【昔話編】⑪選手として最後のWRO
今回は昔話編⑪ということで、高校2年生のとき、選手としては最後となる5度目のWROに出場したときのお話です。
中学5年生
高校2年生になっても、中学時代の同期たちとWROに出ようということになりました。3人チームで1人は1学年下の後輩が入りました。チームには入らなかった同期のメンバーたちもときどき手伝ってくれました。さすがに中学5年生にもなって毎日のように中学校の部室に入り浸るのは申し訳なかったので、私の家にロボットとコースを置いて取り組みました。
家でやるのはよくない
家でずっと練習していたのですが、あまりに没頭しすぎたせいで学業や生活に支障をきたしてしまいました。「今思いついたから今のうちにやってしまいたい」という言い訳をして学校の課題を後回しにしたり、寝る時間が遅くなったり。家でやると切り替えができなくなるのでよくないなと、今振り返ってもそう思います。
ロボットを作るのが下手すぎた
私はプログラムをメインでずっと取り組んでいました。ロボット製作をメインでやってくれていたチームメイトは学校が忙しく、あまり参加する時間がありませんでした。結果的にまた重心の高いバランスの悪いロボットを作ってしまいました。いくら自慢のプログラムができても、真っ直ぐ走るのも難しいようなロボットではどうしようもありませんでした。
大阪大会ボロ負け
そして迎えた大阪大会。結果は、まともに走ることができずボロ負け。私の選手としての最後のWROは決して輝かしいとは言えない結果に終わりました。自分の実力不足を感じた大会でした。翌年もWROに出たい気持ちはあったのですが、さすがに高校3年生。一応進学校と呼ばれる学校に通っていたので、大学受験のためにロボットの活動は休止することになりました。
次回予告
今回はここまで。次回は選手側から指導者側になったおはなし。
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