クレアおばさんの、なんやワレ、メンチ切ったろか
先日のある夕方。笹塚駅前を歩いていると、突然便意を催した。
笹塚周辺に移り住んで10ヶ月。もはやホームタウンである笹塚のうんこスポットリサーチは既に済ませてあった。
どこにトイレがあるのか、その場所は把握できている。
お尻の穴を引き締めながら、僕は駅前の商業ビルに入った。
このビルは、1階にはトイレがない。僕は、やけにゆっくりと進むエスカレーターに乗った。今回は液体だな……。そう予感した僕は、ひたすらに「落ち着け」「落ち着け」と自分自身に問いかけた。
2階に上がると、エスカレーターの近くで健康グッズの特設販売コーナーができているのが目に入った。長机の上に様々なグッズが置いてあり、販売員の証である赤いナイロンのベストを着た、50代後半くらいのおばさんが立っている。
一番手前には右腕だけが上下に動く招き猫の置物があって、その猫がとにかくブサイクな顔をしていた。
腹が痛すぎるので僕は何をするでもなく、トイレへと向かった。
想定していたうんこスポットで想定していた形状のアレを無事に排出することに成功した僕は、安堵し、穏やかで優しい気持ちのままトイレを後にした。
うんこを出し終えた後ほど、生きている喜びを実感する瞬間はない。みなさん、下りのエスカレーターまで手を繋いで歌を歌いながらスキップでもしませんか、そんな気分だった。
スキップはせず、ニコニコしながらエスカレーターの方に歩いていくと、先ほどの健康グッズコーナーが目に入る。
全く健康グッズは興味がないので素通りしようとしたら、さっき見たブサイクな招き猫と目があった。
その時、僕の横を2、3歳ほどの男の子が駆け抜けて行った。子供の後を、お母さんと幼稚園児くらいのお姉ちゃんが追いかけてくる。
男の子は、ブサイクな招き猫を見ると「ニャーニャー!」とお母さんに向かって指差した。そして、その招き猫に近づいて、「ニャーニャー」と言いながら招き猫の頭を撫でた。
言葉を少し覚え始めた子供が話す言葉は、たどたどしくて本当に可愛らしいものだった。僕はその子の拙い言葉に思わずほっこりして、笑顔になった。
お母さんもそのお姉ちゃんも「ニャーニャーだね」と言って笑いかけている。
うわ、めっちゃいいやん!家族って!めっちゃいいやん!暖かいなあ!
僕はその微笑ましい姿を少し観察していた。なんと平和な日常なのだろうか。うんこを終えた後の穏やかな感情と目の前の景色が混ざり合って、さらに幸せな気持ちになった。
すると、その男の子は赤いベストを着て立っていた販売員のおばさんに対しても、ブサイクな招き猫を指差して「ニャーニャー!」と言った。おばさんは、よく見るとクリームシチューで有名なクレアおばさんのような優しい顔つきをしていた。
僕もお母さんもお姉ちゃんも笑顔になったその言葉。
きっとクレアおばさんもほっこりするに違いない、僕はそう思った。
なので、クレアおばさんが笑顔になったのを見届けてから帰ろうと思い、僕は下りのエスカレーターに乗りながら、クレアおばさんを見た。
すると、
クレアおばさんが、その子供にめちゃくちゃガンを飛ばしているのを見てしまった。
僕の地元の言葉で言うと、クレアおばさんが子供にめちゃくちゃメンチ切っとった。(関東ではガンを飛ばす、関西ではメンチを切る、と言う言い方の違いがあるらしい)
僕は混乱した。エスカレーターが下降する中、1人、めちゃくちゃパニックに陥った。あんなに穏やかそうな雰囲気のクレアおばさんが、悪魔のような目つきをして、子供を睨みつけていたのだ。
お母さんやお姉さんは気づいていないようだった。そのことが救いだった。何よりも、おばさんがガンを飛ばしていたことを知っているのが、なぜか全く彼らの人生に関係のない、僕だったのだから、僕としてはこれは墓場まで持っていこう。でも墓場までの途中で寄り道してノートの記事にしよう、と思い、ここに書き記した次第だ。
僕は、クレアおばさんのような見た目でも、子供を嫌いな人がいるのだ、ということを初めて知った。
ちなみに本家のクレアおばさんは、本当に子供たちに優しい方だそうで、僕は安心して、そのまま家に帰り、ジャワカレーのルーを使ってバッチバチに辛いチキンカレーを作ったのだった。