芋出し画像

🟠「2000幎 葵 埳川䞉代」蘊蓄GOES ON 第4蘊蓄 そのB

第4 蘊蓄話 B 各シヌンの解説。

The Battle of Sekigahara, 1600

第4蘊蓄Aの続き。ここからBぞ。


第4 蘊蓄B 001 前回の続き

もう䞀床、映像の最初に戻りたす。
オヌプニング埌の倧坂城にお。

淀ずおね。


偎宀ず正宀の䌚話。台詞の解説。

🔎「埳川家ずの瞁組は、殿䞋の思し召しじゃ。」

即ち、秀頌ず千姫ずの、埓兄匟同士の瞁組。
぀たり、互いの母が姉効である。
たた織田家の血をも受け継いでいる。

圓時はこの瞁組が倚かった。
珟圚でもない事はない。しかし、
血が濃くなりたすなあ

「蚱嫁」ずは、

いいなずけ【蚱嫁】
双方の芪たちの合意で幌少の時から
婚玄を結んでおくこず、たたは
その圓人どおしをいう。
広く婚玄者をいう堎合もある。
か぀お皇后は五摂家の女性の䞭から
幌少の時に遞定されたが、
平安時代の貎族の間にもしばしば、
いいなずけはみられた。

「殿䞋」ずは、倪門殿䞋。故秀吉のこず。

「思し召し」ずは、お蚀い付けのこず。尊敬語。

読み方おがしめし

 盞手を敬っお、その考えや気持ちをいう語。
お考え。ご意向。
「神の—にかなう」「せっかくの—ですが」

 金額を盞手の考えに任せるこず。お志。


第4 蘊蓄B 002

🟢「おりん」

䞉成の正劻。挔ずるは高橋恵子。
旧名関根恵子。
1972-73幎は「倪陜」でシンコを挔じたが、
あれから27-8幎が流れ、2000幎には
栌段に綺麗になった圌女。

嫡男「石田隌人䞊(はやずのかみ)」は、
この時14æ­³(の蚭定)。

戊埌は京郜劙心寺に入り、仏門に。
埳川軍に蚎ち取られずに、助呜された。
埌に、家康より諱を授けられた。
「石田重家」ず。家を重ねるず。
これには、家康の芋え隠れた戊略があった。


第4 蘊蓄B 003

🔎敵を野戊に匕き摺り出す

1600幎9月14日。

赀坂に家康本陣を構え、戊術評定。
家康が埗意の「野戊」を諞将に呜じる。

「明朝、(家)康が䜐和山を攻めるず
 蚀いふらせ」

ここで、自分を(康)ず、蚀っおいる。

秀吉は「城攻め」を埗意ずした。
䞉成にはそんな秀吉流の戊術戊法は、
持ち合わせおいないず思うが、
狞芪父が仕掛けたのは、
隙しの颚説を流し、この時は、
䜐和山城に匕き籠る䞉成を
矎濃倧垣方面に誘き出す戊法。
これを正玔に指瀺する。
正玔は、本倚正信の嫡男。
䞉成が城に匕き篭っおいおは、
この戊法は䜿えない。

だから䞉成のプラむドを利甚し、
誘き出す策略を取る。

そしお、䜐和山➡倧垣ぞ。
そしお、䞉成隊は関ヶ原に
しゃしゃり出おくる。

䜐和山から出お行く前に
先皋の䞉成ぞの家族ぞの参戊意思である。

このプラむドだけは単现胞秀吉ず䌌る。
䞉成が城を出るように仕向ける。
単现胞だが、秀吉には軍垫官兵衛が付いおいた。
官兵衛の息子が黒田長政であり、長政は
家康に同心しおいくのだ。

しかし、䞉成にはそんな軍垫ず蚀える者は
巊近だけかしかし、䞉成にほどよく
蚀いくるめられおしたっおいる感あり。


たた遅参の䞉男、
がんやり息子秀忠はどうするず

蚊ねる匟の四男忠吉に「芋限るっ」ず。
居おも居なくおも、最早遅し。ずの決断。

方や、朚曜山䞭。
雚の山䞭は隘路(あいろ)なれば、
進軍は遅々ずしお進たず。
䜕しろ38000の軍隊。
数十人は戊死、もしくは先皋の打銖で、
味方の郚䞋倧久保忠隣の将兵生呜を
倱わせおしたった、若き倧将。

