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「人を好きになる、とは?」対話カフェそもそも レポート#38

【開催日時】
2024年6月22日(土)
12:00~14:00

第38回のテーマは「人を好きになる、とは?」です。

今回の「好き」は、恋愛感情の「好き」です。

人は、いつ、どんなときに、他者を好きになるのか。
好きだと思えたのはどんなとき?

好きだという気持ちがよくわからない人もいるでしょう。

他人の感覚や感情は体験できません。
でも、共通する感覚、感情として認知される「好き」。

人を好きになるとはどんなことなのか?
10代・20代で対話したレポートです。

はじめの問い

まずはテーマについて抱いている問いや、思うことを挙げていきます。

「「好きじゃない」から「好き」になる状態に移り変わるのはどんな時か? その目的とは?」

「そもそも「好き」とは?」

「「好き」にも種類がある、その違いは?」

「その「好き」は恋なのか、愛なのか?」

「「好き」はなぜ覚めてしまうのか?」

「「人としては好きだけど、恋人としては好きじゃない」はどういう状態か?」

「好きになるのは、私だけの話なのか、私と相手の関係性の話なのか?」

これらの問いが挙がりました。

恋人として好きとは? 

何をもってして、自覚できているのか?

「恋人として期待することを、期待通り応えてくれる人のことを、恋人として好きと言う。これは恋人に限らず、上司や部下、先生と教え子などの関係性に当てはめてもいい。期待に応えてくれるなら、○○として好きと言える」

「「人しては好きだけど恋人として好きじゃない」は、悪い人じゃないけど、恋人として期待するものをあなたは与えてくれないことをだいぶオブラートに包んだ言い方」

「私は「恋人として好き」という言葉に違和感を覚えていて……これは役割として相手を好きになっているように聞こえる。私は「相手を存在として好き、だから恋人という名前をつけます」という順序な気がしてる」

「存在としての好きがまずあって、結果的にそこに恋人という名前をつける、みたいな?」

「そうです、恋人として何かしてくれるから好きなわけではない、と私は思ってます」

「存在として好きと、恋人として好きはイコールの関係ですか?」

「いえ、私の中には「恋人として好き」がそもそも無い。恋人として好きは、手段というか、相手をモノとして見ている、使っている感覚。同じ行為をしてくれるなら、他の人でもいいのかな?って思っちゃいます」

「同じ機能を持ってるなら他の人でもいい、という印象が、「恋人として好き」にはある」

「何かの本で読んだんですが、恋は自分が好きになることで主体は自分。愛は自分が好きと相手の幸せを願う気持ちが共存してる状態。これは自分としてすごく納得できる定義」

「相手は相手のままで幸せになってほしいという感情があると愛。でも恋から愛はグラデーションで、恋の感情が肥大化していくと、愛に近づいていく」

「人として好きのときは、相手に幸せになってほしいという気持ちは湧かない?」

「うーん、まだそのまで成熟してないと思う。自我の殻の範囲内にいる感じ。恋が愛に近づくにつれて、自我の範囲が広がっていくんじゃないかな」

「子どもが死んだら悲しいのは、子どもイコール自分のような、自我の範囲が広がっているような状態があるから。ということは恋はまだ自我の範囲が狭い」

「自我の範囲が元々広い人もいる。数値化できないところ。自己中心的な人もいれば、利他的な人もいるから一概には言えない」

「大切な人というのは恋人じゃなくてもいると思う。その中から、どういう条件があれば、たったひとつの恋人枠に入るのか?」

「ちなみにご自身はどう思いますか?」

「恋人枠に入る人は、その人が側にいなくてもずっと自分の心にいる人。出かけたときや自分が好きなことをしたとき、一緒にそれを共有したいと、一番強く思う人。近くにいなくても、その存在を強く感じていたい人」

「私は、大切な存在はそれぞれ幸せになってほしいと思うけど、恋人枠に入るのは、そのベースの気持ちにプラスして、他人に奪われたくないという気持ちがあったり、とか。やっぱりキュンとする要素があったり、とか」

「自分は男性なので、かわいいと思えることは恋人の前提条件かな、と。総合的に、いろんな面でリスペクトできるとかの要素はあるけど、その上で「かわいいな」と思えないと、恋人には絶対入らない」

