共和党の追求が出来ない。公聴会は開かれるかもしれないが、モリがノーサイドだと宣言したらしいので、形式的なものだけとなる可能性が高い。

メキシコとチリに侵入能力を見せつけたことで、現時点で誰も自衛隊に歯向かおうと思う国は居ない。ベネズエラがアメリカ大陸におけるキープレーヤーだと知らしめるのがモリの狙いでもある。
この種の駆け引きは、モリに取ってはお手の物だ。仮にメキシコと仲違いしたとしても、メキシコとベネズエラのメリダ市同士で友好都市提携を結んで、工場を建設してしまう。必ずしも国全体を掌握出来ていないメキシコ政府の間隙を縫う。そちらに大臣達を送って、工場用地の確保を済ませてしまう。相変わらず、たいしたものだ・・ 鮎は再びにやけてしまった。

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アメリカ民主党政権はメキシコを去る直前のモリの発言に落胆していた。民主党の為に、今回は動いてくれなかった。仲の良いの共和党の古参議員を引き釣り出して、その場を丸く収めてしまった。
必ずしも民主党一辺倒ではないし、アメリカの政局にはベネズエラと日本は関与しないというスタンスなのかもしれない。双方の政党に懇意にしている議員が居るので、最初からそうせざるを得ないのかもしれないが。

共和党はメキシコに関与した議員達を独自に事情聴取し、各議員に謹慎処分を出したと言う。謹慎明けには、ベネズエラが希望者は招待してくれるというので議員達は驚いた。8人で訪問団を組織することに決めた。

上院の院内総務がメキシコへいち早く動き、謝罪したのは誰もが驚いたが、その後モリと米国共和党寄りのチリとブラジルを訪問しようとしているのも驚いた。2カ国と接点のなかったモリとの間を、共和党が取り持とうとしているのかもしれない。
この右派政権と言われる2カ国との間が進展すれば、南米が一つの組織となる。そうなる事を共和党は警戒し、これまで警鐘を鳴らして来たが、今回の一件で已む無しと判断したのかもしれない。
結果として、ベネズエラとモリに、プラスとなって終わったように見える。
流れからして、偶然の産物のように見えるが、もし「こうなる」と予測して戦闘機を飛ばしたのだとしたら、もの凄い洞察力と言わざるを得ない。国務省が一連の動きを分析しているが、どういった判断を下すか何とも言えないが、このまま共和党を追い込むには至らない可能性が高い。

何れにせよ、南米が一つになった際の将来分析と、米国として南米にどう関与してゆくかを早急に決めなければならない。モリが中南米のフロントに立った場合、ブラジルとチリがどの程度までベネズエラに付き従うのか、はたまた内紛の材料となりうるのかまで、見極める必要がある。
もし、今が共和党政権であったなら、ブラジルとチリに離脱勧告をするなりして、何らかの圧力を掛けたはずだ。それが議会勢力を維持する方を今回は選択した。民主党として、南米とのスタンスをまずは決めよう。どうあるべきなのか、よくよく考えなければならない。

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ブラジルに向かうにしても遅い時間なので、チリの隣のブエノスアイレスに投宿する。
カラカスの空港で記者達を降ろすのと同時に、アマンダ総料理長とパメラ、スーザン、サーシャが乗り込んで来た。アマンダ以外の3人の目的は・・観光だ。
アマンダを連れてきたのは、RedStarHotelの厨房を借りて、本日の夕食を共和党院内総務マイケル・ルイスに振る舞う為だ。自分のホテルの料理長を信じていない訳ではなく、予測できるベストの料理を提供しようという判断だ。マイクには最高級のもてなしをブエノスアイレスで体験してもらう。南米諸国連合の会議の為に、エクアドルに大統領と外相が行っているので、国会議長にも食事に加わってもらっていた。

