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本質を生きる

僕は以前、フィルムメーカーにインタビューをさせていただいていた。
たくさんの素敵な方々に出逢うことができ、とても大切な経験だった。

そこで先日思い出したことがあった。

僕は当時「しあわせな孤独」や「アフター・ウェディング」といったデンマークの映画作家スサンネ・ビアの作品が好きだったのだが、2012年に「愛さえあれば」という映画のプロモーションでスサンネがニューヨークに来ていたときに、ウォルドルフアストリアというニューヨークの老舗ホテルで彼女にインタビューをした。

インタビューが終わったとき、スサンネが僕にこんな質問をした。

「それで、あなたは本当は何をやっているの?」


2011 - 12 年頃のドローイング

僕は「。。。」となった。
咄嗟に言葉が出なかった。
何だか見破られたような気持ちになったから。
「今はマガジンに寄稿しています」とだけ僕は答えた。

でも実は正直うれしかった。
僕が少し違和感を感じつつ記者活動やっていたこと、彼女には見透かされていた。勘の鋭い彼女は、記者っぽくない質問をする僕に違和感を感じていたのだろう。
スサンネの率直な質問にドキッとしたけれど、僕の本質的な部分を見てくれる人がいたことに深くありがたさを感じた。

これまでは学歴、キャリア、資格など、いかにして履歴書を構築していくかに、世間では焦点が当てられていたように思う。
つまり外見の自分を装飾していく感じ。
だから「履歴書の上手な書き方」みたいなものが存在したし、それに沿って行動すれば結果が出ます、みたいな。
そういった誰かの価値観に合わせて生きることが世の中の普通だった。
「世の中のこれがいい」に自分を当てはめることに時間もエネルギーも注いでいるときには、なかなか自分の本質の部分は見ようともしない。

2011 - 12年頃のドローイング

僕は自分の本質には実はもう気づいていた。
いつかまたアートをやるのだろうとずっと思っていた。
だからスサンネに聞かれたときにうれしかったのだ。
そろそろ準備を始めようと思っていた時期でもあったから。
それにそのことを今でも覚えているくらいだから、彼女にあのとき出逢ったことが良い後押しになったのだろう。

おそらく大体の人はもう自分の本質には気づいているのではないだろうか。
気づいていながら、そこを見て見ぬふりをしながら生きている。
あらゆる言い訳をしながら。
そうやって生きるのも誰かにとっては1つの大切な経験。
僕もそれは大いにやった。
何がより良いということでもない。
僕はただこれからは自分の本質に沿って生きることを選んだだけ。
本質に戻ることに静かなワクワクのようなものを感じたから。
しっかり自分と、アートと、向き合うときが来たなと感じた。
それにワクワクした。

そのような選択をして生きていると、不思議と思いもしなかったような話がやって来たり、たくさんの人からサポートを受けるようになったり、今までの難しかった時間は何だったのだろうと思うくらいの展開を迎えたりする。
外の声に従うのではなく、毎瞬自分は今一体何をしたいのかということを意識していると、どんどん自分の本質に自然とつながってくる。
自分の本質が何かということをまず知った上で行動する必要もない。
ただ毎瞬の自分の気持ちに正直になる。
そうしていればただ自然と自分につながってくる。

2012年に作ってみた貼り絵の作品

初めのうちは恐怖も出て来るだろうし、「こんなことをしていて本当に大丈夫なのか?」と不安や疑いも出て来るかもしれない。
しかし、内なる自分の声に従っているうちに「あれ?何だか変わったな」と気づいていく。
これが面白い。
自分の在り方が変われば、この現実のあらゆる事象も変わっていくのはごく自然なことだから。
現実を変えることが優先ではないけれど、ただただ本質に寄り添って生きようとすると、僕たちは自然とそのように流れて行くというだけ。
それが今僕が感じていること。

本当はもっと素直な自分でよかった。
ここにやって来た人の中には、長いこと誰かや世の中に合わせて生きていた人も多いのではないだろうか。
でも今まを後悔しなくていい。
悪く思う必要もない。
これからだって素直なあなたを十分に生きられるのだから。
そこにこそワクワクしていてほしい。

後書き
今回はふと思い出した出来事から、本質の話をしてみました。簡単に書いたような感じではありましたが、本質に還るというのは本当に難しいことではないのです。素直な自分は難解な迷路ではなく、どちらかというとつるんとした透明の球のようなイメージ。だから簡単でいいのです。誰でも簡単に還ることができるのです。最も重要なことは大体シンプルですからね。

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