「かわいいと思えることのひとつの条件としては、男性と女性にはそれぞれの役割がやっぱりあると思っていて……自分の男性的魅力が相手にうまく刺さって、相手に足りてないものを埋めることができていたら貢献感がある。そうなると女性として好きになりやすい」

「男女にはそれぞれ役割があって、お互いに貢献してる、みたいな」

「そうです、お互いに貢献できていたり、貢献できそうに思えたら、好きになる」

「男性のかっこよさは女性に貢献していて、女性のかわいさは男性に貢献している」

「質問していいですか。まったく同じことが上司と部下にも言えると思うんですが、なんでそれは「かわいい」にならないんでしょうか。貢献しあっているとかわいいなら、なぜ部下は上司のことをかわいいと思わないのか?」

「女性としてのかわいさと、部下としてのかわいさには、共通する要素もあるけど、違う要素がある。上司部下の役割と、男女の役割が違うところも関係していそう」

「恋人として好き、人として好き、存在として好き、いろいろ挙がりました。他に○○として好きというのはありますか?」

○○として好き、の種類は?

他には何があるでしょうか?

「人として好きに近いと思うんですけど、友達として好き」

「男として好き、女として好き、とか。異性に対しての、です」

「存在として好きというのは、存在していないものはないので、単に好きと言っているのと変わらないのでは」

「同じ機能を果たしていても、それでもその人が好き、ということであれば、存在として好きに近い」

「全く同じ機能、同じものを与えてくれるAさんBさんがいて、そこでAさんを選ぶとき、そこにあるのが存在として好きだと思いました」

「確かにそうかも」

「あとは、親、家族、上司とか……」

「恋人として好きは、役割として好きじゃないってこと?」

「役割として好きの一種のような気がする。その中で、独占欲があったり、枠がひとつしかなかったりする、特別な「役割として好き」の一種」

「いるだけで好き、というのはまた別なのかもしれない」

「役割として好きも、いるだけで好きも、どちらも恋人の必要条件」

「共有したいというのも、この人も共有すると期待した反応が返ってくるとかがあると思う。共有しておしまい、というわけではない」

「恋人の好きは、原始時代みたいな状況でも自然発生する。上司と部下は人工的に作られた目的がないと発生しない」

「恋人として好きの要素として、人からどう見られるかは結構大きな要素であると思っていて……社会が恋人を定義していて、そこに当てはまる人材として好き、と現代ではなっている。でも、そういった社会制度が一切なくても、恋人として好きは成り立つのか、気になります」

「鳥には「つがい」がありますね」

「まったく同じことを考えていました」

「それで思ったのは、恋人は一番原始的な役割なんじゃないでしょうか。恋人になり、家族を作る。役割とすら呼べないほどの役割」

「一番役割的なのが男女関係だと、正直思う。私たちは生き物なので、そこを外して議論はできない」

「家族も同じで、親はこういう役割とか、同様にあると思う。親として好きは、経済的なところや、子どもを守れているとかが見られる。ずっと役割の話をしているなと思って聞いていました」

好きが覚めるときは?

どんなときに、何があると覚めてしまうのでしょう?

「単に飽きたから」

「同じ話ばかりしてるな、とか」

「ライフステージの変化。付き合う人も変わるし、環境も変わると、気持ちが変わりやすいのかなと思いました」

「環境の変化で、恋人関係にどうして変化が起きるのか、その間にあるものはなんですか?」

「価値観の変化だと思います。もちろん、交友関係や仕事の変化も含めての変化」

「相手が自分を好きじゃなくなったから」

「年齢が上がって、恋人に求めるものが変わった。具体的には、結婚前提のところが変わってきたり」

「遠距離恋愛とかは、覚めつつ、覚ますような感覚もあるように思う」

「遠距離恋愛はどうして続きづらいんでしょうか」

「接触回数が減ることと、タイミングが合わないことが増えることのように思います」

「だから、遠距離恋愛では仕方なく自分を覚ます、またいな感覚になるのかな、と」

「若い年齢、20才とかだと、一人に絞りきれないみたいなのもあって。ある程度年を重ねると、この人ならと思えたら、離れてても大丈夫と思える」

「好きという状態は熱している状態だと思っていて……没入モードみたいな。YouTubeのショート動画ずっと見てて、ふと自分何してるんだろ?って思うときあるじゃないですか、冷めるってそれに近いと思うんです。ふとした瞬間に俯瞰的に見えて、価値観がガラッと変わる」

