内見
引っ越そうと思って、内見に行くことにした。アパマンショップで出会ったお兄さんは小池といった。小池はなんでも確認を求める男で、見積りを出しても良いか、似たような部屋も案内していいか、車を用意していいかの確認を全て僕に求めてきた。
全ての確認に対して気前よく「はい」とか「いいですよ」と答えてはいたが、「いいえ」や「少し考えさせてください」と言ったらどうなるんだろうとも思った。ドラクエにたまにいるキャラクターみたいに、「はい」を選択するまで延々と同じセリフを繰り返すようになるのかもしれない。彼はあらゆることを事前に確認し、許可を取ることこそがホスピタリティだと思い込んでいたので、僕が車の後部座席に乗って内見先の物件に向かうことになるがそれでもいいかという許可をとってからその通り内見に向かった。僕はその周辺の地理はよく頭に入っていて、店舗から物件までの道がUターンして一直線であることも理解していたが、小池はカーナビに住所を打ち込んだ。
道を理解しているという僕のオーラが後部座席から運転席に伝わったのか、彼は運転の時緊張していた。さして混んでいるわけでもない平日の午前中の道路を法定時速を下回るスピードで運転する彼の次の不安は、近くに駐車場があるかどうかだった。
ナビには内見先の住所を入れていたが、幸い物件のすぐ裏の道に駐車場を見つけた。「ここに駐車してもいいですか?」と聞かれたので、「いいですよ」と駐車を許可した。その後小池は、何度も切り返しながら駐車を試みた。駐車板に乗り上げては切り返し、乗り上げては切り返しを繰り返していたもんだから、ユニバーサルスタジオジャパンのスパイダーマンのアトラクションかと思った。楽しかった。お兄さんは、落ち着いて切り返せば減点対象にはならないことだけは知っている教習生のように、冷静さをなんとか繋ぎ止めようとしていた。ようやく駐車できて車から降りると車は白線を跨いで曲がっていた。彼は「及第点でしょう。」みたいな顔をした。
車を降りて物件に向かうと、小池は確認を求める人から、見たままを言う人になった。そこがエントランスであること、エレベーターで上に上がること、301号室と書かれた部屋が301号室であることを僕に伝えた。僕は、その度、「はい」と「うん」の間の返事をしていた。ふん、ふん。ふん、ふん…。
部屋に入ろうとすると一度部屋の中の準備をしますのでと言われて、廊下に取り残された。ぼんやりと3階からの景色を眺めた。真正面に3階建ての古いアパートのベランダがあり、洗濯物が干してあるのが見えた。その横から見えた階下には、さっき車を停めた狭い道路が見えた。
小池がドアの隙間からひょっこりはんみたいに顔を覗かせて、準備できました的な顔をしたので部屋に入った。入ってから合計12~14回くらいふんふん言った後、彼は「良かったらもう一部屋の方もご案内しても良いですか?」と聞いてきた。お、また確認を求められたぞ。と思って、「お願いします」と答えた。彼と僕はエレベーターで同じマンションの8階まで上がった。804の扉の前に立ち止まると彼は「ここは早くて来月中旬まで入居者がいますが、それ以降は入居可能です。」と言った。
「それって今は内見できないってことですか?」と聞くと、彼は平然とした様子で「あ、はい笑。今居住中ですので。」と返した。僕と小池はおそらく3秒くらい804の扉を眺めた。「…もう大丈夫ですか?」と聞かれたので、「大丈夫です。」と返した。その3秒は30秒くらいに感じた。
僕はこの二人きりの空間から立ち去りたくなって、先にエレベーターの方に向かおうとすると、小池は廊下の欄干に手をかけて口を開いた。
「こちらが8階から見える景色です。」
その視線は遠くを見ていた。その顔はどこか凛々しく見えたが、たぶん気のせいだった。視線の先に目をやると、そこにはさっき3階から見たアパートを8階から見た時に見えるであろう景色があった。なんの感想も出てこなかった。「答えは沈黙だよ」とハンターハンターの第一巻でクラピカが言っていたことを思い出した。
一階に降りて、店舗には戻らずここで解散することを伝えると、小池は僕に「契約や物件に関して何か気になることありますか?」と聞いた。
「仲介手数料に関して少し・・・」と言うと、「かしこまりました。仲介手数料に関してですね。それではまたご連絡させていただきます。」と言って別れた。半日後、彼から届いたメールを見ると仲介手数料が最初の記載から半額になっていた。