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銀座の経営者30人の前で話したこと

いつも読んでいただきありがとうございます。TAISUKEです。
銀座のとある経営者の集まりで5分のスピーチを頼まれ、話したことの反響が良かったのでこちらのnoteにまとめたいと思い、筆を取っています。


1.「自分の」「切実な体験」を「具体的に」語る

スピーチの依頼を受けた時、私の中に疑問が浮かび上がりました。

「いったい、私のような30代の駆け出し経営者が、海千山千越えてきた銀座の経営者の皆様に何を話せるのだろう。」

読者の皆さんなら、この5分間という真剣勝負の場で、一体、何を話しますか?

私の次の問いは、
「そもそも、人前で話すということはどういうことか。」
でした。
そう考えると、私の中に明確な答えがあるということがわかりました。

それが、以下の3つです。

  1. 自分自身のことについて話す

  2. 切実な体験を話す(自分にとって大切なことをわかちあう)

  3. 具体的に、語る

なぜこの3つなのかということは別で書くとして、私はいつも、何か表現する際にはできるだけこの3つを守ってきました。そしてこの3つが忠実に守れている時に限って、良い反響をいただいてきました。今回もそのような結果となりました。

2.たった一点に絞る

そのような3つの形式で話すことを決めたとして、しかし内容がダラダラと続くようでは話にまとまりがありません。
以下に書くことは、自己紹介、恋愛、仕事の打ち合わせなど、あらゆる場面で応用できるので、ぜひこれだけ覚えてください。

「剣山の針よりも、アイスピック」

要は、針がたくさんある剣山ではなく、たった一つしか針がないアイスピックの方が武器としての強さを持っています。

これは時間の長短に関わりません。60分話す時も、5分の時も、必ず、伝えるのはたった一つ。
さて、拙文を読んで頂いている貴方様も話す準備ができてきましたでしょうか。
あなたにとってのアイスピックは、何でしょうか。

3.肝心の内容は3部構成

まだまだ「形式」の話が続きます。
私は必ず、内容は3部構成を意識しています。時間の長短に関係ありません。
中でも、笑い→真剣→笑い、が良いと思います。
これも理由がありますが、今日は長くなるので触れません。
あらゆる名演説か、講演家などの文章や録音を聞くと、大抵は最初は笑いや軽やかなムードから始まります。もちろんクライマックスもあります。そして最後に、柔らかく終わる人もいれば、激励して終わる人もいます。
私は、最後に説教くさくなるのは嫌ですし、また最初の笑いに戻る方が構成として美しいのでできるだけ笑いに戻して終わるようにしています。

4.肝心の内容をどう考えるのか

さて、ここまで「話し方の形式」という”箱”を作ってきました。
あとは「この箱に何を(どんな内容を)入れるのか」ということだけです。
ここまでできたら、山を60%は登ったも同然です。

一方で、頂上までの残りの40%では、何がその質、成果を決めるのでしょうか。
私は、生き方だと思います。

40%は、私自身が、私自身のこれまでの生き方にどれだけ自信を持っているか、ということに関係します。

関係する、というより、
「私がどう生きてきたのか、に対して、自分がどれほど自信を持っているか」ということそのものが、内容になってきます。

ここでもお気づきかも知れませんが、内容の話をしながら、内容には触れていません。(笑)内容の形式について語っています。

これも当然といえば当然で、自分の生き方について自身があれば、冒頭の3つの原則、

  1. 自分自身のことについて話す

  2. 切実な体験を話す(自分にとって大切なことをわかちあう)

  3. 具体的に、語る

はそれほど難しくありません。
時間配分だけ気にして、あとは語るに任せれば、自然と言葉は出てきます。

5.さて最後に、本当に内容の話をします。

ということでお待たせしました。簡単に内容に触れて終わります。
以下、話した内容、ほぼそのままです。

私は実は今、○○社長の家に訳あって、居候しています。昨日の夜、今日のスピーチで何を話そうかと社長に相談したのですが、「俺の家での話は金払うからしないでくれ」と言われたので、今日は僕の話をします。(最初の笑いの部分です。)

私は今年の1月に神戸から東京に引っ越してきました。それまでは「林業」というおそらく読者の方には馴染み薄い世界で、2年ほど修行させていただきました。
「日本の林業は俺が変えるんだ」
という強い意気込みで、「収入」や「キャリア」などあらゆる選択肢を手放して、一から勉強しようと思い林業の会社に入りました。

しかしその会社は2年で辞めてしまいます。理由は社長との関係が悪化したことでした。ストレスで痔を発症し、チェーンソーで大怪我しそうにもなりました。

社長はとても正論を言う人でしたが、私はその度に自分の不器用さや、仕事のできなさを責め、自己嫌悪に陥るばかりでした。
結果、「社長の言っていることが全く入ってこない」状態に陥りました。頭が白紙状態になるのです。そうしたことがあり心療内科に行くと「適応障害です」と言われ、そのまま休職、退職しました。

人生であんなに辛いことはなかったくらい、辛い時期でした。
適応障害になり、働く意欲もなく、どうしようかと思って東京の、今お世話になっている社長に相談しました。
その社長は私にこう言いました。

「TAISUKEはなんでもできると思ってたけど、できないことがあったんだな。それは俺の会社にいた時に実は分かった。(かつて私はこの社長の会社でわずかな期間働いたことがありました。)その時に、TAISUKEに直接的に不満があって社員が二人辞めてしまったことがあったけど、俺は、今でも、正直そんなことはどうでもいいと思ってる。」

「お前はもっとでかいことを考えたら良い。なんでも、好きにやったら良い。細かい仕事ができるかどうかとか、言ったことをやれるかどうかは、はっきり言ってお前の場合はどうでもいい。そんなことで悩む必要は全くない。」

私はその社長が、自分の会社の従業員が二人も辞めてしまったことについて「どうでもいい」と言い切る姿に、社長の愛を感じました。
お前は天才だから何でもできるよ、と力強く何度も言ってくれました。

社長夫人は元々そういったことを言うタイプの人でしたが、まさかその社長がここまで愛が深い人だとは思いませんでした。(ちなみにここが笑いのポイントでした。)

そうした時期を経て、今私は営業やコンサルの仕事をしているのですが、一緒に働いてくれている仲間がとても楽しそうに働いているのを見て、今の自分だったらあの時に、二人も辞めなかったのになあと思っています。

一方であらゆる経験をしてきたことが、今の自分の全てに繋がっているなとも思います。今後もここでの学びを活かして、日々精進したいと思います。ご清聴ありがとうございました。



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