「そこで、あれなんでこの人とつきあっちゃってるんだろ?と思ったら、熱した状態が冷める。その瞬間を経ても没入モードが続いているのであれば、冷めないのかな」

「冷めちゃうと、やっぱり違う視点で相手を見てしまう」

「例えば、この子のバカっぽいところが好きだったのに、自分が本とか読み始めて、相手にも教養を求めるようになるとか、価値観がガラッと変わっちゃうと冷めてしまう」

「自分の価値観と噛み合わないと、冷めてしまう」

「価値観の変化は、つるむ人の属性とか、本とかもあるし、年齢もあるし、ライフステージの変化もあるだろうし……要因はめちゃくちゃある」

「さめる、はどちらの漢字のイメージですか? 目が覚めるのほうか、冷たいか」

「冷たいの方で考えてました。でも言われると目が覚めるのほうかも」

「蛙化現象とかは、目が覚めるのほうですよね」

「蛙化現象は、勝手に相手に偶像みたいなものを求めて勝手に覚めるから、相手が何も変わらなくても覚めるパターン」

「変化は、そのときの自分の気持ちとか、体調とかにも依存するんじゃないかな」

「こう見ると、覚める要因ってめちゃくちゃあって、好きになるって超むずいなって思います」

「好きでい続けるのはもっと難しい」

「結婚してる人すげーなって思います」

「残り時間が少なくなってきたので、出したい問いがある方はどうぞ」

「私は「好き」に滅多にならないので、皆さんはどうやって「好き」を認識しているのか。いつ好きになるのか、きっかけが気になります。「好き」をどう定義しているか」

どのように「好き」と認識しているのか?

好きと確信できるのは、どんなとき? 何があれば?

「私は、その人といると腹の奥底があったかくなるような感覚があるのが「好き」だなって思います」

「その人を思い浮かべると、よくわかんないけどうれしい、とか」

「私は滅多に好きな人ができないんですけど、他の人は私より好きな人ができやすいイメージで、好きの定義が私とその人たちとで全然違うものなんだろうな、って思ってるので気になりました」

「一緒にいて心地いい、みたいな感覚」

「私は、相手が楽しいときや調子が良いときにだけでなく、お金が全然無いとか、どん底にあっても、自分が隣にいたいと思ったとき。ジェットコースターを一緒に乗ってたいみたいな感じのとき、「好き」だなって」

「なんで、どん底にいるときでも一緒にいたいと思うんですか?」

「どん底にあっても、そこで一緒に幸せになれる自信があるから。環境がなんであっても、その人と幸せが見つけられるだろうな、っていう感覚」

「その人といる自分がしっくりきてる、みたいな感覚ですか? どの場所にいてもしあわせになれるだろう、っていうのをもっと具体的に言い換えるとどんな感じなのかな?って」

「なんだろう、しっくりきてるのもあるし……それが居心地がいいってことにつながってくると思う。いい意味で気を使わなくてもいい、この人の前なら自分らしくいられるな、って。自分は人に対して仮面を被るタイプなので、それが自然に外せる人」

「さらに質問なんですけど、私は好きな相手に対して自分らしくいたいと思う反面、ちょっとかっこつけたいみたいな、好きでいてほしいから、ちょっと仮面を被ろうとしてしまうことがあって……なぜ仮面を取れるのか。かっこつけたくなる瞬間とかあるのかな、って、気になります」

「ありがとうございます。かっこつけたいというか、かわいくありたいと思います。好きでいてもらう努力はします。その中で自分が仮面をつけてたとしたら、この先いれなくなる、自分が疲弊しちゃうので、そうならない程度に相手が好きでいてくれるような自分であろう、と思いながら過ごしています」

「ありがとうございます」

「私の場合は、信頼できると思ったとき、好きになる。誰かを好きになるなら裏切られたくないという気持ちがあるんですよ。それをこの人はしないだろうと期待できるようになったら、好きになりにいこうとする。誰を好きになるかを、キュンとしたとか、そういうので選んでいない。この人は信頼できると思えたら、好きになるかもしれない。でもそれって「好き」なのかな?」

なぜ好きは言語化しづらいのか?

なんだか言葉に詰まるのは、なぜか?

