TVと映画界の常識の差が理解出来なかった知られざる「太陽!を降板したかった72年当時の裕次郎の理由」
石原裕次郎が第一回の撮影
「マカロニ刑事登場!」終了後、すぐに
番組を降りたいと言い出した。
当初はまずは1クール(13回)三ヶ月の
出演契約だった。
つまり第三回の撮影は断りたいと、の事。
第3話「あの命を守れ!」
映画界では見た事がない「あんなチンケな
小さいカメラで、俺のアクションが撮影できるのか?」
また映画界では一つの映像を長い時間、日を掛けるが、
太陽は一回で2話分の撮影をする。
テレビと映画界での常識が
裕次郎には理解出来なかったのだ。
岡田プロデューサーと盟友竜雷太は
延々と説得するも石原は聞かない。元々撮影に遅刻はするわ、
あまり真剣さが感じられないゴリは、
石原宅に文句を言いに言ったのだ。
「しかし台詞はしっかり覚えている。裕次郎は頭も良い。」
これが当時の制作者評である。
そんな石原は、自宅で竜との酒を酌み交わし、
事あるごとに裕次郎は、映画、映画だと言う。
これに終に切れて、テレビしか知らない竜は
「映画が何だ?これからは映画は斜陽の時を迎える。
TBSの木下恵介アワー、水戸黄門、ありがとう、など。
視聴者皆がもうテレビの時代に傾倒してきている。
これからはテレビだ。
テレビを馬鹿にするな!」
と裕次郎相手に本気で怒鳴ったと言う。
これは後年、ボンが竜との酒の席で、ゴリから
聞かされたことだと、マスコミ関係者に漏らして
広まったことらしい。
ついでに熱血太陽ファンの筆者にも届いた訳です。
プロデューサーは、会社(日本テレビ)にも
企画書提出時に
この番組は長く続きます、と明言した手前、
石原裕次郎が降りて、更に
番組まで潰せなかったと岡田氏は語る。
当時の企画書は、太陽にほえろ!ではなく
「明日に燃えろ!」であった。
その時の企画書が残る。
↑正式タイトル「太陽にほえろ!」と記載
竜雷太が石原宅に押し掛けた時に、
その時同席していた夫人の石原まき子
(北原美枝)は、今あなたは36歳(当時)。
「うちには子供がいないが、もしもいたら
中学生になっていてもおかしくない。
その子があと10年、十数年後に石原プロの映画
を見てくれる可能性もなくはない。」
「いまはチャンスだから、裕さん。
貴方は、この仕事を続けなさい」
と優しく応援してくれたと言う。
しかしこの時の石原プロは赤字続きだったのだ。
この夫人の一言が、
太陽を続ける決心をさせたのだろう。
またプロデューサー岡田氏も感慨深くのちに
それを語っている。
★またジーパン時代の(第94話)「裏切り」で
視聴率が初めて30%台を記録(30.7%)。
【七曲署熱血探偵団・著
「毎週金曜夜8時 君は「太陽にほえろ!」を見たか?」
(1993年、スターツ出版刊)より引用】
ここで裕次郎は、「テレビでこんなにも
高視聴率が取れるものだ」と確信した。
このあとに裕次郎。
彼は石原プロで自作のTV映画を制作することに
踏み切る。これが大都会シリーズ。
PART3まで。続けられる。
★この後、日本テレビとある事で
決裂した石原プロは、手を差し伸べていた
テレビ朝日と組み、
それまでの出演者、スタッフもそっくりテレ朝に
移行させた。
石原プロの大番頭コマサ、小林専務が全てを取り仕切った。
日本テレビは大都会パート4を石原プロに
お願いするつもりが、オジャンになったという。
★ここから石原プロ企画演出の西部警察シリーズが
始まっていく。
いわば、石原裕次郎を映画界からテレビ界へ
移行させたのは、やはり男石塚ゴリ32歳の熱血が
裕次郎36歳の心と熱き血潮を動かした、と
