お湯とお花とひとりごと
私の環境は、情報が多い。
これは私だけではなく、現代を生きる人々全てに言えることだろう。
そんなことを、雑誌に印刷された限られた文字を読んでいてふと思ったんだ。
もしも私が、テレビの映らない、ネットも通じない森の中のログハウスで暮らしていて
自分以外の情報を知る術が、月に一度のこの雑誌だけならば
いま世界に蔓延するウイルスのことさえも、どこか他人事なのだろう。
〜
庭で摘んだカモミールを乾燥させたものを、透明なマグカップに入れ、お湯を注ぎ、ぼーっと眺める。
少しずつ、少しずつ、お湯が黄に染まっていく。
視線を上げ、窓の外の揺れる緑を眺めた。
部屋には、CDから流れる柔らかな音が着いている。
雑誌をペラリとめくり、綺麗に編集された情報だけを眺める。
〜
情報がなければ、
知らないことを知らないままでいられる。
だけど
情報がなければ、
人、もの、音楽、大切になっていくものに出会うことはないのだろう。
「情報が多い」
このただの事実を心の片隅に眠らせておく。
ただそれだけで、なんとなく気が楽になるような、そんな気がしたんだ〜。
わたし、飲み物のなかで水が好きだから、わりと水ばっかり飲んでいるのだけど、
映画の「西の魔女が死んだ」でおばあちゃんが入れてくれる、お花を浮かべた紅茶に憧れを抱いているので
雰囲気のある場所では、ぜひお花を浮かべた紅茶を頂きたいね〜〜🫖
でもまあ、べつに紅茶じゃなくても、お水やお湯にお花を浮かべるのも、なしじゃないね。
なしじゃないということは、………
ありだね〜。
だねだね〜。
久しぶりの登場のにっこりうさじ(o^^o)
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