マイクは、自分で料理をするので拘りがある。アラスカの彼の別荘に行くと、何も手伝う必要がない。そのお返しをアルゼンチンの食材とアマンダの料理でもって倍返しをしてゆく。
RedStarBeerと、日本で発売された「国後12年」のモルトウィスキーで、
マイクが常用しているアメリカのビールとバーボンを蹴散らしてゆく。

「なんだい、これは・・」

「アルゼンチンの牛肉と野菜だよ。貴国に負けないだろう? 欲しけりゃ遠慮なく言ってくれ、ワインも旨いぞ」

「お前の経営しているホテルって、どこの国でもこうなのか?」

「料理長はベネズエラから連れてきたけど、ベース部分は変わらない。アラスカでこのホテルを経営して見ないかい?きっと儲かると思うんだ」

「そうだな・・、アラスカに限らず、国立公園がある観光地にあったらいいかもしれない・・」

「公園内に作るのは駄目だぜ。あくまでも公園のゲートウェイとなる街だ」

「それは当然だよ・・しかし、これも凄いな・・こんな芳醇なウィスキーは初めてだ・・」

「アラスカでこのウィスキーとビールを製造しようと考えてるんだ。あったら、売れるだろうと思うんだ・・」

「お前、スーパーやカフェだけじゃなくて酒まで乗っ取ろうというのか?」

「アメリカの皆さんに、選択肢を増やして差し上げるだけの話じゃないか」

「まぁ、これなら間違いなく売れるよ・・よし、ホテルも酒も、クォーター分、投資しようじゃないか」

「クォーターとは・・渋く出たな・・」

「何を言ってる。俺だけ出したなんて聞いたら共和党が崩壊するぞ。我も我もと、議員たちが参加するさ」

「あぁ、なんてこった。共和党のビールになっちゃうのか・・」瓶を取り上げて、見つめながら寂しそうな顔をする

「何を言ってるんだ。発電所や電車は民主党じゃないか。ホテルと酒くらいは我が党でもいいだろう」

それだけじゃ済まなくなるだろうがね・・モリは今日はこの位にしておこうと、微笑んだ。

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ブエノスアイレスの自衛隊駐屯地で、この日、日本語のラジオ放送がかかり始めた。宿舎館内は日本語が流れていたが、インナーフォンで各自衛官の主要語でも聴くことが出来る。

ラジオ放送の目的は本来は別にあるのだが、自衛隊駐屯地には、極東米軍のFEN、現在のAFNのように使って貰えればと思っていた。AFNはAM局だが、この放送局はFMとAMと2バンドで配信している。
自衛官が主に聴くのは、音楽局だろう。J-Music とWorld Musicの2局が用意されている。他にも「The United Nation」という局でニュースが聴ける。
館内は19時なので、このニュースが掛かっていた。タイ語、ビルマ語、スペイン語、英語で聞きたい場合はインナーフォンを装着すればいい。音楽を聴いていても構わない。

「米軍みたいになったな・・」いつもの食堂が、ラジオ放送が流れているだけで雰囲気が変わった。
最近は蕎麦と饂飩、それに天丼、牛丼、カレーの味がめちゃくちゃ旨くなった。値段は立ち食い蕎麦屋並の据え置き価格なのに信じられない完成度だった。この新作は自衛官達に喜ばれていた。これも製麺機と食材が日本から持ち込まれた、「不二そば」のメニューだった。世界中の自衛隊駐屯地と自衛隊病院に提供されるようになり、インディゴブルー社としてそこそこの事業となった。

各国の自衛官の生活環境を改善し続けるのも、日本政府と防衛省の重要な役割だ。ただ、プルシアンブルー社のサービスが採用される傾向はあるが、内容が良いだけに不満は少なかった。
それに、この日はベネズエラ大統領がアルゼンチン入りしたそうで、特別メニューで寿司とすき焼きが定食に追加され、各自欲しい人は生ビールが無料で振る舞われた。断る人など、誰も居ないので、食堂内が居酒屋のノリになっていた。
こんな日が年に何度かある。ささやかなものだが、自衛官にとっては嬉しいものだった。

