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TRPG制作日記(161) 天路歴程
一冊の本を読んでしまったために、人生のすべてが変わってしまった体験をした人はいるでしょうか? 本を読み、そして世界のすべてが変わってしまった体験をした人が。
ダンテの『神曲』、ボッカチオの『デカメロン』、ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』、そしてセルバンテスの『ドン・キホーテ』と四人の人文学者たちに触れてきました。
ダンテはカトリック世界を代表しており、ボッカチオは人間を普遍的真理を描くことではなく、人間を描くことに集中しました。
また、ラブレーは真理を探求や人間を深めることではなく、読んで楽しい物語に集中しました。
セルバンテスは、1605年の『ドン・キホーテ』において、物語で物語を攻撃することは始めました。
彼らはいずれも、小説を生みだした、小説以前の文学者たちと文学史で言われることがあります。
今日は、この文学者の最後の一人である、バニヤンに触れます。
ジョン・バニヤンは1628年にイングランドで生まれました。1265年にダンテが生まれてから、およそ四百年の後です。
この時代の文学の流れは、ダンテとボッカチオのイタリアから始まって、ラブレーがフランス、セルバンテスがスペインで、そこからドイツを避けてイギリスに向かったことになります。
バニヤンの代表作である『天路歴程』は、主人公が一冊の本を読むところから始まります。
一冊の本を読み、そして彼の中で世界が変わり旅が始まるのです。
前回、ルターの宗教革命の話をしました。ルターは聖書をドイツ語に翻訳することで、ドイツ人が聖書を読めるようにします。そして、そのことでプロテスタントという新しいキリスト教の流れが始まりました。
しかし、聖書の翻訳はルターのみが行ったわけではありません。
十六世紀以前は、聖書はラテン語にしか翻訳されていませんでした。そのため、ラテン語が分からない人々は、ただローマ・カトリック教会の司祭達の言葉を信じるしかありませんでした。
キリスト教というのは、ただイタリア人が信じることを信じることが正しいとされる宗教だったのです。キリスト教徒はイタリア人を崇拝して彼らを信じることでした。
しかし、イギリス王ジェイムズは野心を抱きます。
聖書を英語に翻訳して、そしてその英語の聖書を聖典としたイギリスとキリスト教を始めようとしたのです。
ローマ教皇ではなく、イギリス王こそがキリスト教の最高権威になる。
イギリス国教会のはじまりです。
ジェイムズ王は、1604年のハンプトン・コート会議にて最高の英語で書かれた一冊の本の制作という壮大なプロジェクトを発表します。
こうして生まれたのが、おそらくは最も有名な英語訳聖書、ジェイムズ王欽定訳聖書です。
この欽定訳聖書の誕生により、イギリスはイタリアの支配から脱してカトリックと手を切ることになりました。
自分達のキリスト教を手に入れたのです。
しかし、解釈と書物は同じではありません。そして、宗教とは書物ではなくて解釈に関係するものです。
イギリスは英語訳聖書を手に入れることで、また新しい事態に直面することになります。
バニヤンはキリスト教の伝道師でしたが、僅かな教育しか受けておらず、免許を持たずにキリスト教を教えたことで投獄されます。
当時、学のない人間、より正確には正規の教育と試験を受けていない人間が人を教えることは犯罪なのです。
しかし、彼は聖書を読み、そして自分が正しいと思ったキリスト教徒の道を一冊の物語にします。
それが『天路歴程』です。
この物語は一人の人間がキリスト教徒になる物語です。そして、そこにはバニヤン自身のキリスト教の解釈があります。
セルバンテスの『ドン・キホーテ』が破壊、あるいは反逆の文学であるとすれば、バニヤンの『天路歴程』は創造の文学です。
セルバンテスはカトリック的騎士道を攻撃しましたが、バニヤンはプロテスタントという新しいキリスト教を形にしました。
セルバンテスは破壊しただけですが、バニヤンは、自分で聖書を読み自分で新しい世界を創造しました。
そのため、これまで、バニヤンの『天路歴程』は伝道者達が聖書の次に翻訳する本として有名でした。
こうして私たちは、カトリックからはじまり、そしてプロテスタントという新しい宗教が生まれたのを目にします。
そして、それは演劇の時代から書物の時代が、人から与えられた解釈を信じるのではなくて、自分で本を読んで解釈して、その解釈を作品にする時代が始まったことも意味していました。
本を読むことは、それだけで革命なのです。
人生を変える一冊の本、という話をすると、たいてい私たちは新しい本との出会いを思い浮かべるかもしれません。
しかし、それが人生を変えるのがそれほどないかもしれないと思うのが私のこれまでの人生での結論です。
むしろ、私たちは自分達がよく知っている本を、内容をよく知っている本を読むことにより人生が変わってしまいます。
それは、読書が自分自身を知ることになり、そして自分が信じていた世界について考えることになるからです。
また、それはこれまで生きてきた自分自身の人生に、もう一度、自分を投げ込むことになります。昔の自分が好きだった本を再び読むことは、それだけで人生が大きく変わることもあるのです。
真理の文学、ダンテ。
人間の文学、ボッカチオ。
娯楽の文学、ラブレー。
反逆の文学、セルバンテス。
創造の文学、バニヤン。
『神曲』が戯曲であることを別にしても、彼らの作品が小説と言われることはありません(『ドン・キホーテ』はまれに言われます)。彼らの作品は小説ではなくて物語です。
そして、バニヤンを最後に物語の時代は終わります。
デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、そしてスウィフトの『ガリバー旅行記』という二冊の本を起源にして、物語は劇的に廃れて、小説という新しい時代が始まるのです。
今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。