コーヒーをいれる自分
先日妻がコーヒー豆を買ってきた。
街の喫茶店で挽いてもらったものだったので冷凍庫にしまった
ごくたまにコーヒーを淹れたいと思うことがある
豆を挽くというのは
コーヒーをいれる工程の一部であり
一連の流れであったのだが
我が家のミルは
安物の頼りない道具
(買っても良いのだが)
そもそも豆を挽くということが内心(?)面倒で
年に数回
豆をいただくのだが
そのたびに
飽きてしまうのだ
そんな私が
2週間ほどコーヒーを淹れている
粉のグラム(g)を測って
注ぐお湯の量を測って(g)
*面倒なので計りの単位は(g)のままなのだ、どうでもよいか
濃いだ薄いだのと思いながら
ちょうど良い分量を探っては
気分で変わるので
毎度いまいちなかんじなのだが
コーヒーは十分に美味い
面倒な気持ちにもならない
豆を挽くというのは
フォームであって
私にとって本質からは外れているのではないか
モチベーションは意外にも
理想とは違う場所に隠れているのかもしれない
印象を捨ててみると
家で美味いコーヒーを飲むことができるということか
まあこれが続くとは限らないんだけどね
fine
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