「好きって、言葉を超越しているというか、言葉では言い尽くせないものだと思うんです。その「好き」の中には、キュンも入ってるし、気を使わなくていいとか、心地いい、一緒にいたいとか、裏切らない、信頼できるとか…‥。いろんなパラメータ、変数が入っていて、それが「好き」って言葉に圧縮ファイルみたいになってる。それは言葉にしようとするとすごい時間がかかる。言葉に詰まるのは、言葉より先に感情が走っちゃう現象だと思う」

「言葉にするのが本当に難しい」

「好きになる理由として挙がってきたものが、本当にそうなのか疑わしいという気がしていて……理由づけとして無意識に思ってるだけなんじゃないか?」

「本当に人を好きになるきっかけは理由はじゃなくて、直感的に好きとかがほとんどで、あとから信頼できるから好きになったんだとか、気を使わなくていいから好きになったんだとか……あとづけの理由を自分に言い聞かせてるところがあるんじゃないかな」

「みんなが言葉に詰まるのは、後付けだからかなと思いました」

好きの直感は、どこで判断してる?

体でわかる? 頭でわかる? それとも?

「直感を具体的にどう知覚しているのか、言語化できる方はいますか?」

「「心が奪われる」が一番ぴったりきていて、呆然となっちゃう、みたいな。本当に文字通り心が奪われて、ハッとしてしまう。それが惚れるとか好きとかなんだと思う」

「心って、実態はなくて言語によって作られているものだから、難しい」

「体の現象とかを言語化するとどうでしょうか」

「あとは心臓がドキドキするとか、熱くなるとか」

「冷静な判断とか動作ができなくなる。普通の友達なら論理的な文章が送れるのに、好きになっちゃうとちょっとキモい文章送っちゃったりとか。それを友達とかに見てもらったとき、自分の感覚との乖離が激しいときは「好き」なのかな?って」

「普段だったら外さない感覚を外してる」

「言語は便利だけど人によって意味が変わったりしてしまう。非言語の表出、例えばうれしいときにジャンプするとか、そういう行動の変化でも表れる」

「非言語的な表出も、好きを語る上でひとつのキーワードのように思う」

「相手のことを知りたいと思う、相手に知られたいと思うこと……そうなると、非言語の仕草とかも見るようになるから、つまり興味を持ってるってことですね。興味無ければ見ないので」

「でもそれって、信頼できるかどうか自分のなかで値踏みしてるのかもしれなくて、それは「好き」なのかな?」

「昔、「好きとは名前を知りたくなること」という定義を聞いて、それは今でも気に入っている」

相手をもっと知りたい、とは?

どんな感情? 何を知りたいのか?

「もっと知りたいのは、何を知りたいんだろう」

「もっと信頼できるか知りたいとか。この人大丈夫かな?と思っているところはありそう」

「どういうときにこの人は信頼できるなって思いますか?」

「まず、言葉が通じる、対話ができるということ。対話してすり合わせができそうかどうか。すり合わせができないと信頼しようもない」

「ある一定の範囲内で自分の価値観に近いこと、裏切らないと思えること。それは話してみないとわからない」

「ありがとうございます」

好きは感覚から始まる?

感覚から? それとも……?

「好きって結局、感覚から始まるってことなんでしょうか? ニワトリとタマゴみたいではありますが」

「感覚の中に、もしかしたら役割を果たしてくれそう、っていう期待があるのかな?って思いました」

信頼できるか気になるのはいつ?

どのあたりで気になり始めるのか?

「質問です。この人信頼できるかな?って調べ出すのって、知り合ってから何回目くらいからですか?」

「最初からです」

「最初からでも、全員にはしないですよね。その手前、調べたいと思うのはどういうところがポイントになるんでしょうか」

「属性かもしれないです。近すぎる人、例えば自分と同じ職場は切りますし、年齢があまりに離れているとか、そういう条件で機械的に選別しているところは正直あります」

好きになってくれるから好きになる?

「好きって言ってくれたから好き」の心理とは?