言えるだろう。
あの時、
撮影は簡単にすっぽかす、
他の共演者も石原がそうなら俺も撮影には行かないと、
したレギュラー俳優たち。
だから、下川氏や小野寺氏、ショーケンも
あの頃はオープニングに顔を出していても撮影欠番が
多かったのは、その為である。
★ただ、竜と露口氏だけは、どんな状態でも
スケジュールされた撮影はやすまかったという。
この二人が居てくれたからこそ、
岡田氏もこの太陽を続けられたのだ。
二人はやはり必要不可欠な俳優だったのだ。
新人刑事だけの成長物語だけでは
決してなく、岡田プロデューサーの企画そのもの
が、ここ迄、永く息づかせた番組だと云える。
竜も石原氏の我儘し放題に、
こんな事が続いて行けば、番組そのものが経ちいかない。
岡田プロデューサーも日テレには、
必ず1年間は続けると太鼓判と大見得を切って
始めた番組が、
当の石原がすぐに降板するとは?話にならない。もっての外。
これまでの苦労が実らない。
ここで立ち上がったのは、
男竜雷太の上述の熱血漢魂であった。
先程申し述べたように
石原宅まで押し掛けて、
「嘗めるな石原!表に出てこい!話がある」
と竜雷太があの時行動しなかったら、
太陽にほえろ!の存続はおろか、
大都会、西部警察シリーズの誕生も無かったのだ。
後に
「自分を懇々と説得してくれたゴリには
僕は相当感謝している。」
「太陽にほえろ!は私の第二の青春だった」
裕次郎はそう述懐している。
だからこそ、ゴリのドラマの中の終焉に
当たっては、感謝の気持ちで
ボスだけが看取ったのだ。
部下の死に対面し、看取ったのはゴリだけだった。
第525話「石塚刑事殉職」。
丁度番組開始後10年目の事である。
これは90分スペシャルである為、
Rutubeではかなり短縮されています。
次回予告もカットされています。
話を元にもどすが、
この時は、マカロニ同様、数ヶ月後
ジーパンも死んでしまうという熱狂的太陽ファンの「噂」からくる
後押しもあって段階的に
視聴率向上に繋がったといえるのではないか。
また、山村精一警部補の殉職編。
「だったら何故山さんを殺したんだ!」と
お宝テレビデラックスで、
また「山さんを何故殺したか?」
ダンカンの質問に、
岡田氏曰く
精神的に肉体的に露口茂ももう限界だと。
そういう申し入れが山さんからあったという。
だから降板を受け入れたと語る。
また、他の番組でも露口氏は辞めた当時、
今でも街の「山村宅」という表札を見たら
ドキっとすると答えている。
「僕も山さんは好きだった」と。
演技者をその気にさせる脚本と、
心ある、俳優を気遣うスタッフに支えられて
番組は14年7ヶ月
(パート2の12話を含めて)続いていったのだ。
よってこの視聴者へのボスを思う気持ちの
言わば制作側の代弁が、
あの第8話「真夜中の刑事たち」で登場する、
寿司屋「寿司八」で
皆がボスを評した各自の台詞。
これが当時降板を考えていたボスへの
制作側を含めた引き留めメッセージに
なっていたのではなかろうか?
だからこそ寿司八は第8話のみ、
一回しか番組に登場してこなかったのは頷ける。
太陽にほえろ!の
各話の台詞の中には
こんな分厚い意味が隠され、
含まれているのだ。
何度も見るごとに味が出てくるのだ。
視聴率だけにとらわれない、味わい深さが
この番組の脚本にはあるのだ。
太陽にほえろ!一熱血ファン
姫洲和彰 (今上天皇と同学年同世代です)
山口百恵、京本政樹と同学年同世代です。
誕生日のみ神田正輝と同日です。
暫くはマカロニ時代の蘊蓄話を続けます。
次回は
第22話「刑事の娘」