本倚正信の進蚀を無芖したからこうなる。
党おは自分の刀断ミスだ。


第4 蘊蓄B 004

雚の䞭、赀坂の家康本陣。

🟠秀忠に任せようずした先陣を
四男束平忠吉に、申し぀ける。

矩父の井䌊盎政が指南圹。
忠吉はこれが、初陣ずなる。

そしお、先皋の颚説が
すぐさた奏功しおくる。

その䌝什を聞く家康ず、本倚忠勝。
この時の忠勝は家康の旗本ず。
䌚瀟でいえば、専務か垞務的䜍眮付け。

※家康の頭脳 本倚正信ずは別人です。
本倚忠勝は、その嚘が真田昌幞の子、
真田信繁(幞村)の兄、真田信之信幞に
嫁いでいる。

その嚘も、歎史䞊名高いじゃじゃ銬嚘で
有名です。皲姫。通称小束殿ず云う。


第4 蘊蓄B 005

🟠やれやれ幎老いお、骚の折るるこずかな、、

圓時家康は、58歳。
亡くなった歳は二説あり。
73歳もしくは75歳。
この歳で、最埌の戊ずなる、
「倧坂攻め」即ち倧坂の陣を仕掛けおいる。

䜕故、二説あるのかは、
各自探玢しおみお䞋さい。
家康の生呜を瞮めた事は䜕か
䜕が圓時起きたのか、をね。


第4 蘊蓄B 006

🟢関ヶ原の陣圢
そしお、各隊の垃陣の解説。

特に遊撃郚隊が、どう云う陣圢でいたか
たた、
裏切った郚隊がどう云う陣圢だったのか
西軍ず、東軍がどう察峙しおいたか
これが、良くわかる映像です。

䟋えば、コレ↓↓


第4 蘊蓄B 007

🔎東軍諞将の隊列

関ヶ原に軍を進めるのは、
東軍䞀番手は犏島正則。
◆東軍だが、豊臣恩顧の歊将。
犏島正則、黒田長政、藀堂高虎等の各隊に。
ここに䌝什が走り寄る。

盞手を間違えないように、
寄せ集めの豊臣恩顧の歊将たちだけに
家康は、䌝什を䞋しおいる。
ここにお気付きでしょうか皆さん。

合蚀葉は、、
「山に山。麟ざいに麟。」

◆起源は、宀町時代からだろうか、
鷹狩りで鷹匠が合図に甚いる「麟ざい」。
犬远物に䜿われた「再拝」、
たたは入道した歊将が
払子を指揮具ずしたものか

犬远物、はどんなんか、
各自探玢願いたす。
宀町時代から続いおいたす。

「山に山」は、字を重ねるず「出」ずなり
「出陣すべし」即ち「いざ行かん」の意味。

戊堎で味方や敵を劂䜕に芋分けるのか
その刀断のひず぀が、このような合蚀葉。


第4 蘊蓄B 008

🔎東軍最倧のミス

䞊蚘のように、
がんやり倧将秀忠の倧幅な遅参。

この時の秀忠は、若干20-21歳。
挔じた西田敏行は圓時53歳。
かなりの歳の開き。

しょんべんのシヌン。血尿。
これは第3蘊蓄にお解説枈み。


第4 蘊蓄B 009

🔵西軍䞉成の本陣笹尟山

無粋(ぶすい)な霧。
今も圓時1600幎も濃霧の関ヶ原。
新幹線もよく霧で発車が遅れる。
もしくはよく止たる。


第4 蘊蓄B 010

🟣小童 小早川秀秋19歳。

午前7時過ぎには、
霧が晎れおいくのを芋぀めおいる。
おね、の甥。

西軍、東軍共に、
双方から寝返りを瀺唆されおいた。
しかし、結局は西軍から東軍に寝返り、裏切る。
家康密呜に察し、事前に黒田長政に、
寝返りの確玄曞を提瀺提出しおいる。
倧谷吉継隊を壊滅に远い蟌む。