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創刊したばかりの新聞、ネーション紙の番組欄のラジオ番組に見慣れないラジオ局が3局の追加された。
「United the Nation」というラジオ放送局で「News&Culture」「WorId Music」「J Music」と3局あった。興味本位に聞いてみると「只今、試験放送中です」とアナウンスが30分おきに入った。開局前のテスト運用をしているらしい。
音楽局はDJは出てこず、音楽は掛けっぱなしだった。選曲はAIが全て行っており、日本の音楽では何故かアイドルと演歌は掛からなかった。AIが旋律や楽曲パターンで気に入ったものを掛けまくっている。それから、ボーカル曲の場合は一定の歌唱力が無いと弾かれてしまうようだ。時折、選ばれる曲の中には歌唱力ではなくて歌詞の良さで選ばれるらしい。
洋楽局も似たような選定がされているようで、耳に残る曲、歌の上手いバンドや歌手が多いのが、この放送局の特徴だった。

News&CultureのアナウンサーはAIが努めている。ニュースの素材は最近発刊した「the Nation」の記事が中心となる。各記者の助手を務めるAIロボットのデータがAIサーバーに蓄積されている。このデータを元にAIがニュースを報じた後、引き続きニュース解説を行う。このニュースの背景にどんな事情や問題や歴史があるのか、分かりやすく説明する。

1時間おきに日本のニュースと世界のニュースを交互に報じて、最後の10分、もしくはニュースに関連する情報があった場合は1時間の番組中10分間で文化・トレンド情報を流す。大きなニュースの場合はネーション紙の記者が番組にネット参加し、コメントをするというものだった。
24時間流れていて「AIアナウンサー」は一台なのだが、24人の男女の声を使い分けて1時間おきに声が変わる。電波は10年前に携帯電話用で使っていた人工衛星を使い、世界中に配信する。AIなので聞いている国で言語が自動的に変換する。
「J Music」が韓国・北朝鮮では「K Music」に、アメリカ、イギリスなど英語圏では洋楽局があるあので国別の音楽局が無くなり、2局となる。

4月からの本放送に向けて日本と世界の大使館と自衛隊施設だけで試験放送をしており、世界各国の試験放送が4月からは本放送が5月を予定している。

試験放送の段階で、視聴率のトップに躍り出る。アナウンサーの声が渋い、聞きやすいと言う声と、CMが無いのが良いというのがネットアンケートで目立った。
ラジオ局にとっては脅威だっただろう。突然、ニュース専門チャンネルと音楽チャンネルが現れたのだから。

ベネズエラの大統領府、私邸でも衛星回線で繋いで試験放送を受信していた。メキシコから帰ったその日から、早速視聴を始める。皆、どんな感じだか興味があった。
この放送局のコストは殆ど掛かっていなかった。10年前に偵察衛星として打ち上げたお古を利用している。減価償却も終わっているが後15年は使えるらしい。また番組自体はAIが番組を勝手に作成して、音楽の選曲もしているので僅かなシステム費用で賄えるらしい。

「いやいや、お見事だよ。全然AIには聞こえないね・・」 樹里が彩乃の頭を撫でる。

「えっとね、先生の声でも聞こえるよ」

「そんなの作ったの? 凄いじゃない。聞かせて、聞かせて」

彩乃が設定を変えると、急に声が変わった。
「急に渋くなったな・・」あゆみが苦笑いする。

「この声、固定でお願い!」志乃がリクエストする。

「おばさん、流石に先生が嫌がると思うよ・・」 姪っ子のサチが言う。

「先生が居ない時はこれでいいじゃないの」志乃が、周囲を見回して同意を得ると、母親達も樹里も頷いている。

自分の母親が一番嬉しそうに喜んでいる。・・まったく、罪な男だね・・
あゆみは暫く放送に耳を傾けた。「ま、悪くはないか・・」と思った。

(つづく)

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