オープンダイアローグで、経験したことのない障害は話した事のある人の困りごとになる
こんにちは、対話スペースけやきのきよこです!
対話スペースけやきには、精神障害や発達障害・引きこもりなどの当事者さんやその家族の方なども参加してくださっています。
私も発達障害(ADHD診断+ASD特性あり)+ ときどき鬱、の当事者です。
現在は色々な障害や社会的不適応についての情報を書籍やネットで知ることができる時代になってきました。
とてもありがたいことです。
でも、一方で、それら目に見えない障害や不適応に対する理解は、まだまだ十分ではなく、誤解などが起こっている場合も存在します。
オープン・ダイアローグの対話実践では、そのような部分についての困りごとをお話頂くこともあります。
当事者とその周囲の方の実体験と思いを聴かせて頂く貴重な機会を頂いています。
カミングアウトが不安な社会
近年、新聞などで、クローズド就労(障害を公表せず就労すること)した方と会社の間で訴訟などの問題が発生したり、当事者やその周囲の方が深刻なストレス被害を受けたといった記事を目にすることがあります。
職場以外でも、周囲の対人関係の中で障害を告白することができない、という場合もあります。
では、なぜ当事者の方は障害をカミングアウトしない場合があるのでしょうか?
株式会社ゼネラルパートナーズ 障がい者総合研究所が2017年に92名の発達障害者の方を対象に行った調査があります。
その結果、
[1] 関係性のより深い相手に対して自身の発達障がいをカミングアウトしている(親・恋人は90%以上、親友は68%、知人・友人は45%)
親密な間柄の方にはカミングアウトしている場合が多い、ということが分かります。
一方で、知人や親友以外の知人に対しては半数以上の方が伝えていません。
[2] 伝えていない理由の一位は「伝えても理解してもらえないから」
[3] カミングアウト後の相手との関係性は「良くなった」「伝える前と変わらない」という回答が9割
[4] カミングアウト後、相手は「障がいを理解してくれていないと感じる」という回答が3割~4割
伝えていない理由の第一位は「伝えても理解してもらえないから」
が86%で一位となっています。
カミングアウトしても理解してもらうことは難しい、との予測から、ごく親しい人以外には伝えることを現状断念している方が多いようです。
理解してもらえないと考えるのはなぜか
こちらを読んでくださっている方は、心のことに関心のある方が多いのではないかなと思います。
そのため、ASD(自閉症スペクトラム)やADHD、その他の発達障害について知識をお持ちだったり、あるいは名前やおおよそのイメージはある、という方が多いかもしれません。
でも、一般的には発達障害についてまとまった知識を得られる機会は少ないです。
義務教育等、学校教育の場で障害について教えられる機会についても、現在増えつつあるとはいえ、まだまだ少ないです。
発達障害が今のような概念として医療や支援の場で注目され始めたのも、そんなに昔からではなく、概念や呼び方についても色々変化してきました。
例えば、日本で1960年から1984年までの論文の中に使われている『発達障害』という語を分析した結果、全て精神遅滞と知的な遅れをともなう自閉症だったという研究もあります(金生、2009)
また、ADHDが日本の医療分野で広く知られ始めたのは、2000年代以降と言われます。
日本で発達検査の中核として用いられているウェクスラー式知能検査(WPPSI、WISC、WAIS 対象年齢により選択)は現在第5版が用いられるようになってきています。
その改正のたびに、発達障害の内容は変化してきました。
例えば、DSM-Vではアスペルガー症候群という診断名は無くなりました。同様の特性を持つ方は自閉症スペクトラムとして診断を受けるようになります。
それら発達障害についての時代変遷により、診断面についてもかなり混乱が有りました。医師によっても認識が異なるという状態は現在でも存在します。
成人になってから初めて自分の状態を発達障害と考えて受診したり、子どもの時は発達障害を否定されていてもおとなになってから発達障害と診断される方がかなり多いのです。
私自身も診断を受けたのは35歳です。
今から約20年前に心理系の学科にいたのですけど、生きづらさは感じつつ、自分がそうだとは全く思い至らなかったし、指摘を受けた事もありませんでした。
当時既に(今思えば発達障害の二次障害なのですが)鬱病を発症していたので、そのせいかな〜などと思っていました。
その後子育てがうまく行かなかったり、子供に気になる様子があったため、色々と調べた末に受診し診断を受けました。
もし自分や家族に障害がなかったら、発達障害のことをこんなに知らなかっただろうと思います。
診断を受けてから5年くらいは、夫と、あと母にだけ打ち明けていました。
もし発達障害を周りの人に知られたとして、どう思われるかは、とても不安でした。
私も親密な人以外にはカミングアウトできない一人でした。
不安とは
不安について、心理学では「自己存在を脅かす可能性のある破局や危険を漠然と予想することに伴う不快な気分のこと」だと定義されています。
つまり不安とは、わからないことを漠然と恐れることによるネガティブな感情だと言えます。
私は、自分が発達障害者だとカミングアウトすることにより、社会に有害もしくは無益な人間だと思われたり避けられたりするのではないかと不安でした。
でも、オープン・ダイアローグを始めて、自分の困りごとを定型発達の方にお話したり、他の方の発達障害の困りごとについてお聴きする機会が出てきました。
オープン・ダイアローグでは、話し手と聴き手は常に対等な立場にあり、お互いを尊重をして受け入れる立場で対話に臨みます。
聴き手さんは話し手の方の心にあるお気持ちをお聴きし、それについて感じたことを返します。
障害自体についてや、障害者としての〇〇さんについて話すのではなく、
今ここにいらっしゃるその方の気持ちや困りごとなどに寄り添い、対話します。
オープン・ダイアローグへ参加の回数を重ねていくうち、自分が発達障害者として生きてきたこと、発達障害や他の困りごとを抱えている方たちが毎日の生活を生き抜いているという現実が、実感を持って素直に受け入れられるようになっていきました。
オープンダイアローグと障害について感じるのは、対話は障害自体を解決するものではないけれど、障害当事者の方や周囲の方と対話することによって、実際に言葉を交わした
『その障害を持っている◯◯さんのこと』
『◯◯さんの感じている困りごと』を少し知り、一緒に考えることができるということです。
対話のルールとして、話された内容自体は決して外には持ち出されません。でも、対話から聴き手の心の中に残ったその方への印象、理解や問題意識は残り続けるでしょう。対話が色々な場所で行われることは。社会と障害を持つ方との間にある壁を少しずつ薄くしていくと思います。
また、話し手さんの方も、自分の感じていることや困り事を話し、それをジャッジなしに受容・尊重してもらえる自己開示の体験になります。
それは、他でも自分を出してみることへとつながるかもしれません。
もちろん、カミングアウトすることが現実として良くない場合もあると思います。
カミングアウトしても受け入れられる環境かどうかの見極めは必要です。
心理的安全性への感覚はその指標になるでしょう。
〈オープン・ダイアローグについて〉
フィンランドで考案された対話メソッドです。
対等な立場でお互いに敬意を持ちながら「聴く」「話す」を続けていくと、本人の中から自然と改善や回復が湧いてきます。
元は精神疾患の治療法として生まれましたが、
現在では福祉や教育、会社組織など色々な場所に広まりを見せています。
★対話で話された内容は外部へは持ち出されません
★対等な立場で行う、安心・安全な対話の場です
★対話中のどんな一言にも、沈黙にも価値があります。
対話スペースけやきは広島県福山市を中心に、オンライン・オフラインで対話実践やオープンダイアローグに役立つ勉強会を行っています。
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