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涙が止まらなかった

ここ数日体調を崩して寝込んでいた。
急に体が思うように機能しなくなって、進めていたことも手を止めざるを得なくなった。

僕は基本健康管理はよくやっていて、ほとんど体調を崩すことはない。
今回寝込んだのも、たぶん2年ぶりくらい。
でも1度体調を崩すと数日その状態が持続する。
今回は微熱が数日続いた。

始めの日はかなりきつかった。
「あれやりたいんだけどな~」と頭の中が騒いでいたから。

2日目はただ手放した。
「もういいや」って。

そうすると理由もなくただただ涙が溢れてきた。
拭っても拭っても温かいものが溢れてくる。
その日は涙が止まらなかった。
ずっと泣いていた。

感情を伴わない涙。
塞き止めなければただただ心地がいい。
新たな気づき。

とある朝の風景

3日目の午後には涙は収まった。
「あれやりたい」
「これやらなくちゃ」
という声が遠くの方でまだ聞こえるけれど、もううるさくはない。

微熱のまま体を起こして窓から外を眺めた。
夕焼けがきれいだった。
あの色を見られたことがうれしかった。

そもそも今年の夏はゆっくりするつもりだったけれど、ありがたいことに新しい人との出逢いが作品展示の機会などを作ってくれた。
そんな中で、体に気を配ってはいたものの、あれやったりこれやったりと「やること」に頭が向いていた。
でも「ひと呼吸置きたいな」と心の中では思っていたのかもしれない。
あれだけ涙が出て来たのだから。

涙として出て来たものは、自分を重たくしていたもの。
ここ2ヶ月くらいのものではなく、きっともっと古くからあったもの。
それが浮上してきて、出ようとしていたタイミングだったからこそ、それを阻害するかのように、自然とやることにばかり意識が向いていたのかなと思う。
最後のあがき。
そのように自分で深く腑に落とすと、自分の軸が整った感覚になった。
全部大切なプロセスなんだ。

とある朝の風景

今日はとてもすっきりしている。
そしたら久しぶりに文章を書きたくなった。
整った自分の音を残しておきたかったから。

今にいると、私はただの私でしかなくなる。
つまり、人種でも性別でも肩書きでもない。
続柄でも名前ですらない。
だからこそ軸が整っていく。
「私」が引き出されていく。
アイデンティティに与えていた力が戻ってくる。

やりたいことはたくさんある。
アイデアがどんどんやって来るんだもの。
でもそのやりたいことやプロジェクトに焦点を当てすぎて「私」は見失わないようにしたい。

あまりにも私からずれたところで動き続けると、体が強制終了してくる。
意識も体も本当によくできているというか、ちゃんと連動しているんだということがわかる。
「私」は宇宙の賜物なのだ。
信頼でまた歩もう。

太陽

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