就職に向けての整理
改めて自分の就職の軸を考え直して、今までの決断の軸、大切にしてきた事、今後も大切にしたい事、失敗を経て、どう考えが変わったかをnoteに書いてみる。
①高校卒業から大学入学への考え
私は田舎の農学部バイオサイエンス学科に入学しました。工学部・水産学部・経営学部なども視野に入れていました。数学が得意で、理系科目が好きだった事もあり、国立大学で目指せるものが工学しかなかったので、そこを軸においた。数学が好きだったので、理学部の応用数学学科なども高校2年生時点では視野に入れていたが諦めた。
理由は2点。
①プログラミングの体験学習が楽しくなかった事。
②上には上がいると言う事を強く思った。
数学が好きと言う中で、自分より数学が得意で、自分では思い付かない発想で問題を解く人に初めて出会った。
その時、自分がちっぽけに思えた。
これでしか勝てないと思ってたのに、その自尊心を奪われた。
当時の自分は努力せずにある程度理解出来る自分を過信して努力を怠っていた。そう、能力の低いウサギである。地方トップの進学高校に行った文系はセンターほぼ100点の女の子、理系科目は頑張っても60〜70点の子をみて、安心していた。
得意科目は勝てる。
でも、努力出来る亀ほど怖いものはない。
※幼少期からガリ勉だった彼女に対して、痴がましい気持ちを持っていた自分を恥じてます。地頭が違う部分はあります。
でも、その子の勉強量を見て、1日の習慣を聞いて愕然としました。
その子は発想力なんて、皆無でしたが、努力とパターンのみで数学でセンター試験も80%は取れるようになりました。
高校2年レベルの数学までは努力でどうにかなるってこの時思いました。
そして、努力の足りない自分が恥ずかしくなりました。
才能、能力はもちろんあるけど、『向き不向きより前向きに』と思いました。
ちなみにこの女の子は国公立法学部A判定だったのに、地方国公立薬学部B判定の中、合格をもぎ取りました。
東大含めて、旧帝国大学に文系だったら入れたのにもったいない。。
でも、自分を持ってる姿はかっこいいなと今でも思う。
自分の話に戻すと、高校で理科が苦手になって、ついていけなくなっていた。工学部入学の為に、物理よりも自分に向いてそうな化学を勉強した。
高校の先生が口は悪いが、頭も良く、こっちが頑張れば時間を割いてくれる先生だったので、放課後いつもその先生のところにわからない事を纏めて教えて頂いてました。
その姿は先生と生徒と言うより、師匠と弟子に近かったです。
結構怒られた記憶があります。良い思い出だ。
化学が伸びた事で、新たに農学部と言う選択が増えて、食品・環境系が今後の時代に来るのでは、と言う事で、マイノリティを求めて、農学部へ行く事にした。
※私立の工学部行っても仕方ないよなって偏見は当時あった。
くそ生意気ですね。
②大学卒業から1社目への考え
1社目は食肉のルート営業をしてました。業界大手で、某ハム会社の100%出資子会社です。僕の就活の時は、リーマンショック後の就活、団塊世代の退職と言う時代で、就活しやすいのか、よくわかんない時代でした。就職氷河期に比べたら楽だったと思う。大学のゼミは、有機化学・天然物化学を専門にした成分抽出をしていた事もあり、製薬会社を第一志望にしていたが、採用されなかった。志望理由もお金稼げそう、安定しか考えてなかったのが、浅はかだったんだろう。と言うか、営業職は暇を持て余したエリート文系がしっかり対策を練って受けるので研究をしながらの理系大生には基本不利になる。その中でも、理系ならではの視点を入れたり出来たら良かったのかなとも思う。その中で、方向性を変えて秋に食品会社も受けてみようと思って、自己PRも変えて見たらすぐに受かった。居酒屋で3年働いていて、大手居酒屋チェーンも2社採用決まっていたが、食品営業と会社の規模感考えて、1社目にした。だからこの時の軸は「会社の安定性」なんだろう。※エコはどこに…時代が早すぎたのか、全く視野から消えてましたw
③1社目から2社目への転職
2社目は青いR(微妙に隠します)の飲食店広告提案営業をしていました。正社員から契約社員になって事で、家族からは反発がありました。また1社目の上司からも「お前が通用する訳がないと、罵られました。」おかげで辛い事、悔しい事があっても乗り越えて来れました。『ふざけんな、見返してやる』その気持ちで様々な苦難を乗り越えました。
転職理由としては、
前向きな理由としては、飲食開業・専門ルート営業から多業態の営業に行きたかった。
後ろ向きな理由としては、パワハラ・将来賃金を考えた。
部長からの暴力に耐えたが、本当に動画撮って会社か、文集に提出して辞めたら良かったと思うが、まぁ人を憎んでも意味ないなと割り切ってます。
くそな大人は死んでも直らんし、自分の身は自分で守るすべ、考えになったし、まぁ良いや。
暴力で統制出来るのは、動物だけと言う事を身に染みてますので、その後の僕のマネジメント能力に活かせていると思う。
この時期の軸は「成長が安定に繋がる、将来をもっと違う事をしたい」と言うことでした。
2社目はそんな甘い会社ではないので、営業ノルマがなかった前の会社と違い、ゴリゴリ新規飛び込みしたり、精神的にキツイと思う時が多々あった。
営業スキル、提案の考え方、消費者に刺さる提案、データ分析スキル
なぜこの広告で効果が出た?効果が出なかった?認知された?