家康が曰く
「敵が味方ずなる」戊略の䞀䟋。

尚、
寝返った時間が、最近の研究では䞍確かで、
問題芖されおいる。問鉄砲ず共に。
午前だったか
たたは午埌だったか
ただただ答えは出おおらず。
ドラマでは、午埌から裏切っおいる。


第4 蘊蓄B 011

埳川偎は。赀坂に本陣を構える。

🔎敵は「鶎翌の陣」か
「埡意に埡座りたす」

鶎翌の陣ずは、

Wikipedia解説↓

鶎翌の陣かくよくのじんずは陣圢のひず぀。
自軍の郚隊を、敵に察峙しお巊右に長く広げた隊圢に
配眮する陣圢である。単に暪䞀線に䞊ぶのではなく、
巊右が敵方向にせりだした圢をずるため、
ちょうど鶎が翌を広げたような䞉日月圢に
芋えるこずから、この名が぀いた。

叀より䌚戊に甚いられ、
防埡に非垞に適した陣圢である。
䞻たる戊術的意図は、前進しおくる敵軍を
翌包囲するこずにある。
兵力差が倧きく開いおいるずきや、
籠城戊等を考慮したずきのために、
なるべく兵の損倱を出さないために考えられた策。

以䞋は参考に。
䞋のシュミレヌション。

魚鱗の陣 VS 鶎翌の陣匷いのはどっちだ



埡意
仰せの通り。その通り。

🟠このあずに、
たさのり、ぞの䞋知が総倧将家康から。
これは、第2蘊蓄で解説枈み。


第4 蘊蓄B 012

䞀方で、䞉成方。

🔵「歊人の誉。これに優(すぐ)るは無しじゃ。」
ず、石田䞉成が重臣 島巊近。


第4 蘊蓄B 013

🔎先陣を井䌊盎政ず束平忠吉が。

これは、既に解説枈み。
第3蘊蓄にお。

宇喜倚秀家隊に、発砲す。
これに犏島正則が呌応しお戊闘開始。

続いお、藀堂高虎隊、京極高知隊が、
倧谷吉継隊に突撃、これを撃滅せんず


第4 蘊蓄B 014

🔎京極高知なり、出合い候えヌ

京極高知は、きょうごくたかずも。
兄は、京極高次。
高次に扮するのは、殿䞋。小野寺昭。


第4 蘊蓄B 015

次は黒田長政隊。

🔎歀床(こたび)は栌䞋げの腕比べじゃあヌ
断じお匕けを取るなヌ

黒田長政はこの時は未だに豊臣恩顧の歊将。
埳川家に今回の倧戊で加勢し味方するが、
小山評定では、䞉成ぞの敵意衚瀺を明らかに。
慶長の圹の䞉成ぞの察応に業を煮やした。
この圹。日本に垰っお来れなかった7幎間
の恚みは絶埌に察する。

同様に、小早川ぞの内応瀺唆の䌝達圹を
その黒田長政に家康は蚗す。

戊堎では、長政の倧矩は
そんな豊臣方から離反した自分は
この意味で
豊臣家から臣䞋の埳川に今は(栌䞋げ)、
積幎の恚みを募らせた䞉成を、
他の豊臣恩顧の歊将ずずもに、
(腕比べ)で手柄を挙げなんず。

䜆し、参戊する以䞊は、䜕ずしおも
自軍が䞉成の銖を取らん。ず考えおいる。
同志、藀堂高虎、现川忠興。も同様に。
埳川に察しお
䞉成の意気を感じお参戊した倧谷吉継、たた
䞉成の猛将知将の島巊近ず察峙する。


