舞台でやる意味
演劇自論とか語るの凄い恥ずかしいのですが、今夜、久々にロシアに一緒に行った殺陣チーム「秋水」のメンバーと呑んで少し語ってしまったので、その延長で語ろうかと。
俺は舞台が好きだ。
昔はおじいちゃん、おばあちゃんたちがお客さんだった。
幼い俺が初めてもらったセリフは、
「あなたにとって秋とは?」
「八代亜紀!」
落語家さんのそばで学ばせて頂いていたので、とにかく言葉で遊び。
俺が台詞を言うだけで、お客さんのおじいちゃん、おばあちゃんが喜んでくれた。
次に大道芸。
街行く人々が俺のパフォーマンスを見て、喜んでくれる。
人を喜ばせることができるから、舞台が好きだったんだ。
それなのに、大人になればなるほど、自分本意の芝居の仕方をして、「良い役もらいたい」だとか「こうしたら演出家さんに気に入ってもらえるから」だとか。
今から思えば、だから、役者でいるのが嫌になったんだろうな。
そこからも舞台好きは変わらず、舞台照明の会社に入り、舞台照明をうち、たまに舞台監督をしたり、大道具をしたり。
そして、昨年舞台役者として再開。(当時のブログ記事http://s.ameblo.jp/yashirosatoru/entry-11995072495.html)
また、舞台役者に嫌気がさす。
チケット販売数で配役が決まり、チケット販売数や芸歴で色々と差別される、この商業演劇の世界。
「商業演劇だから仕方がない」
「この演出家さんはこうだから、こうしたほうがいい」
仕方がないこととは理解している。
わかってるけど、そんなんでいいのか。
「この舞台終わったら、次の舞台の稽古が始まる、切り替えていこうー!」
そんなんでいいのか、役者って。
台本ってのはさ、何ヶ月も脚本家さんが向き合い続けたんだぞ。
ひとつ、ひとつ、生み出された芸術作品だろう。
そんな簡単に切り替えれるわけないだろう。
役になる為に食生活や趣味まで変わる俺には、すぐ切り替えなんてできない。
今回の舞台「SANZ」の場合は、食生活をコンビニ飯、ポテトチップスなどのジャンクフード中心。
いかにも食生活が悪い。
これが俺が思うアインの食生活だ。
そんな感じで、過去出演作品の役それぞれに食生活や趣味があった。
「山本太陽さんは1年に何公演出演してるの?」と聞かれ、
「2回が限界っすよ!」
と、答えた。
1年に何公演も出てる人が丁寧に大切に舞台出来てないと言いたいわけじゃない、俺が不器用なだけ。
皆さん舞台ごとに切り替えもできて、色んな役ができて凄いと思うし、丁寧に役に向き合われてると思う。
俺はそんなに器用じゃないし、せめて1つの作品に半年ほど役と向き合う時間がほしい。
麦さん「最近、映像使う舞台多いじゃん。そんなに映像使いたきゃ、映画でやればいいじゃんって思うよね〜」
太陽「あ!確かに言えてますね」
宮迫「もぐもぐ」
麦さん「生で観れて、迫力あって、演者さんの熱さを感じれるから良いとかいって、舞台観に来る人いるじゃん?アスリートの試合観に行ったほうが絶対迫力あるし、熱さあるよね」
太陽「うわ、ほんまっすね」
宮迫「もぐもぐ」
麦さん「舞台でやる意味ってのを、ちゃんと考えないとね」
「舞台でやる意味」
あの板の上じゃないと、できないこと。
あの板の上でしか、表現できないこと。
それは、俺にとってこの男か女かよくわからない身体で、この声で、直接お客様の前で作品表現すること。
俺のやり方で、俺が演じたいと思う役で、俺がその年、その時間で表現したい作品をすること。
以上です。