自分の人生だから好きにすれば良いとは。(思考2日目)
前回のあらすじ
私、たいちょ!絶賛迷走中。メンタルブレイクの結果、自分の人生を振り返ってみることにした。最初の壁である中3受験期に起こった家庭崩壊。(大体父のせい。)その後どうなったかと言うと……?
5.今が耐え時
まぁ、そんなこんなでとりあえず引越しすることになった。母も母で嫁姑問題があったから気持ち的には賛成であったらしい。だがまぁ、ものを動かすとなると人手がいる訳で。我が家は成人男性で若いのは父だけであったから当然、引越し屋の力がいる。加えて新居は立てるか借りるかになる。となると、どうしても金がかかるのであった。
そもそも金が無くて祖父母の家に居候していたのだから、状況的には現実的では無かった。
母は私に聞いた。
「たいちょは今年受験があるけど、引越ししても大丈夫???」
心の中で私は、
「普通に考えたらだいじょばないよなぁ。無ければ無い方が良いに決まっているだろ。」と思っていた。
この大丈夫かという意味には「お前は絶対公立の学校に行けよ」というのが込められている。
他所がどうだかは知らないが当時私が住んでいた所では、公立の方が頭が良くて金がかからない。私立は頭が悪くて金もかかる。というのが一般常識として広まっていた。尚且つ、この頃はまだ真面目であったから一応市内で1番の学校を受験するつもりであった。行きたい大学もそこそこレベルが高かった。先の事を考えると頑張った方が良いに決まっている。しかしながら、その学校はギリギリ入るか入れないかの際の所であった。
もし、しくじって既に受かっている私立に行くとなれば金食い虫に就任することは目に見えていた。となると、次のストレスのはけ口は私だ。それだけは避けたかった。私はとても狡い子であった。私は、この時逃げた。
「1番の所でなければ。」私はそう言った。そういうしか思い付かなかった。
母はどう思っていたのか、分からなかったが私の言葉を承諾した。
この騒動の主な原因の父は、猛烈に反対した。怖かった。でも、しくじって金食い虫に就任した時に受けるであろう事の方がもっと怖かった。私は恥ずかしかった。本当に実力が有るのならば、こんなことが起きても合格する人はするのだ。分かっていた。でも、私には自信がなかった。自分が1番、自分を信用してあげれなかった。
6.当たり前
その年の12月29日私達は新居に引越した。その家は割と綺麗めなお家だった印象が残ってる。大晦日はまだテレビも付いてなかったので、ダンボールに囲まれた机でカップ麺のうどんを食べて年を越した。
そして、年始は引越しの荷解きをしたら終わった。それからあっという間に時間は過ぎていった。
毎日ペースを崩さずに淡々と勉強した。追い込みというよりかは常に冷静に入れるように。絶対焦らないように。ただそれだけを思っていた。
3月、合格発表の日はとてもよく晴れた日であった。何故か父と一緒に掲示板を見に行った。私はドキドキもヒヤヒヤもしていなかった。ぼーっと掲示板を見つめる。番号が見えたら自分の番号を探す。
「……あった。」
私は呟いた。
周りの声は騒がしく、喜びの声が上がったり、嗚咽が洩れているのが聞こえていた。
父はおめでとうも頑張ったとも言わなかった。ただ、「……そうか。」と同じように呟いた。
別に褒めて欲しい訳では無かった。合格するのは当たり前だと思っていた。だって挑戦する対象のレベルを下げていたのだから。
仲の良かった友人は、同じ学校を受けていた。友人は受験した学校がギリギリの成績であったらしいことは知っていた。少し心配になって奴の姿を探した。
顔をくしゃくしゃにして泣いていた。隣で奴の母がよく頑張ったと子に抱きついて喜んでいたから、合格した事は分かった。私は少しほっとした。嬉しかった。少し声をかけようと思ったが、
「帰るぞ。」
私は父の言葉でまた少し冷静になった。
「……うん。」
来月から通う学校の門を通り抜けた時、少し肌寒いなと感じた。
今日はここまで。