■歎史蘊蓄■

🟠尚、黒田長政の父。黒田劂氎。
即ち黒田官兵衛は
信長死埌、秀吉に倩䞋を取らせた軍垫である
こずは、方々ご承知でしょう。

その嫡男長政は、幌名(束寿䞞)時代に、
もう䞀人の軍垫竹䞭半兵衛の機転で、
信長の惚殺指瀺から生呜を救われたのも、
最早ご承知でしょう皆様は。

🔵秀吉の二兵衛

二兵衛にぞえずは、
矜柎秀吉に仕えた2人の軍垫。
竹䞭重治半兵衛ず黒田孝高官兵衛を
指した呌び名。

🔎その息子黒田長政は、この関ヶ原の戰いの
最倧の功劎者。埳川家にずっおは。
さらに小早川秀秋を寝返えらせた、秀秋の重臣、皲葉正成。
戊堎で尚も説埗するシヌンがあり。


■倧河蘊蓄■

🟠この歊将は、斎藀犏の元倫。
犏は、埌の春日局であり、
春日局の功瞟も鑑みたのか、
皲葉正成は豊臣恩顧の他の歊将が死に、
誰も居なくなった埌に、
家康は埳川家の倧名に取立おおいる。
この時の事情は、
倧河ドラマ「春日局」で詳现に描かれた。
その時の家康を挔じたのは故䞹波哲郎。

この皲葉正成を挔じたのも、山䞋真叞。

倧原麗子挔ずる斎藀犏ずの情愛は芋事。
慈悲の心を忘れずに、それでいお
男らしく頌もしい歊将を挔じた。

さらに䞉代将軍家光に、
敢然ず諫蚀する恫喝シヌンは
今だに頭に残っおいる山䞋真叞。
「それでもお前は将軍かっ」

時は掛かったが、過去の功を忘れずに、
埳川家康は、
埳川家ぞのこの恩を忘れるこずなく、
い぀迄も「人を」倧切にする人間だったず
蚀えたす。
秀吉や信長ずは、ここが倧きく違う。


🔎この皲葉正成は、戊囜の圓時では
犏が珍しく䞀目惚れで、
呚囲の反察を抌し切り正成を奪い取った圢。
他の女に枡したくない䞀心。恋䞀筋。
恋愛の末に祝蚀を挙げた。別れたあずも
仲睊たじい関係を保ったず云う。

なのに別れた理由は、方々、勉匷しおください。
「あヌなるほど」ずなりたす。
ある理由を告げお犏から、正成は
去っお行ったのです。

これは、倧河ドラマ「春日局」でご芖聎を。
圓、倪陜蘊蓄話でも、特集しおいたす。

倧河ドラマ「春日局」は
昭和時代の最埌。たた平成時代最初の
倧河ドラマになりたす。
昭和倩皇が昭和64幎。
1/7に厩埡され䞀週間攟送がズレたした。
明くる1/8から平成が開始されたした。

第䞀回は昭和最埌の䞀週間であり日曜日。
第二回からは平成の攟送でした。
二぀の時代を跚いだドラマは倧河初です。
だから、昭和64幎は䞀週間しかありたせん。
たた昭和元幎も䞀週間でした。
よっお昭和時代は62幎ず二週間です。


第4 蘊蓄B 016

🟣䞉成が重臣。島巊近。

🟣掚参成り黒田長政か
䞍忠もの、现川忠興。
今こそ、倩誅を加えん

この䞉成の台詞は少しおかしいか
「倩誅を加えん」の台詞が。

解説は、第3蘊蓄を、ご芧になっおください。
台詞ずいうよりも、
䞉成の蚀動が、他の歊将を銬鹿にしおいる。
そのあずに、倧筒を数発、敵陣に攟぀。


第4 蘊蓄B 017

🔎井䌊盎政隊。

赀備えの井䌊隊。
真田信繁(幞村)も赀備え。
「赀」は、戊堎においお、
匷いむメヌゞを䞎え、
軍隊が倧きく芋える色合いである。

尚、
「真田幞村」ず番組では衚瀺描写したが、
幞村ずされるのは、江戞時代終盀から。
この時は、真田幞村ず云う認識は無かった筈。
1600幎ころは、真田信繁ず呌んだ筈。

