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「写真家」って、何なんだ?

こんにちは。今回は(あくまでも自分が考える)「写真家」とは何なのか?ということをテーマにnoteを書いてみたいと思います。

ちなみに自分はフランスに住んでいて、写真を20年来の職業として生活してきました(なが!)。日本メディアは女性誌を中心として、旅やライフタイルをテーマに雑誌やカード誌、機内誌、企業の広報誌など、主にエディトリアルを中心に活動しています。

また犬猫好きが昂じて、吉田パンダ名義で「いぬパリ」という本をMme Figaro Booksから出版しました。そういえば、自己紹介らしい自己紹介ってnoteに書いてなかったな、、。


他、パリ在住食ジャーナリストの伊藤文さんとは、パリのカウンターがあるカフェをテーマに「パリのカウンター」という本を作っています。ボナペティ。


でも、自分は自分のことを(いわゆる)「写真家」だとは思っていません。いや、、、そう自称していたこともあったし、「吉田パンダ」というある意味、自分とは切り離した別名義は写真家と言ってもいいとは思っていますが、、(←ややこしいわ!)。

日本語では、主にクライアントワークを中心に活動している人を「フォトグラファー」、自分の「作品表現」として写真を撮るのは「写真家」と呼んでいる(自称している)ように思います。そういう意味では自分は「フォトグラファー」かなーと。

ちなみに英語でもフランス語でも「写真家」は「Photographer」「Photographe」と一単語で終わりです。

フランスでは自分のことを「Photographe」です、と言って自己紹介することになるし、こっちの人にとっては日本語で言うところの「フォトグラファー」「写真家」の区別なんてありません。

どちらも等しく「アーティスト」という範疇に入るらしく、よく言われるのが、『君たち(フォトグラファー、写真家)は「目」を持っている。私たちが見えない世界を見ている。それは特別なことなんだよ』と。なんか嬉しいんですよね、そう言われると。日本では、「商業フォトグラファー」と「写真家」は別物とされているイメージがあるので。

さて、話は「写真表現」に戻ります。ここからが本題です(←今からか!)。

「写真を『表現』として撮影しているのが写真家」と書きましたが、では『表現』とは何なのか。

個人的な意見ですが、端的に言えば「そこに問いはあるのか」ということだと思っています。例えば2025年の今、日本人である私が、なぜパリの写真を撮るのか。それを通じて、どんなことを世の中に問いたいのかというような。

対して「これ綺麗でしょう、見て?」「これが今の僕の気持ち」という心象風景を写真で伝えるのは表現ではなく、表現未満というものではないでしょうか。もちろん批評性や客観性がなくても、表現として成立する例外もあります。例えばソール・ライターのように。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/saulleiter.htm

というわけで、ソール・ライター級、もしくは写真の力で世界に問い立てをする人が「写真家」じゃないだろうか?というあたりで。

うーん、、もう、photographeでいいけど(笑)。

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