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【考察】LOOP H☆Rが本当にすごいバンドだと気づいたので笑えなくなった話

 2014年アマチュアバンドコンテストHOTLINEに出場した伝説のバンドLOOP H☆R

 その音楽の異質さ、ギターのTAKAとボーカルのYUKAの不思議な佇まい。ニコニコ動画やYouTubeに載せられるとたちまちバズった。

 というか笑い者になった。ヘンテコな音楽。醜い存在。音楽を理解しない馬鹿者。たまに「プログレwww」と評するコメントもあったが、明らかに心の内で見下していた。

 自分も例に漏れず笑っていた。共感生羞恥を飛び越えた道化として笑っていた。面白いから何度も見た。

 2017年、黒幕アダムが映像作家として加入した新生LOOP H☆Rは現在まで精力的に楽曲を作り続けている。彼の加入によって【すごいバンド】がどういう気持ちで何を訴えているのかが際立って分かりやすくなった。(同時に楽曲が見やすく聴きやすく大衆的になったため懐古厨も湧いているが)

 最近はYouTubeで質問コーナーも始めている。音楽性と同じように尖った動画になるのかと思ったが全く違った。2人のとても純粋で優しい人柄が溢れる動画だった。僕たちが笑い者にした狂人はそこにいなかった。黒幕アダムが編集でイジりつつ、ひたすらに平和な時間が流れていた。

 本記事では彼らを有名にした『孤独の鴉(孤独の鳥居)』のMVを取り上げる。

演出と歌詞の関係性

 ボロボロのアパートでのTAKAとYUKAの生活感溢れる暮らしがひたすらに描写される。

 汚すぎる台所。三角コーナーのダークマター、フタ開け放しの洗剤、窓にカーテンは無い。

 誰もが入るのを拒絶する浴室。壁や床のマットはカビで真っ黒、剥き出しの蛇口、右のスペースが余ったお風呂。

 ズタズタに切り裂かれた畳。どのように使えばここまで悲惨な状態にできるのか。

 MVを通してこの人たち大丈夫なのか?と心配するほどの汚い生活が演出される。
当たり前のことができない人たち。
常識的な振る舞いをすることが出来ない人たち。
生きづらい人たち。
外れてしまった人たち、として描かれている。

孤独の鴉(とり)よ
汚い 怖いって罵られても 
蒼の空を自由に飛んでるんだよ
嫌わないで 嫌わないで

 ここで歌詞を見る。「蒼の空を自由に飛んで」いる、つまり彼らはただ心のまま自由に振る舞っているだけなのだ。それを視聴者である僕らが「汚い 怖い」と感じて拒絶しているということ。

 YouTubeの質問コーナーで知ったが、彼らの人柄は純粋で繊細で優しい。ゆえに生きづらい。

 そんな2人の人生は多くの人に嫌われてきたことだろう。あるいはイジメを受けていたかもしれない。「嫌わないで 嫌わないで」という歌詞が切実な意味を持って目の前に現れてくる。

MV中の意味深な言葉

1.明日を絶対にする

 少し目を上げたところ、いつでも見ることができる場所に「明日を絶対にする」という強烈な言葉が貼ってあった。

 もう人生辞めよう、死のう、と考えると明日は絶対的なものでなくなる。死ぬと明日は消える。

 生きよう、などポジティブな標語ではない。"明日を絶対にする"というギリギリの踏ん張り

2.人生ゲーム極辛 [ストレス社会]

 まさにLOOP H☆Rの人生を象徴しているのではないだろうか。

 人生ゲームに乗った「はいはい」がジワる。深読みをすれば人間0歳児の2人が極辛の人生ゲームの上で這いつくばって生きているということの暗示かもしれない。

3.しつこい勧誘お断りします

 彼らの純粋な心に洗脳をかけようとする大人に対するパワーワード。「しつこい勧誘お断りします」と言って門前払い。

 彼らには彼らなりの生きていく道がある。部屋を片付けろ、掃除をしろ、という常識的な大人のしつこい説教はもう聞かない。


孤独の鴉よ 覚醒の時は来た
嫌われ者でも 罵られ者でも
想いや夢はあるんだよ

 圧倒的に社会に受け入れられない2人。純粋で優しいがゆえに「嫌われ者」になり「罵られ者」になる。「想いや夢はある」同じ人間なのに。

 彼らはその歪みを音楽に表現した。既存のコード進行や小節数のパターン、メロディラインから大きく外れた音楽。それはそのまま彼らの人生から生まれたものだ。

もうLOOP H☆Rで笑えない

 彼らは周囲から受けてきた社会の歪みを音楽で表現した。LOOP H☆Rを見ても僕はもう素直に笑うことができない。

 もちろんヘンテコすぎて笑ってしまうことはあるだろうが、そこに彼らを見下す感情は一切ない。極辛な人生ゲームで生き続ける彼らを僕は尊敬する。

 それでは聞いてください

 1曲目、孤独の鳥居



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