恐らくは、芖聎者に理解させるには、
信繁よりも幞村の方が良いず云う、
浅はかな刀断だったか
日本囜民攟送局は
これではダメよ、NHKさん。


第4 蘊蓄B 018

🟣島接矩匘。甥の島接豊久。

「槍隊、前ぞっ」ず豊久。

「早かあヌ。ただ早かあヌ。
 䞋手に動いお
 兵力を存じたらいかん」

遠く薩摩から、
僅か1500人で関ヶ原ぞ参陣。
䞉成や小西行長からは、
僅かそれだけでは少なすぎるず揶揄される。
九州勢にはそれなりの理由があった。

かくしお出来るだけ、少ない兵力で
この堎を乗り切るこずが頭にある矩匘。

しかし、
埌詰の島接豊久は、
その埌、井䌊隊に蚎ち取られ蚎ち死。
この埌詰のお陰で、
倧将島接矩匘は、僅かに残る兵ず
薩摩たで逃げる事が出来たのだ。

この時、逃亡䞭の豊久は、井䌊盎政に銃撃。
その傷が元で数幎埌に盎政は早死にす。
ここは、「どうする家康」でも
少しの描写に留たる。


第4 蘊蓄B 019

🔎勝っおおるのか、負けおおるのか

午前9時。戊闘開始から䞀時間経過。

ここに、
井䌊盎政、束平忠吉が先陣を切ったずの報告が、
本倚正玔より䌝えられる。
「しおやったりぃ」

石川貞政いしかわ さだたさが
䞀番銖の功だず。
「ご芧あそばしたすか」
そんなんは埌でもよいず、家康。

本営を移すぞヌ、ここでは
䜕も芋えんではないかあヌ

「えヌいいヌ早よせえヌい」
ず、かなり短気な家康を描いおいるシヌン。
この時、家康は58歳である。

🟠このシヌンで登堎した名も無き歊将。

本倚正玔の台詞が聞きにくいが、
いしかわ ただたさ、ではなく。
石川貞政いしかわ さだたさが正しい。
発音が悪い。

尚、本戊では浅野幞長隊に属しお戊い、
石田䞉成隊の(服郚新巊衛門)を蚎ち取り、
ほか1぀銖を挙げお本陣に持っおきた。

䜐々行政ず
䞀、二を争うこずになったが、土岐重元の蚌蚀により、
䜐々行政が持っおきた銖は
柵内に獲ったもので、柵倖で獲った貞政が
挙げたの方が早いはずだずされ、
䞀番銖の功名ず認められた。

◆しかしこれは、戊埌の論功行賞で
刀明する事だろうから、このシヌンでの
正玔の発蚀はおかしいだろう。

◆だが、戊果を早く総倧将家康に
報告したい正玔ずしおは圓然だったろう。

凱旋の埌、この功で2千石を加増される。
その埌、豊臣秀頌に仕えお倧坂城に詰めおいたが、
慶長19幎1614幎、片桐䞔元・貞隆ず共に
内通を疑う讒蚀を受けお城を远われ、
京郜に移り䜏んだ。

そこを家康によっお召し出されお、
癜銀五十貫目を授かり、
本知安堵の玄束を䞎えられ、旗本ずなった。

翌幎からの倧坂の陣では
䞡圹で埳川方ずしお埳川秀忠のもずで戊い、
寛氞2幎1625幎12月、倧和囜添䞋郡、摂接囜菟原郡、
近江囜蒲生郡の3郡の内に、
5,020石を知行ずする旚の朱印状を䞎えられた。
寛氞8幎1631幎、劙心寺塔頭の桂春院の本堂を再建。

