機械弁に祈りを込めて
前回、大動脈弁閉鎖不全症であることがわかったわたくし。
今回は、どんな手術を受けるのか、というお話から。
人工弁置換術
といって、大動脈弁を切り取って人工弁に付け替えます。
人工弁には機械弁と生体弁とがあって、どちらも長所と短所があります。
機械弁は長持ちしますが、牛や豚の組織を使って作られた生体弁は耐用年数に限りがあり、その場合、再手術が必要になります。
生体弁は体に馴染みやすいですが、機械弁は異物とみなされてそこに血が溜まりやすくなり、血栓ができやすいので、ワーファリンという抗凝固薬を一生涯飲み続けなければなりません。
出血したらそれを凝固させるというのは、神さまのお作りになった素晴らしい自己修復機能なわけですから、それを効かなくするものは「薬」というより本来「毒」なんでしょうね。
ですから、毒の効きが悪くなる食材は食べられなくなります。
健康に良い緑黄色野菜は採りすぎ注意。
ビタミンKがだめらしく、納豆が特にだめです。
never Not(納豆) eating!今のうちに食べネバー!
「納豆禁忌の機械弁」
というわけで、出来の悪いラノベのタイトルみたいな方を選択しまして、体の一部をサイボーグ化することに相なりました。
心臓へのアプローチの仕方もいくつかあって、最新の技術もいろいろありますが、わたくしの場合は正攻法と言いますか、正面突破と言いますか、胸骨正中切開というやり方になります。
胸骨を切り開いて万力でぐぐぐいっとアバラを広げてアラワにするんですって。
なんか、マグロ解体ショーとか、ラムチョップの塊とかを連想しちゃいましたか。美味しそうですね。すみません。
それから、心臓を止めて人工心肺に繋いでいる間に、弁の交換をします。
また、低体温にしますが、これは脳に障害が起きるのを防ぐためとか。
このあたりがこの手術のリスクで、死亡率は3%ぐらい。生きても脳に障害が残る可能性も2%ぐらい。
「100人中97人は助かる」
「100人中3人は死亡する」
同じことでも言い方によって印象も変わりますね。
しかし、この「3%」は高齢で体力がないとか、血管が弱ってるとか、もともとリスクの高い方だったりするので、自分の場合はほとんど心配ないでしょうとのこと。
ほっ。
ところがどすこい。骨形成不全症です。
ちょっと検索しただけで出てきた論文に、10年ぐらい前のものなので今はどうか知りませんが、骨形成不全症に併発した大動脈弁閉鎖不全症だと、周術期のリスクが高く、死亡率は、、、
人気ドラマ(最終回)の視聴率ぐらいになるみたいです。
でもわたくしは、骨形成不全症の程度もごく軽いと思ってるので、その数字もそのままには当てはまらないんじゃないかと思っているし、こんな数字にどんな意味があるのだろうとも思う。(明日、骨形成不全症について内分泌科を受診することになっている)
死ぬ可能性がある。
んなもん、誰でもそうですよね。
わたくしのストーリーがここで最終回だったとしても
亀仙人曰くの「もうちっとだけ続くんじゃ」なのだとしても
こればっかりは、神さまにおゆだねするっきゃない。
わたくし、生殺与奪の権は神さまに握らせっぱなしなので、とりあえず冨岡義勇さんには怒られるかと思います。
たくさんの友や仲間たちがイエスの御名によって祈ってくれていることは大きな力です。そのことだけでキリストの御名をあがめずにはいられない。
大変なんだ、つらいんだ、って言うと、
祈ってるよ、祈りますって言う。
クリスチャンにとっては普通のことなんだけど、あらためて素晴らしいことだなと思う。
キリストの愛がわたくしたちを結びつけてくださっているのだなと思う。
「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」
聖書 ピリピ人への手紙 1章20,21節
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