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フタをしないでお皿にのせる
私たちはネガティブな感情にフタをしてしまう、フタをされてしまうことがあります。
「そんなこと言わないの!」
「みんなそうなんだから」
その後には「だから我慢しなさい」「あなただけじゃない」
そして「こんなことで嫌だと思ったらダメなんだ」
「みんなしてるからしなきゃダメなんだ」
書いてるだけで苦しくなるような言葉です。
子どもも大人も、言われたことがあるし、言ったこともあるでしょう。
私は感情は生理現象に近いものだと思っています。
お腹がすいたらご飯を食べる、おしっこしたくなったらトイレに行くことと同じです。
「嫌だと思ってみよう」なんて思わなくても、嫌な気持ちは出てきます。沸いてくる感情はどんなものでも本当の気持ちです。
「ご飯を食べる?みんな我慢してるよ」「トイレに行きたいなんて思い込みよ。」とずっと止められてしまったら、元気はなくなるわ、病気になるわ、生命維持も難しくなってしまいます。
だからといって、感情のままに行動したり、言葉を発してしまうのは、その場で食べ終わったものを吐いたり、脱糞する行為だとも思っています。
わあ!出しちゃった!!と後から後悔することもあれば(出している途中の時もあります)、「やってやった」と意図的なこともあるでしょう。
その時の感情を持つことは自由ですが、表出させる方法は考えていきましょう。
こんなことを話している私だって、短気だし、イライラしたら口調がきつくなります。
それでも、腹立った気持ちやかなしい気持ちなど感情にフタはしないで、ちゃんとお皿にのせて、自分でも客観的にみれるように、相手にも失礼のないようにすると、対話ができるようになります。
もちろん、お皿にのせるまでの準備は必要です。
深呼吸をする、その場を一旦離れる、紙に書きだす、一回寝る。などなど。
何故その感情を持ったのか。何に腹が立ったのか。何が嫌だと思ったのか。感情の奥底にあるものを掘り下げていきます。そこから自分の承認欲求だったり、依存だったり、過度の期待だったり様々なものが見えてきます。
感情には何も手を加えません。素材第一の平野レミさんと同じです。
それを繰り返していくと準備も手際よくなり、「そうだね、今めっちゃ腹立ってるよね。」と私の中のレミさんが出てきてくれてお皿を選んでくれるようになります。
ここでまた一つの問題が出てきます。
何のためにお皿にのせて出しているのか?
自分がスッキリしたい?相手にギャフンと言わせたい?すごいと思われたい?
そんなことが出てくる時は一度お皿を下げます。
レミさんなら、「和田さんの喜ぶ顔が見たいから!」でしょう。
私もお皿を出すのは、その先にある楽しさや喜びを見つけられたときにしています。ない時はうまく対話ができません。準備してもそれを持たなかったために、不平不満、非難、批判に焦点を当ててしまって何度も失敗してきました。
そうすると、伝える言葉が変わってきます。だって、先には楽しいことが待っているから。そのためには、ヘドロのようなものを一掃するための対話が必要になるからです。
これは大人だけでなく、子どもにも必要です。
ネガティブな感情を持つことは悪いことではないということ。
そうなったときに自分だったらどうするか聞いてみること。「こうしたら?」と大人の考えを先に言わないように。
その感情がうまれた原因は何か。同じような状況になった時はどうしたらいいのか一緒に考えてみること。
対話でなにかしらの結論を出さなくてもいいこと。
うまいことを言おうとするよりも「ちょっと私も考えてみるね。あとでお話してもいい?」がいいと思いますし、話をした後でも「あれからまた考えてみたんだけどね、」と声をかけることもいいと思います。
事例に関わらず、その子が持っている不安感が見えたり、困ったときに発信できるかどうかを知ることもできます。
日々過ごす中で、まずは親子で、ご家庭で話し合う機会をもち、いろいろな意見があることを知って、誰かの主観に偏ったような曖昧な正解、不正解の2択ではない深い対話をすることが習慣になればいいなと思っています。