男石塚ゴリ★対決名作選 73-74 第56話「その灯を消すな!」前振り蘊蓄
まずは、
故小林恭治ナレーションの
次回予告から。
「暴力追放!それは、
市民の勇気と努力の賜であった。
しかし 根強い暴力団の組織は
御礼参りを兼ねて、本格的に
街の支配権を握ろうと 乗り出して来る。
度重なる暴力行為の前に、
遂に血の気を失っていく市民。
そんな時、
地位も職もかなぐり捨てた、
男石塚の正義感と怒りは
熱く燃え上がる!」
これは、マカロニ時代の
第42話「知らない街で、、、」の回を
ジーパン時代での続編的要素を
醸し出し、再現した作品かな?
しかも、マカロニ時代の
この「知らない街で、、、」では、
神奈川県秦野市で、ロケーションをした。
全編の80%はゴリの独壇場要素が
多くあった。
同じようなストーリーテイストだが、
今回は純が加味され、
ゴリとジーパンの初コンビ活躍が
全編の80%以上となり、
その中でも更に80%位は
ゴリの単独行動編。
だから、80✖️80%で、この回の
ストーリーの64%は、
即ち全編の2/3は、ゴリ単独活躍編と言える。
■ストーリー概略に入る前に、
リンクして、それ以前の話を引っ張り出すと
オカシな箇所が、台詞の中にある。
これを皆様にお伝えします。
過ぎ去った過去のストーリーは忘れてしまい、
皆様は気づいていないと思うから。
本編に入る前に
少しだけ、解説します。
マカロニ時代での他の回。
上記の第42話に続く
第43話「きれいな花にはトゲがある」。
ボス(鬼)が署長室で言った台詞と、
今回のジーパン時代
第56話「その灯を消すな!」。
今回の一係室で太陽!レギュラー出演、
四話目のクミと純がいて、
他の皆が居る前で、鬼が説明した台詞では、
少し「え!?」と思える箇所が。
今回も、シンコは出演はお休みです。
※これは、視聴者に初めて説明される、
ゴリの前職の警察署。
即ち、マカロニ時代では説明されなかった
ストーリー。新人のクミと純は知らなくて当然で、
尚かつ、
他の同僚たちは知っている件(くだり)です。
だが、
全体の脚本の流れに、
整合性が取れていないのではないか?
と思える台詞があります。
🟠更には、ボスとゴリが
仕事を一緒にやってきた時期と期間
の説明をボスが話している。
それは、56話以前のストーリーにある。
🟣これが疑問の出発点。
問題の台詞なのだ。
これが、43話にある。
↓↓↓
第43話「きれいな花にはトゲがある」では、
女には全くもって興味がないゴリに、
いつの間にか、
結婚詐欺容疑がかけられ、
また傷害容疑で訴えられる。
その見えない罠に堕ちていくゴリ。
ゴリの処分をどうするか?
各関係責任者たちが集まっている
会議室で、
「私はゴリと10年間一緒に仕事をしてきた。
署長!、あなたは
ゴリの何をご存知なんですか?
アイツは結婚を餌に、女から
金品を巻き上げるような、こんな事が
出来る人間では一切ない!
私は奴を信じてます。」と
署長に詰め寄り、怒りをぶち撒けるシーン。
太陽!が放送開始直後から、
初めての初秋を迎える頃に撮影した話。
若い37歳終盤の裕次郎が、そこにいた。
◆この時の署長は髭のあの署長。
役名無しの二代目七曲署署長(南原宏治)。
単に署長というだけ。名前が無い可哀想な南原さん。
それから、たった3か月の後の、
🅰️第56話では、ゴリはボスに対し
「私が七曲署に来たとき、
ボスと約束しましたね」
それが五年前の約束、と言う。
この時には、ボスとゴリは
出会っていないと思われる。
放送時は昭和48年1973年8月。
1973年の五年前は、昭和43年 1968年。
あの府中で起きた三億円強奪事件が
起きた年。筆者は小学三年生でした。
筆者はキャプテンウルトラに夢中でした。
しかもボスは、純やクミに対して、
「ゴリはここへ来る前は、
横浜港署の刑事だった」と説明。
◆あの「あぶデカ」の港署ではあるまいに。
「あぶデカ」は1986年10月放送開始。
太陽!終焉は1986.11月。
即ち、入れ替わりの放送時期。
昭和の最後に放送された名作。
と、言うことは、
ゴリとボスの出会い。
何度も言うが、ここまで、
まだ五年しかない、という事が伺える。
また、港署は神奈川県みさき市、にあると
鬼は説明している。仮名(かめい)の市か?
現在では、神奈川県三浦市三崎では。ではないか?