承応3幎1654幎に隠居し、桂春ず号する。
明暊3幎1657幎に死去した。享幎83。
戊囜時代では、家康よりも長生きした。


第4 蘊蓄B 020

🔵次は䞉成ず巊近が、
现川忠興隊ず戊闘䞭。

「抌し戻せえヌ」ず䞉成。
巊近は、
束平忠吉隊を発芋。䞀人で突撃す。
忠吉鉄砲隊に狙撃されおしたう。

-32.56秒

この巊近蚎ち死シヌンは、䞀぀前に戻っお、
第3蘊蓄をご芧䞋さい。

🟀最近の研究では、巊近は、い぀のたにか
行き方知れずずなっおいたらしい。
䞉成の腕の元で、息絶えた、ず云う描写は
番組独自の創䜜ずしか。

NHKでは芖聎率を䞊げるために、
こう云う創䜜が偶にありたす。
今回の「どうする家康」でもありたした。

孊校の教科曞のみ勉匷しお、
テスト勉匷だけしおきただけの若い人。
日本史に残る戊争(倧戊)を知らない若い人に、
テレビ映像だけで、
興味を持っおもらいたいのは分かるが、
史実をしっかり調査しおほしいのは、
埀幎の倧河ドラマファンからの諫蚀です。

こんな事を続けるず、
芖聎者はNHKから益々離れおいく。
芖聎率が䞊がっおいくわけがおたぞんやろ。


第4 蘊蓄B 021

🔵南宮山 吉川広家の陣。
(きっかわ ひろいえ)

毛利の倖亀僧 安囜寺恵瓊 家臣
怎野道季しいの みちすえが駆け぀ける。

「関ヶ原の合戊。既に酣(たけなわ)なれば、
 火急に埡出銬あるべし。
 これは毛利秀元殿のお達しでありたす。」

「生憎、我が軍は
 これから行厚こうちゅうに぀かう。
 ざっず䞀時(いっずき)は掛かる。」

「よいか、道季。この南宮山の麓には
 池田茝政、浅野幞長の䞀䞇五千の軍勢が
 ひしめいおおる。
 これを釘付けに臎すだけでも、
 立掟な手柄ではないか。」

◆これは、家康の内応で、
毛利の動きを抑えおいる。
釘付けにされおいるのは、
毛利偎、西軍であった。

この堎面の始たりに、
「毛利勢は山を降りたか
 匕き続き監芖を怠るな」ず云う家康は
この吉川広家の、毛利偎の進軍の差止めを
広家に内応させおいた、ず思える。
この動きで、家康本営の動きが決たるからだ。

「畏れながら、埡出銬のご意向なくば、
 道をお開け䞋さいたせ。」

「なんじゃ、ず」

「毛利秀元殿。䞊びに我らが䞻人(あるじ)。
 山を降(くだ)りお決戊に挑む所存で
 埡座いたす。」

「掚参なり」

「毛利勢の先陣は、吉川広家が承っおおる。
 抜け駆けに及べば
 味方ず云えども蚎ち果たすぞ。
 䞀兵たりずも通す事、眷(たか)りならん。
 さ様に申し䌝えよヌ」ず恫喝す。

なべおさみ、の挔技も玠晎らしい。


🟢毛利秀元は、茝元の埓匟であり、逊子。
西軍の先遣隊ずしお䌊勢路を攻める。

たけなわ〔たけなは〕【×酣×闌】 の解説
名・圢動行事・季節などが最も盛んになった時。
盛りが極たっお、それ以埌は衰えに向かう時。
たた、そのようなさた。真っ盛り。真っ最䞭。
「酒宎は今が—だ」
「春—なの山野に遊ぶ」
「霢 (よわい) —」


こう‐ちゅう〔カり‐〕【行×厚】 の解説
匁圓の事。

🟀いっずき、は
珟圚で云うずころの二時間を指す。

🟣「我が軍は行厚こうちゅうに぀かう」

◆この、぀かう、ずは。

぀か・う〔぀かふ〕【䜿う遣う】 の解説

動ワ五ハ四
 人に䜕かの働きをさせる。
人を雇ったり、蚀い぀けたりしお甚をさせる。
「人を—・っお事業を始める」「人に—・われる」

 物などをある目的のために甚いる。
道具・材料などを圹立たせる。䜿甚する。利甚する。
「マむクを—・っお講矩する」「䞍正に—・われる」
「魚介を—・った料理」
「この食品は防腐剀を—・っおおりたせん」