「シンプルに、自分のことを好きになってくれる人は気になる。ただし条件があって、自分の自己肯定感が下がっているときに「好きです」と言われると、好きになっちゃう」

「心が弱ってる人は、自分のことを好きになってくれる人を好きになりやすい」

「逆に自己肯定感高すぎると相手に求めるものが上がってくる」

「好きになってくれたから、好き、ってのは今でもある。昔には結婚してないと人権がないような時代もあって、コミュニティでの社会的地位を得るために、「言い寄られた人を好きになろう」という傾向は多かったと思う。とくに田舎は強い」

「強制に近いお見合い結婚もありましたし」

「こんな私のことを好きになってくれたんだから、私も好きにならなきゃ、っていう思考の人もまだいると思う」

「田舎の社会が恋愛を形作る話を受けて、今は自分たちで選べるじゃないですか、そこは現代特有のなのかなと思いました。ありがたいと言うか、選べるっていいんだな、って」

「でも逆に、選べると選択肢が増えちゃうから、こんなにこじらせちゃってることが起きてるのかも」

「昔の社会規範が当たり前と思っているなら、そこまで悩まないのかもしれない」

「自由はないけど悩みもない、思考停止で結婚はできる社会」

「それはそれでいいのかもしれない」

「選択肢が少ないほうがしあわせな場合もある。知らぬが仏で、知ってしまったせいで悩みを抱える」

「いいなと思える人をSNSでいくらでも見られる時代だから」

「マッチングアプリとかもそうですものね」

「最後に問いを投げていいですか? 結婚を前提としない好きと、結婚を前提とする好きの違いは?」

「生活を共有できるかどうか」

「結婚を前提としない好き」ってあるの?

目的のない好きはあるのか?

「すみません、聞きたかったのはそっちじゃなくて……結婚を前提としない好き、そんなものがあるのか? なぜ「結婚を前提としない好き」を持つのか?を聞きたいです。仮にそれがあったとして、付き合ってそれでどうするの?と思う」

「それなら仲良し友達でいいんじゃないか、恋人の枠をわざわざ埋めなくても」

「結婚する気がないも言う人に恋人がいたりする、あれはなんなんだろう?と思うんです」

「お互いに世界で一番と思える関係を共有できるのは特別なことで、一種の快楽みたいなのを求めて恋人を作ることはあると思います。ただ、その相手が結婚に合っているかどうかは別の問題な気がする」

「ひとつめは、相手に特別枠のトロフィーを与えてるみたいなことですよね。ふたつめは……?」

「トロフィーの相手でありつつも、結婚するには条件が向かないよ、というのはあると思う。恋人として好きと結婚相手として好きは、求める役割が違う。あと、ライフステージの違いもある」

「結婚相手を一人に絞る覚悟はできてなくても、その場しのぎの、トロフィー的な好きはありえると思う」

「なるほど……ライフステージがそこまで行ってないから、というのはわかります」

「50年続けられるかとか、長期的な覚悟の問題ですかね。覚悟は決まってないけど、刹那的な恋愛」

「それに対して、一番の親友ってトロフィーじゃだめなのかな?と思いました」

「それはたぶん社会的にあまり存在してないってのがあると思います」

「自分と相手の話じゃなくて、自分たちを見てる人の話ってことかな」

「そこはやっぱりあるんじゃないかなと思います。社会的に確約された関係性があるからこその、です」

「関係モデルが1対1じゃないわけですね」

「高校生の彼氏彼女はたぶん結婚とかを意識せずに付き合ってるのがほとんどで、大人でもそういう恋人がいるのは事実。そこを分けるのが、若さなのか、ライフステージなのか」

「そこが知りたいです」

「寂しさ予防とか、カップルでいることの憧れとか。年齢的にも精神的にも結婚どころじゃないって人はいますよね」

「親友関係として遊べる範囲と、恋愛関係として遊べる範囲は違う。親友から得られる快楽と、恋愛から得られる快楽も違う。さらに、結婚の快適さは他と重なる部分もあるけど別にある。いまは結婚相手としての快適さはいらなくて、恋愛の快楽が欲しい。でもそれは親友からは得られない。だから恋人が欲しい、という状態はあると思います」

「ぼっちでも寂しくなかったら恋人要らない?」

「自分はそういうときありました、寂しくなかったら必要性がない」

「恋人なんかいらねえ、みたいな気持ちわかります」

このあたりで時間いっぱいとなりました。

ファシリテーターの思うこと

今回は満員御礼での開催でした。なかなか難しいテーマで、沈黙の時間もしばしばありました。

途中、好きはなぜ言語化しづらいのか?にフォーカスしたあたりから対話が深まり始めました。

難しいテーマにも関わらず、役割、期待、共感、寂しさなど……少しずつキーワードが浮き彫りなっていく過程は、対話ならではの興味深い展開でした。

参加してくださった皆様、ありがとうございました。

次回の開催案内

次回は2024年7月13日(土)開催。
テーマは「結婚したい?」です。
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