レコード屋

まずはインドから始めなさい。

ジャマイカに行くことを決めたのは突然のことだった。

大学2年生の正月。

お年玉とバイト代の嬉しいダブルパンチを受けた僕の口座には、信じられない程の大金が振り込まれていた。

「とりあえず、風俗に行こうかな?」

そんなことを考えていた時、ふとある本を思い出した。

「Born fi Dead」

死ぬために生まれて、という意味の、ジャマイカの貧しい実情を描いた一冊の本だった。

ああ、そういえば、ジャマイカ、行ったことなかったな。

よし、ジャマイカに行こう!

何も考えず、軽い気持ちで決心した。




海外に行ったことがなかった。

両親が旅行好きで、小さい時から日本各地の色んな場所に連れて行ってもらった。

春はお花見、夏はキャンプ、秋は紅葉、冬はスキー。

国内のあちこちに行った。

だけど、海外旅行はいつも両親のみ。

僕と姉は日本で留守番をするのがお決まりだった。

だから、パスポートすら持っていなかったし作り方も知らなかった。

早速、池袋にパスポートを作りに行った。

寝癖ぼさぼさの証明写真を提出した。

「16000円です。」

衝撃だった。

お金を取られるとは思わなかった…。

パスポートは国民に無料で配布されるものだと思っていたのだ。

予想外の出費だった。




母親から連絡が来た。

数日前に、 「ジャマイカ行くわ!」 と話をしていたのだ。

母親からのメールは、以下の内容だった。

「お父さんと話したけど、ジャマイカはあかん。あんた海外行ったことないやろ。最初はインドにしなさい。インドから始めていきなさい。」

インドから、始めていきなさい…?

頭の中には無数の「?」が飛び交った。

いやいや、インドもそこそこ危険じゃない?

それに、なぜ行きたくもないインドに行かなければならない?

これがウォーミングアップなんで!ってか?

インド人に失礼過ぎるだろ!!!

その時、僕はふとナイスアイディアを思いついた。

「友達がいるからニューヨークに行くのはどう?」

こう送った。友達がいるなら…と了承を得ることができた。



無論、ニューヨークに友達などいない。

エイチ・アイ・エスで成田〜ニューヨークの旅券を購入した。

両親には「成田〜ニューヨーク」の旅券の写真を送った。

「ええやん!」とだけ返事が来た。

その下にはニューヨーク→マイアミ→キングストン(ジャマイカ)の旅券が隠されているともつゆ知らず。

これで、両親は僕がジャマイカに行くとは思わないだろう。

安心してもらえる。後は旅の情報が必要だ。

ツイッターやFaceBook、現地の人が出しているガイドブックなどを参考に、何をするか決めた。

NYで音楽ライターとして活躍する女性と、ジャマイカで会う約束まで漕ぎ着けた。(結局仕事の都合で会えなかったんだよなぁ…。)

やべえ、やべえよ…。いっちゃうよ…ジャマイカいっちゃうよ…。

3月の出発が近づくにつれて、僕のドキドキは高まっていくばかりだった。




出発当日、成田空港。

初めての海外に行く飛行機の中は、最高に新鮮だった。

え!?酒飲み放題!?最高か!うわ!なにこの飯!うまっ!おおお!映画新しいのあるやん!やばっ!

気付いたら爆睡していた。

エコノミーの狭い席で肩が痺れて目が覚めた時、

目の前にはオレンジ色の朝日と、アメリカの郊外の住宅街が広がった。

映画に出てくるような、広い庭と、ガレージと、煉瓦造りの大きな家。

全く同じ作りの家々が辺り一面に広がっていて、

それを見た瞬間にワクワクが止まらなかった。

アメリカに入国する時に

「ニューヨーク経由でジャマイカに行くよ。」

と言ったら黒人の税関が

「ヘーイ。吸いすぎるなよー?」

と笑いながら言った。

うわっ!本場のアメリカノリだっ!

僕のテンションはバカみたいに上がった。



次の飛行機は駅が違うのでメトロに乗る必要があった。

見るからに怪しい白人に騙されて拉致されそうになったけど、

無事に駅に着き、チェックインすることができた。

その日はJFK空港で一泊。トランジットした。

晩飯を食べようと、マクドナルドへ。

注文をしていると、ボンキュッボンな姉ちゃんが僕の後ろを通った。

黒人の店員が眉を動かして教えてくれた。

そして彼は嬉しそうに口笛を吹いてニヤリと僕に笑いかけたのだ。

うおおおおっ!アメリカノリやんけっ!

