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この文章を書いている人について

↑のように書くと大層なことが書いてあるようですが、何のことはない、ただの阿呆の自己紹介です。

はじめまして、こんにちは。HOZ(秀:ほず)と申します。
年齢は書くのも恥ずかしいのであえて記載しませんが、日本では留年することもなく大学を卒業し、一端の社会人と呼べるくらいには社会に出て働いておりました。主に印刷系の会社で働いて、生産管理、DTPオペレーター、デザイナーなどの仕事をしておりました。周りの人に色々お世話になりつつ、大して仕事できないながら大変楽しく働いておりました。

そんなまぁいい年の女が台湾に来ようと思ったきっかけは、当時知り合った超面白くて度量が大きく、また知見も深い友人が、ワーキングホリデーの話をよく聞かせてくれたのに影響を受けたためです。愉快過ぎていっそ頭おかしい(褒めてる)友人を見、私は阿呆にも思いました。自分もワーキングホリデーに行ったらこのくらい面白くて器の大きい人間になれるのではないか、と(今のところ面白くも器大きくもなってません)。

そんな短絡的な理由から、ワーキングホリデーの準備を開始。毎月節約して遊学資金を貯めたり、病院に行くふりをして台北駐日経済文化代表処へ行ってビザを取得したりしつつ、準備開始から10ヶ月後、ついに台湾へ渡航するに至りました。2016年、7月のことでした。

台湾に来て最初にやったこと;語学学校で中国語の勉強

台湾に渡航するにあたり、私はまず語学学校で中国語を習おうと思いました。というのも、大学で中国語を勉強したことはありましたが、阿呆なので既にきれいさっぱり忘れ去っていたためです。

また全然中国語が喋れない状態で現地に来て家を探したりするのが億劫だったので、語学学校は外国人でも借りられる宿舎がある学校という1点にのみ絞って学校探しを行いました。当時はまだ日本で仕事をしていたため自分で学校探しをする時間がなく面倒でもあったので、学校探しと入学手続きは現地の代理店に丸投げしました。そうしてあまり深く考えることもなく、代理店側で探して頂いた輔仁大學という大学の語学学校への入学を決めました。

そうして9月から語学学校へ入学したのですが、これがまぁ大当たりで、入ることができたクラスは日本人が1人か多くても2人しかおらず、またクラスメイトたちの国籍もバラけていたため、1年を通してクラス全体の共通語が中国語という環境で勉強をすることができました(※クラスの構成がどのようになるかは運次第です)。世界各国のかわいい妹妹たちに囲まれて、楽しい1年間を過ごすことができました。いやほんと、長いものには巻かれておくもんですね。

台湾で就職するに至った経緯

語学学校に入ってしばらくの間は、ダラダラと日々を過ごしておりました。が、元社会人だったので収入がないのはなんだか落ち着かず、流石にそろそろホリデーだけではなくワーキングもしようかと思い始めていたところに丁度アメリカの大統領選挙でトランプさんが当選した影響で円の価格が下落し始めたことが重なって、ようやっと(物理的にも)重い腰を上げて仕事探しを開始することにしました。語学学校で勉強を始めてから、およそ2ヶが経過した頃のことです。

台北掲示板などで求人情報欄などを見始めてから3日目、とある求人情報が目に止まりました。それは、大学と同じMRT路線上にある日本語学校の求人でした。住んでいるところから比較的近く、また雇用の条件も資格などの点であまり厳しくなかったので、これ幸いとその仕事に応募することにしました。応募のメールを送った翌日には返信をいただき、2日後に面接のお時間をいただきました。

面接するにあたり、日本語学校の責任者の方からは一つ、ある条件が出されました。それは「折角研修をするので、大学での勉強が終了した後も引き続き働くという条件で勤務を開始してほしい」というものでした。

私は阿呆でしたから、二つ返事で「わかりましたー」と回答し、その場で日本語学校への採用が決まりました。このようにして、就職活動はのべ一週間ほどで終了と相成りました。

日本語教師の仕事はとても面白く、また大変に奥が深いです。毎日、どうしたらより楽しく、わかりやすく日本語を勉強してもらえるかというのを考えながら、教案を作っています。大変に良い仕事に巡り合うことができたと思っておりますので、この幸福を学生さんたちに還元できるよう、今後も己の日本語教育に関する技術を向上させていきたいと思っています。

