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プーケットサンドボックス期間中に21歳の誕生日を迎える大学生がタイへの渡航を決めてから入国するまでの約2ヶ月を振り返る

※題名に比して本文もめっちゃ長いです本当に興味のある方のみどうぞ
「計画性」という言葉が脳内辞書にない人間なので全ての行動がぎりぎりでよんでるだけで気疲れしそうな記事になってしまいましたが悪しからず

7月5日 トビタテ留学JAPANに採用して頂く
嬉しいけど9月からラオスへの留学は不可能。もし2月からラオスに留学行けたとしても留学期間が半年だから*奨学金は貰えない。このチャンス逃さない方法何かないかな。。。
*新型コロナウイルス水際対策として連続した9ヶ月以上の留学しか奨学金が受給されない(2021年9月現在)

色々とお世話になっている日本国際ワークキャンプセンターNICEで中長期ボランティアのみタイの募集があったことを思い出す

💡まずタイ行こう。そんでそのままラオス行けば良いじゃん

留学支援共同利用センターの方に相談する。
可能だと思いますよと言っていただける。よし、タイ行くぞ。

すぐさまNICEの職員さんにLINE。あっさりと受け入れが決まるが、「渡航できるかどうかはやってみないと分からない。」とのこと。つまりは実験台。

7月15日 タイのNGOへの正式な受け入れが決定。かいさん(NICE代表者)、ご多忙の中私の我儘に答えていただき早急に参加申込証明書作成して頂きありがとうございました。

7月19日 ビザ申請書類を作るためにパスポートのコピーが必要になる。更新中のパスポートを受け取りに行くためだけに急遽金沢(え)から実家大阪に帰る。もうすでに早速計画性の無さが丸見え。

その後は課題地獄。オリンピックのせいでそちらに書類が着くのが遅くなるかもしれないと言われ、焦りと不安から強行開催されたオリンピックを恨んでしまう。

7月29日 受け入れ許可を頂いたタイのNGOから、ビザ申請のために必要な書類一式が届く。思ったよりも早い!オリンピック許す!(何様)
大阪の領事館でビザ申請する予定だったんだけど、東京より必要書類が多いので(そんなことあるのか)東京に申請することに変更。

7月31日-8月1日 トビタテの事前研修を受けて留学計画変更申請のコツを教えてもらう。渡航が確定してる人との温度差で尋常じゃない疲労感を味わう。

8月4日 ワクチン2回目接種した翌日、念じて薬飲んで在東京タイ大使館へ。「何でタイ行く?」というスタッフの質問に対し「やけくそ現実逃避」などと答えられるわけもなく、よくもまあどこから出てきたとつっこみたくなるような詭弁でやり過ごす。手応えのある反応をもらえて心の中でガッツポーズ。やっぱ就活の面接とか向いてるかもしんない(なめすぎ)
ビザ発券の可否は明日の午前中に分かるとのこと。早。90日しかいれないのに9000円は高いなあと思ったんだけどこれは妥当なのだろうか。

8月5日 実家にビザが届く。もうすでにやりきった感がすごくなる。ちなみにそのとき私は香川にいた。(どうでもいい)

その後は引っ越しや家族の予定やサークルの活動やらでバタバタして準備に手が回らず。この期間まじでCOE(入国許可書)取得に向けて行動しとけば良かったよ。

8月15日 東京の家を引き払い実家の大阪へ戻る。よし、タイの準備するぞ。COE (入国許可書)*が必要。10〜15日前に申請と大使館のホームページに書かれている。結構ピンチ。ワクチン接種証明書が未発行なことに気づく。大慌てで市役所に証明書発行のための必要書類を送付するが、郵送までに一週間程度を要すると言われる。間に合うかな。
*コロナ禍で新たに導入された、タイ入国の際に必要となる
仮申請のための必要書類
・パスポート(ビザ)のコピー
・新型コロナウイルス・関連疾患の治療費をカバーできる医療保険の支払証明書
・ワクチン接種証明書
・他に、滞在先の住所や日本での保証人の連絡先などの記入欄あり

