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今日は戦争開戦の忌まわしい記念日。記念とは絶対に忘れてはならない日。終戦80年だ。しかしこの日は開戦だ。

絶対にやってはならないことを
やってしまった、、

だからこそ、忘れてはならない。
→ 記念とは、この意味である。
心に、深く刻むこと。

当時の新聞を
わかり易く、読み易い文字に
置き換えています。
我が国始まって以来の
全世界を敵に回して、
孤軍奮戦の数十年が
この日から始まったのだ。

これからの若い子も、
こころに、
強く、記す日である。
いつまでも
念じ続けていかないと
いけないのだ。

今の我も
戦争は知らない。

だから
我以降の若いひとも
知らないで当たり前。


しかし、
80年前の本日。

日本は、突如として
真珠湾に
奇襲攻撃してしまった。

あんなに、天皇は
戦争突入は避けなければ、
ならないとしたが、
軍はその天皇の命を
反故にして
勝手に突っ走ってしまう。


昭和天皇も、
これを終生悔やんでいた。

「朕の力及ばず、
軍を止めることが
出来なかった」と。


昭和天皇、皇后の
在位50年を記念した、
マスコミ共同インタビューで、
これを悔いていらっしゃる。

昭和50年の春に、
テレビ他のマスコミで
報道され、特別雑誌も
創刊された。

🔷この時の、
マスコミ共同インタビューは、
現在でも、Uちゅーぶで
拝察することが出来るはず。
1975年。昭和50年でした。

我は今でも
これを所持している。
かなり埃だらけだが。
恐らく1,000円だった。はず。

一冊は我専用。
一冊は祖母に購入して
きたのだ。
実は、祖母の依頼で鹿島書房に
自転車を走らせたのだ。

我はあの日、高校1年。
16歳だった。


当時の天皇はまだ
40歳だったのだ。

1901年産まれの昭和天皇。

かなり力不足は
否めない。軍部を押さえ込む、、

この力は、無かったと思える。

今の30-40代の
貴方たちと
そう変わらないのだ。

だから
天皇自身のせい、では
無かったのだ。

しかし、戦争責任の全ては、
天皇にあること、
これは否めない。


我はそう思う。
それでも、
一国の王たらんとし、
やるべき事は
やられてきたのでは
無かろうか?

寝る間も無かったので
あろう、と推察仕らん。



今の愛子さんの
曽祖父にあたります。

愛子さんにも、
この曽祖父の気性が

優しくもあり、
時に厳しいと、、

何処となく、それが、
乗り移ってはいないか?


1941年12月8日
京都戦時新聞から。

日本海軍、
ハワイ奇襲に成功!

米国は、
この日のことを、、、

リメンバー
パールハーバー!

決して
この事を忘れては
ならない。


我々、若者も

決して
この事を忘れては
ならない。のだ!

最早、戦争しかない。
戦争突入の
理由も確かにあった。

それは、
今の若い子が
個々に探索
仕らんことを
乞い願う。

日本人の愚かさ、
思慮の無さ、欠落。
孤軍奮闘しても、
誰も味方をしない現実。

学校の教科書以外に
書かれていない事。
これは山ほどあるのだ。


米英は敵ではなく。
我が国にありはしないか?

それよりも、
この愚かな
先人たちの行為を
忘れてはならない。

我が申す、若者とは、
我以降の若者を
言います。
即ち、1960年以降に
産まれた若い人たち。

これを考える、
12月8日だ。

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