台湾で従事しているもう一つのお仕事

さて、上の日本語教師の仕事の他に実はもう一つ、私がワーキングホリデー開始と同時期くらいに始めた仕事がありました。ライターの仕事です。

私は阿呆ですが文章を書くことだけは好きだったのと、ワーホリ開始時は現地で仕事を見つけられるかどうか不安に思っていたというのがあって、渡台前にとある旅行関連の会社のライター募集に応募をしました。もとは台湾以外の旅行記事のライティングをしていたのですが、その流れで台湾関係の記事を書かせて頂けるようになり、その後もインターネットサイトを通じてライティングのお仕事を探しライター応募するなどして、現在のお仕事をさせて頂くに至りました。

日本語教師の仕事と同じく、文章についも未だに全くの未熟者で、単語の並べ方や表現の方法で煮詰まったり、台湾華語を日本語でどのように表現しようか悩んで頭をかきむしりながら文章を書く毎日です。日々精進してはおりますが、それでもおかしなところが多々見受けられることと思いますので、その時は「これでよくライターが務まるな!」とでも罵って頂ければ幸いです。

台湾で新たに挑戦してみたこと

とまぁ、台湾に住んでいると、日本ではなかなか得ることのできなかったチャンスというか、挑戦する権利、というのが運良くころんと転がってくる機会が多いように感じます(当社比です)。日本語教師の仕事然り、ライターの仕事然り。で、こうもうまくいってばかりだと阿呆はいろいろ調子に乗るもので、つい、ひょっとして私、なんでもできるんじゃ? という気になってしまいました。そうしてうっかり、本当にうっかり挑戦してしまったのが、台湾の大学院への入学でした。おかげさまで2019年から無事、台湾の大学の大学院生としての身分を手に入れることができました。ありがたや。

台湾は日本と同じく少子化の進んでいる国ということもあり、海外からの学生も積極的に受け入れています。私は二校ほど願書を出したのですが、どちらも合格の通知を頂くことができました。あくまで個人的な感想かつ、現在就学している大学の制度に限った話ではありますが、現地の方に比べ、外国籍学生は入学条件などの敷居がやや低いように感じます。外国籍の人は出願書と学習計画書を出せばよいだけなのに対し、台湾人学生は筆記のテストなどもあるようですので……。※出願方法については、各学校のホームページなどをご参考くださいませ。

また学費の面ですが、私は永久居留証を取得しようと思っており仕事を続けたかった都合、奨学金は申請していませんが、それでも、どうにかこうにか一人で生活しながら大学の学費も賄えています。生活水準をどのように設定するかにもよりますが、金銭的な面で仕事と学業の両立はやろうと思えば可能だと思います。なんなら猫1匹くらいは養えます。
もちろんこの方法を取ると、仕事に時間が取られる都合、勉強の時間に制限ができてしまいます。それは嫌だと思う方は、奨学金を申請すると良いでしょう。台湾の奨学金て返還しなくてもいいんですよね……もちろん成績は一定以上を維持しないといけませんけど……。

そんなこんなでそこそこのモチベーションで大学の学生もしております。モチベーション上げすぎると過労死する気がするので、程々にやっていこうと思っています。私の通う研究所は2年で卒業したという前例がない(課題が多すぎて2年以内に論文が書けないため)ので、まぁ3年くらいを目処に頑張りたいなと。というわけでまだしばらくは学生です。

なぜ台湾へ移住したか

最後になりますが、この阿呆な女が一体何がどうしてワーキングホリデー並びに移住先を台湾にすることにしたのか、という話ですが。

理由は諸々ありますが、その最たるものと致しましては、台湾の方々の優しさと強さ、懐の深さに触れる機会があったからという点でしょうか。次いで、阿呆な私が全力で阿呆である己を楽しむことができる場所として、台湾が肌に合った、という点です。この2点に尽きます。

世界のどこで生きていても、良いことも悪いこともあります。ですから一概に全部が全部良いとは言いませんが、私は幸運にも台湾にて仕事にも良き友人にも恵まれ、程々に生活をしております。己よりも幸せに生きている人はいくらでもいるのでしょうが、私とってここ台湾は、のびのびと幸せに生活することができる素晴らしい場所です。

まぁいつも大体こんなゆるい感じで、私の大好きな国、台湾に関する情報を色々と書かせていただいております。お暇の折にでもお運び頂けましたら幸いでございます。また、この文章等が皆様のご旅行に何かしらお役に立ちましたら幸甚でございます。
台湾を訪れる皆様に、良いことや幸せがたくさん訪れますように!

2019.1.17
2020.5.13 追記 HOZ(ほず)

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HOZ@臺灣角落
台湾在住者による台湾についての雑記と、各ウェブサイトに寄稿した台湾に関する記事を扱っています。雑記については台北のカフェが多くなる予定。 そのうち台北のカフェマップでも作りたいと思っています。

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