仮申請が通った後、航空券、ホテル、PCRの予約証明書を登録してそれが受理されたらCOEが発行される。

二週間後にPCR受けるし迂闊に外に出れんなあと思い、ひたすらおうちに引きこもってtiktokを見る。ほとんど誰にも会わず。そもそも大阪にいることすら言わず。
(ふっかるの代名詞みたいな人間だけどこう見えて引きこもるのも得意)
それだったら英語とタイ語の勉強しとくべきやったよなまじで。

8月16日 保険には入らないつもりだったんだけど、COE申請のためにコロナまでカバーした保険の支払証明書がいると言われ渋々申し込み。損保ジャパンの一番軽いやつに加入。即証明書をオンラインで取得。無事フル単でしたおかげさまで国社の専門全て取り終わりました快挙。(これは自慢できる)

8月18日 やっぱ一週間待てん!ということでダメもとで市役所に電話したらいいっすよって言われたので急いで市役所へ行きワクチン接種証明書の原本ゲット。対応してくれた人たちみんないい人すぎて感動した。みんな大阪弁でびびったって母に言ったら当たり前やんあんたも東京に染まったなって言われてショックを受ける。
帰って即COEのオンライン申請を完了。

8月23日 仮申請で必要ではないSHA+ホテル(タイ政府がサンドボックス利用者の受け入れを許可したホテル)の予約証明書と、帰りの航空券が必要と言われる。聞いてねえ。
急いでとりあえず帰りの航空券は取ったもののホテルの予約証明書は明日にならないと来ない。無念再提出は明日。

8月24日 SHA+ホテルの予約証明書が来たのですぐさまPCRの予約をして(3回8000バーツ(約27000円)案外安い)、仮申請再トライ。認めてくれと神頼み。

8月25日 やっと申請が通る。またもややり切った感。ここにきて荷造りが全く進んでないことに気づく。遅すぎ。慌てて近くの100均やらドラッグストアで持っていきそうなものを買ってみる。パッキングのプロ母にダメ出しをくらい夜にもう一度買い物へ。母歩くの早い。

8月30日 6時に起きてPCR検査を受けにわざわざ上本町まで。久しぶりにミナミの空気を吸って人酔いした。あとおひさま強い。抗体ができてるか血液検査までしてくれた。一回帰って夕方にもう一回陰性証明書もらいに行って必要書類が全て揃った喜びを噛み締めてた。

8月31日 深夜出国。のはずが到着機の遅れで9月1日に。スターアライアンスグループのシンガポール航空を利用するのに何故かワンワールドのJALのお姉さんがとっても丁寧に入国のための必要書類を何度も確認してくださる。そして上司とも2者チェックを行ってくれた。これだけで30分以上かかった。ちなみに出国、入国のために必要な書類は全部で10種類。「なんでワンワールドの人が?」って飛行機に詳しい父に聞いたら「そういうもん」って言われた。なんで。そうこうして持ち金を少しバーツに替えて搭乗口へ。最新のエアバスが出迎えてくれましたお顔可愛すぎる。そうこうしてるうちに飛行機に乗りいざ出国〜🇯🇵

9月1日 憧れのチャンギについたはいいものの空港内ウロウロできず腕に紐巻かれて一つの場所に幽閉される。ずっとゲームしてた。二時間ぐらい経つとプーケット行きの人が招集され、航空券とパスポートを確認されてからプーケット行きの飛行機の方の搭乗口へ。水捨てられたし売店開いてないし自販機ないし喉乾いた詰んだ。時間になると機内に招集され、いざ出発〜🇹🇭
機内ずっと寝てて機内食も気づいたら終わってた。
ついて空港に着くと、順番に並ばされて書類を確認され、追跡アプリを確認され、荷物を受け取り、PCRを受け、ようやく空港外へ。迎えにきてくれたホテルの方の車に乗せてもらいホテル到着。PCRの結果が出るまでお外には出れないけどまあ普通に考えて陽性出るわけないのでとりあえず一件落着。

とまあこんな形でした!(もちろんPCRは陰性)

全体を通して何が言いたいかというと準備は早めに!早めに越したことはありません!この日記みたいな記事が誰かの何かの参考になればとっても幸せです!
(絶対ないと思うけど)何か質問などあればお気軽にご連絡くださいね〜☺️

※こんなに壮大チックに書いてるけどビザ更新とCOE変更申請ミスったらたったの3ヶ月で日本に撤退します

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