矢吹丈の告白 暇刊!老年ナカノ日報⑬ 2019.7.8
恥をかかずにすんだこともあります
知ったかぶりをして、あるいは単に無知によりかしこげなことを言って大恥をかくというのがぼくのパターンなんですが、危うくそれをまぬがれたことがあります。むかし少年マガジンに「巨人の星」と「あしたのジョー」が同時連載されており、人気は伯仲していたみたいですが、質には問題にならない差がありました。ぼくはそれを原作者である梶原一騎(巨人の星の原作者)と高森朝雄(あしたのジョーの原作者)の差だと考えていて、いつか誰かに言いたくてたまりませんでした。その機会がないまま何年もたったころ、知人が言いました。「梶原一騎と高森朝雄は同じ人で。ペンネームを変えとるだけでえ」。衝撃を受けるとともに、例の愚かな見解を人さまの前で公開する機会がなかった幸運を感謝したのであります。
ところで連載当時、ぼくが買ってもらっていたのは少年サンデーで、マガジンは友だちの家や散髪屋で読むだけで、むろん話の推移は情報交換によって知っているものの、読むのはどうしても飛び飛びでした。「あしたのジョー」を通して読むことができたのは大学に入ってからで、学南町のあたりにあった「みるくほーる」という喫茶店で読ませてもらいました。それも何度も長居して2回通り読んだわけで、金にならない客でありました。お店をやっていたのはいかにもその時代っぽい背筋が伸びた感じのお姉さんで、堀出さんといいました。ぼくが長居したせいではないと思いますが、「みるくほーる」はしばらくすると店を閉めてしまい、その後思わぬところで堀出さんにばったり会ったりもしたわけです。
おれは…だめになる組さ
ところでその「あしたのジョー」の中に、強く印象に残ったセリフが二つあります。一つは夜の公園のシーンです。力石を死なせてしまい、虚脱してブランコに揺られている矢吹丈に、丹下段平は「日本でも世界でも/おおくの選手たちがおめえと同じ悲劇にみまわれた/それっきりショックでだめになっていった奴もいる…/しかし雄々しくのりこえて立ち上がった選手もある」と言います。するとジョーは「おれは…/だめになる組さ」と答えます。
ぼくはこれを読んだとき、ジョーは「だめになる」ことを選ぼうとしているのだと直感し、強い衝撃を受けました。だめになることができない自分を否定しようとしている、と思ったのです。しかしジョーはテンプルを打てなくなって連戦連敗したり、ドサ回りに入ったりと転落するものの、結局は「だめ」にはならず、立ち直っていきます。つまり、「だめになろうとしている」というのはぼくの思い入れだったわけです。
ところでぼくはしばらくして五木寛之の「海を見ていたジョニー」を読みました。ベトナムで罪のない多くの人間を殺すしかなかったピアニストのジョニーは、自分が駄目になってしまったと思い、仲間だったジュンイチに苦渋に満ちた演奏を聞かせます。ジャズは人間そのものだ、人間が駄目になったらジャズも駄目になる。汚れた卑劣な私にはこんな汚くて醜い演奏しかできない……。しかしジュンイチにはその演奏が素晴らしいブルースに聞こえます。それを告げられたジョニーは、わたしはジャズさえも信じられなくなってしまったと言い、暗い海に身を投げます。
ここでのジョニーの説明は非常に不十分なもので、口にすることのできない汚れをまとい、そこからは絶対に逃れられないと思うしかない人間の苦しみが、人の胸を締め付けるジャズを生み出していると考えればとても素直です。でもきっとジョニーは駄目になる人間であることを選んでいるのだと、その本の解説に寺山修司が書いていて、ぼくはジョーの言葉に対する自分の思いが肯定されたようで、ひどくうれしくなったものです。
いま冷静に読み返してみると、ジョーとジョニーはまったく違った意味を込めて、この「だめになる」という言葉を発していることがわかります。しかしぼくは、力石徹の葬儀を催した寺山修司は、「海を見ていたジョニー」の解説を書くときに、間違いなくジョーの「おれは…だめになる組さ」を思いうかべていただろうと今も思います。
あんたに…もらってほしいんだ…
もう一つはあの有名なラストシーンの直前、試合が終わった後のジョーのセリフです。判定の発表を待って気もそぞろな丹下段平にジョーは「グラブを…はずしてくれや」と頼みます。そのグローブを手にしたジョーは「葉子は…いるかい」とたずね、「こ…ここにいるわ矢吹くん…!」と答える葉子にグローブを差し出し、こう言います。「このグローブ…もらってくれ」「あんたに…もらってほしいんだ…」。誰もあまり言わないけど、これは、物語史上に残る愛の告白だと思うわけです。
葉子こそはもしかすると力石徹をさえ上回るかもしれない「あしたのジョー」の影の副主人公、力石とジョーのファム・ファタールです。出会いの時に侮辱されたこと、力石を殺されたことでジョーを憎悪した葉子は、ジョーが歩み始めている破滅への道を、一直線に辿らせようとします。別の言い方をすれば葉子は、力石を焼き尽くすまで燃え上がったジョーの炎に魅せられ、最大限の輝きを放つところまで一瞬に燃やし尽くそうとします。
ジョーははじめて会った時から葉子を嫌っているのですが、途中からそれは反発の色を帯びてきます。ジョーはもともと自分を燃やし尽くさずにはいられない破滅型の人間で、その道筋は自分が決めるしかないと感じている。いっぽう葉子は、ジョー自身も気付いていないジョーの真の姿を、自分だけは見てしまっていると思い、その隠された真の姿にふさわしい道筋を切り開いていこうとする。いま辿ると、互いに相手の熱情を(あるいは自分の熱情も)理解できないためのいさかいが、二人の間に続いていたのだと納得できます。
最後の試合の直前、ジョーの控室に現れた葉子は、ジョーが重度のパンチ・ドランカー症状にむしばまれていることを告げ、頼むから試合をやめてくれと懇願します。振り切って部屋を出ようとするジョーの前に立ちふさがり「すきなのよ矢吹くん/あなたが‼」と叫び、「おねがい…わたしのために/わたしのためにリングにあがらないで‼」と言います。ジョーは葉子の両肩に手を乗せ、「ありがとう…」と告げ、試合場に向かいます。二人の間にあったフェイクじみたものがすべて消え、はじめて心情が取り交わされる場面です。
今回気がついたことですが、「あんたに…もらってほしいんだ…」は、ジョーが発した最後の言葉です。そしてグローブを手渡された葉子は、ジョーを凝視しながら呆然と立ちすくむ姿を最後に、この漫画から消えます。どのコマの片隅にも、描かれることはありません。ジョーの生命が消えて行ったとき、葉子もどこかへ消えて行ってしまう。それもたった一言だけを交わして。あのラストシーン、矢吹丈の浮かべる微笑みは、「まっ白に燃えつきた」ことに対するものでしょうけれど、この世から消えていく前に葉子に和解を告げられたこと、わかりにくいけどまっすぐに愛を告白できたこと、その安らぎにもよるものだろうと、ぼくには思えるのです。