その人の気持ちに寄り添った企画とは【知的障害者と過ごした旅の思い出】
久々に投稿になってしまったが、その間、世の中は予想もできなかったくらいに大きく様変わりした。今後、私たちはいかにこのような状況と共生していくかを探りながら生きていかなければならない。
そういえば、こういった騒ぎがなければ東京オリンピック開会式だった。私はオリンピックには正直ほとんど興味がなく、社会が五輪フィーバーに沸くことを冷めた目で見ていたひとりだ。しかし、こんな状況になってしまうと不思議といろいろなことに対して同情を感じてしまうのはやむを得ない、
私が知的障害者グループホームのサービス管理責任者をしていたころ、一人の高齢の男性クライエントのWがいた。高齢ゆえの心身の衰えだけでなく、かなり気難しい利用者だったので支援が難しいと言われていたが、本人に寄り添い続ける中で自然と心地よくコミュニケーションが取れるようになってきた。
そんなある日、ホームの世話人より「Wさんが、タニモトさん(筆者)と東京オリンピックを観に行くって言ってましたよ」それはまだ2020年に東京でオリンピックが開かれると決まったばかりの頃である。
遠回しに「それまではなんとしても生きる」と言うことだったようだ。
胸が熱くなった。五輪に興味がある無いなど関係ない、そのような思いで過ごしていること、そしてその中に自分の存在が描かれていることに対して、である。
もし、自分の支援の中で、残り僅かな人生に対してポジティブな感情が芽生えたとしたらそれは実に名誉なことだ。まあ、そこまで自画自賛はするつもりはないが、今でも本当に印象深い言葉として脳裏に残っている。オリンピックが延期になった今、彼はどんな思いでこの時間を過ごしているのだろうか。
イベントと言えば忘れられない思い出がある。
とある年、知的障害者数名と小グループの旅行を実施した。メンバーはいずれも「支援が難しい」ほどこだわりの強い知的障害を持ったクライエントたちであった。付き添いとして、当時部門のリーダーだった私と、新人職員だった若いRが同行した。
Rは若さを発揮し、「自分が率先して旅行計画を立てます」といろいろな情報を調べ上げ、細かく刻んだタイトな予定表を作り上げてきた。
私をその計画を一所懸命作り上げたことをねぎらいつつ、旅行の目的は支援者が満足するのではなく、クライエントが満足すること、その基本を改めて説諭した。
そして、クライエントが支援者に合わせるのではなく、支援者がクライエントに合わせる形でスケジュールを練り直した。若手が考え出した6つほどの観光地を半分ほど削り、その場その時の状況で行先をクライエントと話し合って決めることにした。
結果、「難しい」と言われていたクライエントはとても満足し、何も問題となるような行動を起こすことなく、かつ「連れていかれた」というような疲労感もなく施設に帰ってこられた。
自分の「こだわり」と相反するとパニックを起こしたりかんしゃくを起こすクライエントが、帰りの車中で実に穏やかなほほえみを浮かべながら外の景色を楽しんでいた帰路は忘れられない。若いRにとっても非常に勉強になった機会だったであろう。
結果論として、うまく行き過ぎた旅行だったかもしれない。ただ、福祉関係の、旅行をはじめとしたイベント企画が「利用者目線」ではなく「支援者目線」で作り上げられていることに当時から違和感を感じていた。そんな中で、若い職員に「忘れてはならない考え方」を身をもって伝えられたのは私にとっても良い機会であった。
だからこそ、先述のWさんの「タニモトさんとオリンピックを観に行く」と言う言葉がうれしかったのである。
理想だと言われるかもしれない。でも、その理想を目指すのか、「そんなのできっこない」「そんなことしてる暇はない」と初めから匙を投げるか。それによって支援の質だけでなく、一番大事な「クライエントの思い」もはかりにかけられるのである。
障害者をはじめ、ハンディキャップを抱える人々の思いにこたえられる機会の創出を、またこういった状況であるからこそ、考えたいものである。
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