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信長の安土城。令和の大調査で解ったこと。小和田先生も、こう推定される。

礎石そのもの・・は、
天守の礎石と、ほぼ同じ大きさだった。
天守直下ということもあり、
重要人物の建物、と推定される。との結論。

京都新聞から。

小和田先生は、

静岡大学名誉教授であり、

日本城郭協会理事長でもあります。

さらに、
岐阜関ケ原古戦場記念館館長をも、
努められています。


現在80歳ですよ。
かなり精力的に動かれておられます。
見習わないと、あかんなあ。

安土城跡まで、
高い坂を登って行きます。
これ、歩きしか無いのですが、
しんどいんですよ。
80歳でこんな体力がある、、
皆さんに真実を伝えたい思いが、
その行動力に繋がるんだな。
しかも、この寒い中、
歩いていらっしゃる。

しかも、
学生時代に
この日本城郭協会を、日本には無かったために、
これを作られた方です、ねん。
初代会長でもあるねんで。
ご自分で仰ってます。

🔷🔷我の推論🔷🔷

🔴🟠これって、
ひょっとして、ひょっとする!
天子を迎える、御所だった可能性あり。
しかし、上階、つまり天守台に自分が。
下階のこの御所に天子。

つまり天皇、が座す。
天皇が、自分よりも、この日の本では、
地位は、ずっーと下であると、
そのように、、
見せつけるパフォーマンスでは無かったか?

天皇は単なるお飾りであり、
自分。信長が、この国の王たらんと、、。
この時代の天皇は、
正親町天皇だ。
おおぎまち天皇です。

この頃には、皇室は、かなりの貧乏で、
時の権力者。
つまり信長の後ろ盾をしてもらわないと
生きていけなかったのでした。
信長の言うことをきかないと
いけなかった。

この証が、
今回の、発掘で解ったと云えます。
調べているのは、戦国史を研究している、
小和田哲夫先生です、から。

皆様も、どおぞ
お調べになって下さい。

多分、そうでしょう。

🔶🔶但し、問題がある。
残った問題は、、、

「破城」です。
この城を壊した理由は?

誰が壊したか?
それは何のためなのか?

このあたりが、解明されていけば、
信長の行動と、信長の周囲の武将たちの
当時の動きが、絡みます。
読み取れていきますやろ。

まだまだ、
ほんまに、まだ
解明されない、謎は多いんやねん。

せやでえ。

853字

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