日記(23/05/14)
こんばんは。病床に伏しながら失礼します。
先日、旅先で風邪をひきました。コロナやインフルではないらしい。(2回検査して陰性だった)
もしかしたら風邪かもしれないし、気管支炎かもしれないし、肺炎かもしれない。
症状は咳・痰・喉の痛み・微熱といったところ。
「お大事に」「安静にしてください」
そう言われると、言葉の非日常的な響きから、いつもとは違う何かをしなければいけないような気がする。
思い返せば、体調不良で学校を休んだ日は携帯ゲーム機で遊んでいたっけ。
今回はロックマンエグゼやら雀魂やらをやってしまった……。
退屈に耐えられなかったのだ。
しかし、「いつもと違う何かをする」ということは達成できている。
これが罪悪感を軽減する。しかしあまりにも体調が悪いときは、食事と服薬を済ませ次第、すぐ寝た。
最初からこれでよかったのだ。「安静にする」とはこういうことなのだ。栄養をきちんと取り、薬を飲み、あたたかくして寝る。これが一番重要なのである。
こういう簡単なことすら見失ってしまう。
しかし、仕事を休みゆっくりしているうちに、忙しいときに考えられなかったことが考えられるようになる。
これができたな。これができるようになりたいな。
そういう余計なことばかり考えてしまい、結局得られるのは無力感/無能感だけ。
○○ができるようになりたいなら○○しようとすればいいじゃない。
否。
病人にそんな元気はない。
病人じゃなくても仕事や家事でそんな余裕はない。
じゃあお前は何がしたいんだ。自己嫌悪か?
そうかもしれない。自分を省みる姿が好きなだけなのかもしれない。
以前、職場でネガティブに考えてしまうことが自分の短所であると話したら、「ネガティブな自分が好きなだけ」「現状に満足していなくて本当に変わりたい」という2つの場合を示された。
前者を聞いたとき、肝が冷えた。
まるで見透かされているようで。
しかし、もちろん後者を望む心もある。
あるのだが、腰が重いのだ。
何から手をつければ良いのかが分からないのだ。
結局、行き場をなくしたエネルギーが辿り着くのはTwitter。圧倒的惰性。生産性の無い日々。
人と話すことで何かしらの解決に向かうかもしれないが、こういったものからの逃避に人を利用するのはいかがなものかと考えてしまい、声を掛けられない。
そこで、困ったときに呆然としないために、「困ったときのヒント」を自作することを思いついた。
例えば、本を読むことだったり、知らないジャンルの動画を見ることだったり、そういった「刺激」にも「道標」にもなるような存在が欲しい。
今私の抱えている大きな悩みが、「からっぽ」であることだ。
私生活に不満は無い。
むしろ満足しているが、自分自身に魅力が足りないと思っている。
話の内容がつまらないので、奇を衒ったムーブでしか、小手先の技術でしか、人の心に働きかけることができない。
そもそも、それをもってしても、できていないのかもしれない。
自分の理想とする人間像があって、いくつか挙げるとするならば、
「何かに熱中する人」
「広範な趣味を持ち、あらゆる人と話す『のりしろ』のようなものを持っている人」
「心から何かを楽しんでいる人」
などであり、私はそうあるべく、人の皮を被った空気ではなく、もっと中身のある人間として、教養やら技術といった強みを得たいのだ。
しかし、腰が上がらない。
全てを風邪のせいにしてしまおう。
せめて、今日ぐらいは。