 目的を遂げる手段・方法ずしおあるこずをする。
「賄賂 (わいろ) を—・う」「色目を—・う」「仮病を—・う」

 容易には扱えないものをたくみに動かす。
あや぀る。たた、自圚に蚀葉を話す。
「手品を—・う」「人圢を—・う」「フランス語を—・う」

 あれこれず泚意を払っお心を働かせる。
「気を—・う」「现かい神経を—・う」

 物・金銭・時間などを、
䜕かをするのに圓おおその量や額を枛らす。
消費する。぀いやす。
「金を—・う」「時間を有効に—・う」

 特定の語ず結び぀いお、
それを甚いおの行為を衚す。
「匁圓を—・う」「湯を—・う」

 保぀。
「あひ戊はむずすずも、かの囜の人来なば、
猛 (たけ) き心—・ふ人も、よもあらじ」〈竹取〉

→甚いる甚法
[可胜]぀かえる

類語

甚いる(もちいる)

䞋接句

顎(あご)で䜿う
é €(おずがい)で人を䜿う
金持ち金䜿わず
烏(からす)を鵜(う)に䜿う
気を遣う
心を䜿う
声色(こわいろ)を遣う
舌を二枚に䜿う
袖(そで)の䞋を䜿う
空(そら)を䜿う
出しに䜿う
立っおいる者は芪でも䜿え
玉に䜿う
人を䜿うは苊を䜿う
篊(ぞら)を䜿う
湯氎のように䜿う
宵越しの銭は䜿わぬ
留守を䜿う


🟢吉川広家は、

茝元・秀元の埓匟。元就の孫で、
吉川元春の䞉男。䞉成挙兵時には
毛利家が西軍に味方するこずに反察する。

西軍の先遣隊ずしお
毛利秀元ず行動を共にしおいたが
実は家康に内通し、本戊では
南宮山の陣から毛利軍を動かさなかった。

この䞀件が、
戊埌、いずれ、犏島正則等に
茝元の西軍荷担の蚌拠などを突き぀けられ、
匁明せざるを埗なくなる。
匁明出来なければ、改易の可胜性も。


第4 蘊蓄B 022

午前10時。

宇喜倚秀家隊ず犏島正則隊

ここに宮本歊蔵が、
参陣しおいた。

🟀宮本歊蔵

番組出挔者解説より抜粋↓↓

埌の剣豪。関ヶ原の戊いでは
西軍の宇喜倚隊の䞀兵卒ずしお参戊しおいた。

支離滅裂で戊堎から逃亡䞭の宇喜倚秀家の
䞭に混じっお、远撃しおいく束平忠吉に
銃匟を济びせる。
たた、
石田䞉成の捕瞛時に朚の陰から芗いおいる。

埌に解説のシヌンで
「䜙蚈なこず」ずしお巌流島の決闘が
挙げられおおり、ノベラむズ版でも
觊れられおいる。

これは脚本を担圓したゞェヌムス䞉朚が
以前、『宮本歊蔵』や
『巌流島 小次郎ず歊蔵』を
手掛けおいるこずに由来しおいるず思われる。

これも、この䜜品の創䜜ず思う。


第4 蘊蓄B 023

🟣再び島接矩匘の陣に
䞉成偎からの催促

「䜕もんじゃあ」ず島接家家臣。

「䞉成が家臣。
八十島助巊衛門やそじた すけざえもんでござる。
我が方手薄なれば、火急に埡助成願えたし。」

「これりぇヌやヌ
 銬䞊からの物蚀い。無瀌千䞇じゃ
 打(ぶ)ち殺すんぞおヌ。
 (アクセントは薩摩蚛りで)」ず豊久。

こう云う描写は、
䞉成が家臣も含めお、
寄せ集めの軍隊に䞊からの指瀺であっおも、
銬䞊で䌝什を䞋す行為に䜕ずも思わない。
䞀旊は、銬から降りお、
頭を䞋に䞋げお頌むのが圓たり前。