再び感動した。 ボンキュッボンの姉ちゃんにも、勿論。

JFK空港のハンバーガーは日本のサイズとあまり変わらなかった。

アメリカのマクドナルドのハンバーガーは大きいって聞いていたんだけどなぁ。




初めての空港泊は、全然眠れなかった。

人が通る度に目が覚めた。

それまでの人生で味わった事のない孤独だった。

その時、アジア人と思しき男性とすれ違った。

日本人…かな?

その人は、ソファに腰を下ろすと、夏目漱石を読み始めた。

おっ、日本人だ! すかさず話かけた。気さくで優しい人だった。

「どこに行ってはったんですか?」

「ボリビアだよ!ウンコを見に行ったんだ!」

「そうなんですね!」

反射的にそう言った後、僕は一瞬固まった。



う、ウンコ…??


ウンコを見るために、Youはボリビアへ…?


やけに爽やかな言い方だったから、そうなんですねって言ってしまったけれども!

せ、世界にはいろんな人がいるんだ…バカにしてはならない…。そうだ、そうなんだ…。

無理矢理自分を納得させていると、お兄さんは写真を見せてくれた。

その写真をみて、僕は心を奪われた。

地面が鏡のようになっていて、空の様子がそのまま水面に映し出されているのだ。

神秘的だった。


「これがウンコだよ!」



その時、僕はウユニ塩湖の存在を知らなかったのだ。

「ウユニ」とか「塩湖」とか、そんな日本語使う機会あります?

普通に「ウンコ」って聞こえますから!




お兄さんと朝まで色んな話をした。結局寝ないでマイアミへ行った。

マイアミは、暑かった。

次のフライトまでカフェで時間を潰そうと思った。

黒人の店員に話かけた。

無視された。

もう一度話かけた。

また無視された。

うわっ!人種差別された!

衝撃的だった。

黒人差別について勉強している僕が、黒人に差別されてしまったのだ…!!

違うカフェに移動してサラダを食べた。

猛烈に野菜が食いたくなったのだ。


キュウリはデカすぎて水分がないし、セロリは太くて固くて、全く味がしなかった。

これがアメリカか…凄まじいぜ…!!!

食べ終えると、ジャマイカ行きの搭乗口に行った。

ジャマイカ行きとなると、流石に全員黒人だった。

明らかにアジア系な一人の男性を除いて。

さっきと同じ感覚でその人に話かけた。

「どこから来はったんですか?!」

男性は怪訝そうな顔をした。そして、早口で何かを言うと、その場を立ち去ってしまった。

中国人だったのだ……。

搭乗口には、黒人しかいなくなってしまった。

みんな呑気だった。 大きな体を揺らしながら皆大笑いしている。

思い描いたイメージ通りすぎて、皆に勝手に親近感を抱いていた。




ジャマイカ行きの飛行機に乗った。

しばらく海を越えると、僕の目の前には小さな島国が見えてきた。

うおおおおお!ジャマイカだ!

小さな飛行機は徐々に高度を下げていった。

24時間近く飛行機に乗っていたこともあって僕の頭は時差ぼけが凄いことになっていたが、

ジャマイカに着いたことで全てがリセットされた気がした。



入国審査を済ませ、荷物を受け取りに行った。

僕のキャリーケースは赤くて大きいものだ。

ターンテーブルに自分の荷物が出てくるのを待った。

赤いケース。赤いケース。赤いケース。





待つこと30分。

僕の荷物は出てこなかった。

流石に焦った。

ええええ!??僕の荷物は!?

ねえねえ!!

僕の荷物はぁああああ!??

空港の職員に話かけた。

英語を話す余裕なんかなかった。

「やばいって!荷物が出てこうへん!なぁ!荷物出てこうへんねんけど、なんで!?」

空港の職員は笑いながら言った。

「ヘーイ!テイクイットイージー!」

ヘーイ!じゃねぇよ!!!お前ら荷物無くしとんねんぞ!!!

焦っていた。

カバンの中には、地図やら着替えやら、大切なものが諸々入っていたのである。

「ユー!ロストバッゲェイジ!」

随分とアフリカ訛りの英語で、空港の職員は言った。

ロスト……バッゲェイジ……??

え、よりによって、そんなこと、あるんですか……??

「大丈夫!なんとかなるよ!」

半べそをかく僕の肩を、職員は大きな手で優しく叩いた。




その後、必要な書類に名前と、泊まる宿の名前を書いた。

有名な宿らしく、職員は住所が無くても分かるよ〜!と言った。

ほんまかいな?と思ったけど、そもそも住所が分からないので空欄にしてそのまま提出した。

僕の荷物はゴーアウェイしてしまった。

テンパっていた。

電話で母親に相談しようか!?とも思った。

だが、母親は今、僕がジャマイカにいることを知らないのだ。

ニューヨークにいるはずの息子が、ジャマイカにいたと聞いたらどうなる!?わけわからんくない?!そこから説明すんのめっちゃめんどくさくない!?すんません、ジャマイカから始めてしまいましたって!それ絶対怒られるやつやん!!