店の魅力とカスタマーとのギャップ?など多様な考え方と分析が出来るようになった。
結構、間違えた考えを持った経営者が多いですが、金出せばいいと言うのは違って、世の中のニーズに沿ってない物を基本選ばれない。
そうではない時代を作りたいほどの意思があるなら、自分でニーズを作りにいかなければならないので時間がかかる。
アフリカに靴を売る話の考え方に似てると思う。
同じ景色見て、靴履いてないから、売れない。(習慣化に適用出来ない)
靴履いてないから、売りたい放題。(習慣を作ればマーケットは無限大)
そんな考え方が身についた。
④2社目から3社目への転職
契約満期で退職の後、3ヶ月転職活動及び休んで、某大手コンビニ会社に転職しました。
理由としては、ゴリゴリの営業会社の中で、トップクラスの営業成績が残せなかった事と、商品を売っている時に、「これって本当に経営者の為になっているのかな?」と思うようになった。
内部への踏み込みが当時薄かった事もあるが、もっと経営について知りたい、相手の利益を上げたい、サポート出来るようにしたいと思いました。
そういった理由から、内部から経営者をサポートが出来る仕事と、
経営数値(PL,BS)把握する事でのスキルアップを狙いました。
また、日本一のフランチャイズシステムってどうなんだろうという興味もありました。
実際に働きだすと、コツコツ、泥臭い事を日々やる事が多く、これが仕事なんだな。これが商売かと実感しました。
物を売る。
人に働いて頂く。
そんな当たり前で基本的な事を大切と実感出来ました。
広告業はスマートな場面が多い一方で、現場感を学べて本当に良かった。
人の気持ち、物の売り方を現場を通じて知れた。
⑤3社目から台湾の為に退職・台湾生活
年収も同じ歳の32歳に比べたら、多くの給料も頂いていました。
だけど、自分自身でいつかお店、仕事が出来るようになりたい。
そんな気持ちを持っていて、3社で働いてきて、色々な事を学び、ぼちぼち仕事出来るようになったかなと思っていた。
そう思い、台湾でのチャレンジを実行した。
お金も名誉もないが、新しい環境で、面白いチャレンジをしたくなった。
本当にその考えは、浅はか。
でも、浅はかで動ける人間でいたいかな。
口だけで何も行動出来ない頭でっかちな人間より、僕は常に失敗してでも、チャレンジしたい。
ダメな自分に妥協したくないかな。
チャンス貰えるなら頂きたい。
もっと上にいかないと見えない景色、山の3合目とてっぺんでは違うんだろうな。
もっと上を目指さないといけないな。
ライフワークバランスとか言わずに、もっともっと自分自身に鞭打たないといけないな。
だけど、ちょっと疲れたな。この1年。
日本では、朝も、昼も、夜も活動して、
「そんなんで開業出来ると思ってるのか?」と言われる日々。
※↑については別の記事に書いています。
台湾では友人の家に暮らして、金がない生活。
年収650万円→150万円に落ちた生活。
もう本当に笑えますよ。住民税も高くて30万円くらい払いました。
学生のが裕福な生活出来るくらいの賃金。
人ってここまで生活変化出来るんだって思った。
落ちるとこまで落ちたので、これからは切り替えて別の道を行く模索して行こう。
ただ、台湾生活を後悔はしてません。
辛い事、腹が立つ事はいっぱいありました。
特に飲食の世界は職人の世界なので、自信がある人も多いし(過信)、理不尽な事を言う人が多い。
だから事チャンスある業界だなと思う。
下手だからやらせないとか言う業界、飲食・鉄鋼業で、古い職人いるのは確実に老害。
やれば誰でも出来る業界でチャンスがあれば伸びるので、あればすぐにチャンスを与えたらいいですよ。
僕も和牛の捌きを6ヶ月やってましたが、それだけを専門でやらして頂いたので、1〜2年以上の人より上手く出来るようになりました。
それで、台湾生活で学んだ事は、貪欲さと、駐在員の社長や現地で独立した人も含めて、出世欲か、自分を貫き通して、自分のスキルを売り込む力だろうと思った。
僕が前職で伸び伸びそのまま仕事してたら、自信が無駄にあって、底辺の自分を許していたと思う。
そんな事より、上を見て、ハングリーにまだまだ追いかけないといけないと思えた。
今は複雑な心境で、立ち止まってますが、活躍の場所を見つけたかな。
中途半端ですが、自分の気持ちが纏ったらまた書きたいと思います。
以上
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