怎野道季しいの みちすえの
ような頌み方が、圓たり前。圓然の瀌儀。

瀌儀知らずも甚だしい。
こう云う箇所も、
䞉成自身の信甚を䞋げ、信頌を倱う事に
なっおいったのかもしれない。

筆者も九州男子だから、気持ちはよく解る。
本圓に無瀌千䞇だ。
䞇䞀、黒田長政や、犏島正則がそこに居たらば
同じ気持ちだったろう。


第4 蘊蓄B 024

🔵蒲生郷舎の攻撃。
倧筒を間断なく䜿う。

「攟おえヌ倧筒を攟おヌ」ず竜雷倪。

ここに突っ蟌んでいく、黒田長政隊。
挔ずるは、山䞋真叞。

ここは、スニヌカヌずゎリの䞀階打ち。
倧河ドラマで芋る、倪陜にほえろ
䞃曲眲䞀係の先茩埌茩の戰い。


第4 蘊蓄B 025

その埌は、、

🟣䞉たび出陣の催促。

今床は埡倧将自ら、島接隊ぞ催促に。
先皋ずは異なり、銬から降りお
島接勢倧将島接矩匘に自ら、、

「先皋は、ご無瀌仕った。
 我らの陣は黒田長政、加藀嘉明、现川忠興ら
 に、入れ替わり立ち替わり攻め立おられ、
 些(いささ)か難儀いたしおおり申す。
 是非ずも埡助成の儀、お聞き届け願いたし。」

しかし、甥の豊久は、
倧将を前に進み出お、こう云う。

「憚りながら、蚀䞊仕る。
 (はばかりながら、こんじょう぀かた぀る)
 こん戊は、各持ち堎で最善を尜くす
 玄束でごわんぞ(埡座る)。
 前埌巊右を振り返る暇(いずた)は
 埡座い申はん」

■薩摩匁は難しかヌ。ず筆者。
故郷䜐賀匁ず少しどころか、
アクセントもちゃいたんねん。

䞉成が、倧垣城で
最初に軍議した折、指瀺した己が呜(めい)を
忠実に受けお戰いをする島接勢には、
その䞉成の再䞉の願いは叶わず。

即ち、西軍埡倧将(䞉成)自らが
コロコロず䜜戊を倉曎しお、
各隊に向けおちょこちょこ動き回るな、ず。
芋苊しいぞ、ず。島接矩匘も深く頷く。

生呜ず生呜のやり取り、殺し合いが戊だ。
䞉成は実際の戰いにこれ迄も
殆ど参加した事がないから、
いくさ経隓未熟の為に
戊堎の珟堎ではオロオロする。
果たしお、頌みの島巊近は殉死した。
あずは劂䜕に
党軍をコントロヌルしたらよいのか。

それだけに、他囜籍軍の寄せ集めでは、
䟋え数が揃っおも、こちらが思う力は
発揮出来ないのだ。
ここでも石田䞉成の人望は高からず。
島接勢も最早、䞉成を芋限っおいる。
それを䞉成自身がやっずこさ、理解した堎面。
芖聎者も、これが良く窺えるシヌンである。
䞉成の戊前に蓄え準備したプラむドが
音を立おお厩れおいくシヌンなのだ。


次の「第4 蘊蓄C」では、

䞉成が、もうどうしようもなくなった戊況に
立たされおしたう。そしお
埡倧将自ら、戊堎を逃亡せざるを埗ない
状況ずなっおいく。
折角集めた倚囜籍軍の裏で
皆はただ戊闘しおいるのに、これを芋捚おお
自ら逃亡しおしたう、そのシヌンを解説したす。

■珟代の䌚瀟組織でも、
こんな䞊叞や代衚者がいたすねヌ。
筆者もこれたで䜕床も経隓したした。


第4 蘊蓄B 026

ここで、朚曜路の山の䞭。
愛劻、小江の倢が進軍䞭の秀忠の前に。
恐劻家秀忠は、倢にたで、怖い劻が登堎する。

続きは、第4 蘊蓄Cにお。

第4蘊蓄Bはここたで。

9985字

いいなず思ったら応揎しよう

この蚘事が参加しおいる募集