荷物が戻ってくることを願うのみだった。

そうして、身体一つでジャマイカに放り出されてしまった。




太陽が刺すように暑かった。

日本の三月と違って、湿っぽい埃混じりの熱風が通り過ぎていく。

すぐに額から汗が流れた。



「おい!お前!タクシーに乗らないか!?」

「何言ってんだ!俺のタクシーだよな!?」

「いんや!俺のタクシーだぜメーン?!」

黒人のオッサン集団に囲まれた。

ガイドブックで、「ジャマイカ人は、指輪をしていると、指ごと持って行こうとすることがあるので気をつけてください!」と書かれていた。

死を覚悟した。もうヤケになっていた。

「タクシー予約してるんで!」

そう叫ぶと、オッサン達は、「ノー!」と叫びながら吉本新喜劇みたいにわざとらしく地面に崩れ落ちていった。

お茶目だった。




タクシーを予約していたのは事実だ。
ジャマイカは違法な白タクばかりなので、強盗や殺人に巻き込まれるケースが多いと聞かされていたのだ。

だが、予約といえど、いつまでも待ってくれるわけがない。

約束の時間に間に合わなかったら、運ちゃんを帰しますと、言われていたのだ。

約束の時間まであと、30分ほどだった。

 空港付近を走り回った。

運ちゃんの名前を一心不乱に叫びながら。

めちゃめちゃテンパっていた。

誰も返事してくれなかった。

30分が経ってしまった。

諦めて日陰に座り込んだ。

汗だくになって、シャツがビチョビチョになって、気持ち悪かった。

終わった…。なんでこんな付いてないんだ!!

僕は力なく地面に寝っ転がった。





その時、誰かが僕に話かけた。

「ヘーイ、アーユータイッケ?!」

顔をあげると、随分と大柄で太った男性が立っていた。

「イェス!イェース!アイムタイスケ!」

「オー!」

運ちゃんが現れたのだ。

嬉しさのあまり、ハグをしてしまった。柄にもなく。

運ちゃんは僕を指差して大爆笑していた。

「お前めっちゃ走っとったな!見てておもろかったから話かけへんかったわー!」

と言われた。

僕がテンパっているのが面白過ぎて、見て見ぬ振りをしていたらしい。

右手には随分と極太なマリファナのジョイントを持っていた。

冷静に考えれば、ふざけんなって話だったけど、僕としてはただでさえテンパっていたので、些細なことがとても幸せに感じられた。

雑に扉を開ける運ちゃん。

「ヘイ!荷物は?」

「ない!ロストバゲージした!」

「オー……」

いや、それは笑わんのかい! 僕は心の中で突っ込んだ。




僕はタクシーに乗り込む。

古びた日本車だった。

エンジンがかかった瞬間、耳を覆いたくなる程の爆音でレゲエが流れた。

綺麗に晴れた空の下を、勢いよく飛び出した。

空港を出て、カリブ海沿いを走って行く。

太陽に照らされてキラキラと光る水面が綺麗だった。



その時、目の前で車と車が正面衝突した。

「ファックユー!ファックユー!」

怒号が飛び交った。

僕は何が何やら分からなかった。

運ちゃんは平然とシカトして通り過ぎた。

そこは無視するんや…と思った。



車内は暑かった。

クーラーは壊れていて、窓を開けても生ぬるい湿った風しか車内に入ってこない。

風が吹くたびに、ソファーにこびりついたマリファナの甘ったるい刺激臭が僕の鼻を刺激する。

レゲエのサビに合わせて、運ちゃんがクラクションを鳴らした。

道路を歩く人がこちらを見た。

右手に銃を持っていた。

わけがわからなかった。



タクシーは宿のあるジャマイカの中心地に向かっていた。

派手な服装をする若者、道に溢れた浮浪者、エッチなギャル。

マリファナの匂いとアンモニア臭と大げさな香水の香り。

町中のあちこちに置かれた大きなスピーカーと、爆音で流れるレゲエ。

全てが新鮮だった。


タクシーを降りた。

宿に着き、チェックインを済ませる。

ベッドに寝転がると、遠くで乾いた破裂音が何回か聞こえた。

銃声だった。



インドから始めた方がよかったかもしれない、と思った。



でも、それが、危険で楽しい最高に刺激的な旅の始まりだったんだ。

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小林泰輔
生きます。