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TRPG制作日記(211) ゲームシステムと世界観(リアリズム)

唐突ですが、次のような問題について考えてみましょう。

この世界には猫やリンゴが客観的に実在していて、私たちが日常生活で街や家で見ている猫やリンゴは、猫やリンゴに光が当たって反射した光が、私たちの目に届き、そして目から得た情報から脳で再構築して見えている。私たちに見えているのは脳が生みだしたイメージ(観念)であり、実際の猫やリンゴではないという世界観。

この世界には物質世界と精神世界があり、私たちが見ることができるのは精神世界だけで、物質世界は目に見えない。目に見えるものは目に見えないものから生まれている。


一方、逆の考え方もあります。この世界にあるのは目に見えている猫やリンゴという現象だけであり、目に見えている猫やリンゴはまさに見えているように存在していて、逆に、たとえば猫やリンゴの科学的な側面というのは人間の想像力が生み出している。

つまり、世界とは感覚の集まりであり、科学的真理は目に見ている世界を理解しようとして人間が創造した知識体系である。


私たちが見ているのは脳が生みだした妄想であり、その妄想の向こう側には物質世界(現実世界)という真実の世界が存在している。

あるいは、むしろ科学が明らかにする物質世界こそが妄想であり、実際に存在するのは目に見えている猫やリンゴだけである。

水素原子と酸素原子が存在していて、その結合した水分子の集まりを私たちは水として認識しているのか、それとも水が存在していて、それを理解するために水素原子や酸素原子を想定しているのか?

水素原子は実在するのか(リアルなのか)、それとも約束なのか?


実際に水分子が存在していて、私たちが見ている水というのは水分子の集まりを脳が認識して、私たちに見せている想像であると考えるのを観念の向こう側に物質を想定しているので唯物論と呼びましょう。

一方、実際に存在している水は水であり、水分子も人間の観念世界に存在しているという考え方、すなわちすべてが観念であると考える世界観を観念論と呼んでおきましょう。


ここで私たちは文学史において、ロマン主義の次にリアリズム、そして自然主義が来ることを思い出す必要があります。

この場合のリアリズム、そして自然主義というのは、私たちの人生は目に見えない資本主義から生まれているという哲学です。そして、リアリズムは唯物論が前提にあります。


この世界には様々な人物がいて、それぞれの価値観があり、それぞれの人生があります。

しかし、私たちの人生の背後には資本主義があり、現実の私たちが資本主義というゲームシステム上で動くキャタクターであるように、小説の人物というのは資本主義というゲームシステム上で動くキャタクターとして描かなくてはならないというのがリアリズムです。

資本主義ゲームシステムから生まれる現象を描写していく。そのことで資本主義を理解する。

リアリズムにおいては、小説は資本主義というゲームシステムを劇的に演出する世界観により書かれていなくてはなりません。マルクスとエンゲルスの資本論を読み、資本主義を分析して、資本主義を正確に理解してそれを表現するのがリアリズムです。



さて、TRPGに限らず、ゲームというのはほぼ例外なくリアリズムの亜種であると解釈できます。なぜなら、ゲームにはゲームシステムがあり、世界観はゲームシステムと整合的でなくてはならないからです。

これから、『太陽神の巫女-AmaterasuCard-』TRPGの世界観について考えて行きますが、ゲームシステムと世界観については、慎重に考えながら組み立てたいと思います。

『太陽神の巫女-AmaterasuCard-』TRPGのゲームシステムは、基本ルールとしてすでに完成しつつあるので、この基本ルールから小説を書くように世界観を制御する必要があります。



今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

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