だが、🟣第43話の台詞では、
ボスは、同僚期間は10年と言っている。
なのに、上記5年とはかなり開きがある。
よって書かれている脚本に、
全体の時代の流れに、
整合性が無い矛盾があるのです。
更には、第43話の3ヶ月前。
七曲署一係の係長が
ボスに変わった事を知らない女が、
署内でボスに発砲した殺人未遂事件を
描いたストーリー。
これが、第32話。
マカロニがラストシーンで、
二回目の容疑者射殺をしてしまう話。
一回目(第20話)は沢田研二を射殺してしまう。
🅱️第32話「ボスを殺しに来た女」では、
ボスの前任者(故佐藤慶)が
七曲署に来たのはニ年前、
つまり昭和45年には一係長だったと、
(佐藤慶)自身の台詞で説明されている。
その前任係長(佐藤慶)を狙って
上記の事件を起こした。
即ちボス藤堂俊介は間違われたのだ。
◆このストーリーも、
日テレの「刑事貴族」(郷ひろみ)編で
リメイクされている。
マカロニ役を 郷ひろみ、が演じた。
ということは、
ボスも昭和45年以前には、
他の署に居たことになる。
それが伺えるのは、
さらに前の物語。
第13話「殺したいあいつ」での
ボスの元同僚ハナ肇の台詞。
また内田シンコの父を演じた。
「係長になっても、まだ現場の事が
忘れられないんだ!」と。
だから係長になったのは、間もない頃と推察。
しかしながら、上記のゴリが
七曲署に転属した時。
ゴリが言う五年前。
昭和48年の五年前は43年。
その時の上司は藤堂俊介だった、と。
係長でなくとも、何処かの署で
一緒に仕事をしてきたのかも
知れないが。
よって、番組ストーリーでは、
🅰️と🅱️の台詞と時代が
削ぐわなくなります。
どちらにせよ、
🟣第43話では、
以降の回を探ってみると、
「私はゴリと
10年間一緒に仕事をしてきた。」
という台詞は、間違いと思える。
このように
あとの回の台詞と
チグハグな事が、起きているんです。
※筆者は、刑事コロンボか?
辻褄が合わない何処は
徹底して追求したい。
おかしな部分は、絶対におかしい。
どうしても納得出来ないのです。
大好きな太陽!だから。
全てのストーリーを見ていないと
気付かないのです。何しろ、
全718話のストーリーを観るってことは?
大変なんです。
PART2は、さらに12話ありますから。
しかし、令和時代でもう視聴できない
全話のストーリーは、
10話以上ありますかね。
Rutubeでも、視聴出来なくなっている話が、
ジーパン編に少なくとも二つ以上あります。
上記は、皆さん、分かりますよね。
高学年小学生でも、台詞と時代が
削ぐわなくなっていること。
こんな単純計算は理解出来ます。
太陽!脚本の全体責任者である、
故小川英氏は、
天国でどう感じておられるか?
※1972年当時の制作側は、
太陽!がこれほど長期間、
放送していけるなんて、
当時は思っても見なかった事
なんだろうと思います。だからこそ、
台詞なんか、どうでも良かったのではないか?
視聴率が上がっていけばいい、と
それだけ、か。
まずは、番組を尻切れにはしたく無い。
岡田晋吉(ひろきち)プロデューサーも、
今度は長続きさせます!と
日テレに大見得を切っていたから、
もう後には引けなかったのだろう。
前作「東京バイパス指令」が
長続き出来なかった反省が
そうさせたからか?
前作が長続き出来なかったその理由は
前作の脚本が長続き出来なかったと
岡田さん、自ら仰っています。
だから、新人脚本家をどんどん後期では
登用して行ったのです。
◆また、その頃1972年は、
番組「継続の癌」になりかけていた、
石原裕次郎と萩原健一の二人が
始まったばかりの番組を早く辞めたいと
制作側に詰め寄って居た頃でもあり、
※この話は、当蘊蓄話のブログトップに
固定してあります。
裕次郎の顔写真からお入り下さい。
皆様ぜひご覧頂きたく。
◆番組内容を初期にはしっかり詰めていなかったことが、
なあなあと続ける【ええ加減な制作】に繋がっていった事も
否めない事なのかも知れませんねー。
◆だから、後々のストーリーで
チグハグになる結果となる。
また、他の映画撮影の 関根恵子や
他の出演者が、他の番組との出演掛け持ちが、
制作スケジュールを混乱させていたのです。
こんな事が続いていけば、
早晩太陽!は消え去る運命になる。
しかも、第43話の撮影の頃には
次の新人松田優作の起用は
決まっていた頃でもあったのだ。
この第56話「その灯を消すな!」でも、
他の出演者はスケジュール調整で、
ほぼお休み。
第42話「知らない街で、、、」と同様に、
最後ラストに、全員が顔を合わすだけ。
ゴリと新人の純だけが、
屋外撮影に参加出来た訳です。
というより、番組進行を
この二人に頼ざるを得なかったか?
上記の理由があった為と推察します。
今回は、
このような曰く付きの
第56話「その灯を消すな!」の
前振り蘊蓄として、
皆さんに、別の事前勉強として、
筆者の疑問点を申し上げました。
サブタイトルと同じように、
「太陽にほえろ!」の番組継続に、
かなりの危機感があった頃です。
番組を潰してはいけない。
出演者が、ひとりひとり去っていく。
そして、撮影に戻ってはこない。
「その灯を消すな!」と、
番組スタッフ、制作側の想いが
込められていたのではないか?
