君とおなじ酒が飲みたい

嗜好品として酒を飲むのが好きだった。仕事終わりの一杯とか、人とうまく話すための潤滑油としてのーとか、そういう飲み方は好きではなくて。かといって、酒好きを気取ってやれこの酒は香りがどうだの味がどうだのと批評して回るのが好きなわけでもなくて。自分が美味しいと思う酒をその酒を一番美味しいと思える飲み方と肴とともに飲んで、「あぁ…うまい」と一言こぼせればいい。そういう飲み方が好きだ。欲を言うならば「あぁ、うまいね」と同じように酒を楽しんでくれる人が隣にいてくれれば最高だけれども。

けれどもだ。僕に酒の飲み方を教えてくれた君と飲む酒はちょっと特別だ。もちろんそれが好みの味の酒だったら先程言ったような最高の時間になるのはもちろんだけれども、君と飲むときは「君とおなじ酒を飲みたい」という気持ちのほうがずっと強い。
おなじ酒というのは概念的なもので、別に実際には違う酒を飲んでいたって構わない。酒の注ぎ合いをしたいわけでもない。(酒の注ぎ合いは寧ろ他人行儀で嫌いだ。手酌だって構わないし、偶然相手の盃が空いていることに気づいて「飲むかい?」「あぁ、いただくよ」って注がれるくらいがいい。)「君とおなじ酒を飲んでいるのだ」と思えることが重要なのだ。

それはつまりは君と一緒に酒を飲みたいということなのか?と聞かれると、それも違うと答えてしまうだろう。同じ酒を飲んでいつもと変わらぬなんとはない話をして楽しんでいても、おなじ酒を飲んでいるのだと思えないと、どこか君と飲んだ気がしないように感じる。いや、おなじ酒を飲んでなくたって君と共に過ごす時間は最高に素敵で楽しいのだけれど、それらでは満たされない渇きが最後に残るのだ。

自分の言う「おなじ酒」が何なのかはまだよくわかっていない。一種の精神的なつながりなのだろうとは思うけれど正体まではわからない。
  この渇きは何なのだ?
ここしばらくはこればかり考えているが、一向に納得の行く答えは出そうにない。でもこのことだって、君と話せばきっと答えが見いだせる気がするんだ。

あぁ、僕は今、君とおなじ酒が飲みたいよ。