そんなサブタイトルなのです。
太陽にほえろ!番組継続には、
野崎太郎、山村精一同様に、
絶対欠かせないのが「男石塚」。
彼が居ないと困るのだ。
彼の爆発シーンが
見られるストーリーをお話しします。
応援に来た純に対して、ゴリは
「言っとくが、暴力は絶対やるな!」と言ったが、
先に手を出したのは、ゴリの正義感に祀られた
熱い鉄拳だった。その熱さに
ジーパン柴田純もタジタジとなり、
今回はゴリの引き立て役を演じています。
若手だけの、太陽にほえろ!は
何故か面白くはないのです。決して。
若手だけでは、
脚本の重厚さを演じることが出来ない。
オジサン三人、中堅二人、若手二人。
この七人がいてこその、七曲である。
七人のヘソ曲がりの丁々発止を
毎週観たいのです。
だからこそ、ボギー、ラガーの二人が
在籍していた時代では、
チャラけたストーリー内容と、
主に渡辺徹の、
これまでの視聴者を馬鹿にした台詞。
人を喰ったような演技。
バブル経済の始まる寸前の、
「人間たちが薄っぺらかった時代」の象徴。
かつての熱い太陽!を観ていた視聴者は、
徐々に面白くなくなっていく。
特にラガーがそう!、あいつは不要だった。
それより山下真司スニーカーの成長を見たかった。
視聴者は多く離れて行ったのだ。
視聴率30%なんて程遠くなってしまった。
時に、太陽!を潰そうと企画された、
裏番組「金八先生」を上回ることも出来ない。
金曜日夜八時と云えば太陽!でなく
「金八先生」だ、と視聴者に浸透していく。
太陽にほえろ!が裏番組になっていった。
20%前後の低空飛行を
視聴率は繰り返すようになっていく。
20%を行ったり来たり。
また20%も超えられなかった。
ともすれば、ジリ貧となって行った80年代。
ラガーに至っては、
マカロニ早見淳の二代目になるように、と
プロデューサーから名付けられた竹本淳二。
しかも二人の監督、竹林、山本の両人からの
諱を役名に貰った。がしかし、
マカロニを超えることはとうとう、
どうしても出来なかったのだ。
しかしながら、
ゴリと山さんのみ、
太陽にほえろ!優先のスケジュールを組み、
撮影のみならず、個人生活スケジュールを
含み、だそうですが。
殉職まで、一切番組を休まなかった、
番組継続の一番の功労者です。二人とも。
だが、しかし。
◆1976年のモントリオールオリンピックが
開催された年。昭和51年。
日の丸Japan 女子バレーボールチームが
64年東京五輪大会以来の 金メダルを取った年。
太陽にほえろ!では、
第一期スコッチ時代。
言うなれば「ボン、スコッチ時代」でした。
太陽にほえろ!視聴率がガタ落ちしなかった頃。
殆どが30%強で、これを下回ることは無かったのだ。
第217話「スコッチ刑事登場!」の視聴率は
なんと、41.5%(外資系ニールセン調べ)。
テキサス殉死の後の、
沖雅也の人気に支えられた。
これまでの固いチームワークをかき乱す、
スコッチに視聴者は吸い寄せられたのだ。
今までに無かった登場人物滝隆一の性格設定は、
大成功だったのだ。
このスコッチに熱く牙を向く体育会系ゴリ。
ボンも先輩スコッチに、「このスコッチ野郎!」と。
その時代のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で、
露口さんは、太陽にほえろ!と
掛け持ち出演されていました。
最後には、加藤剛演じる平将門の頭を
弓で射抜く役でした。
※これは露口さんしか、出来ない演技。
だからこそ。露口さんは、出演を快諾したのだろう。
また、吉永小百合(右) が、『立膝座り』を
NHKが映像で試みた作品です。
※使用人は 奈良岡朋子(左) さん。彼女も立膝座りですね。
使用人であるから、吉永さんより下段です。
当時の高貴な女性のみ、立膝座りは許されていた。
しっかり映像で確認できます。
天皇家縁の高貴な女性が、男たちに身を売り、
落ちぶれていく役です。
最後には、吉永小百合は斬殺される。
◆次に『立膝座り』をNHKが映像化したのは、
同じ大河ドラマ『麒麟がくる』で、43年振りに映像化。
画像をよく見ないと分かりません。
■『立膝座り』については、
小和田哲男先生の【小和田チャンネル】で、
動画解説されています。
太陽!に戻りますが、
特にジーパン以降、
新人たちの教育を
プロデューサーから引き受けた、
体育会系「男石塚」のお陰で
番組は長続き出来たと言えるのです。
刑事ドラマでは、当時最長記録。
開始から14年7ヶ月は、以後も殆どない。
ここまで。
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