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山形移住ダンサー4年目あたりの実感#1

 山形移住ダンサー4年目あたりの実感として、山形県大石田町に移住し変わってきた自分と周りの環境を振り返り、これから都市を離れながらも(特に東京らへん)繋がりを保ち、自身の地域でコミュニティ形成に興味のある同志に向けたマニアックな内容をこれからノートで不定期的に小出しにシェアしていこうかなと思っています。大体1500文字前後目標にあっさりと読めるように綴ります。
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 この手の話をするとき大体は移住したきっかけとか、始まりの話、移住したての困ったことからになると思いますが、まあそんなに予想できないことは起こってませんのでそこからではなく、今の視点から遡ったり先の話をまぜたりで話していくと、もしかしたら新たな発見に繋がるのでは。
 とはいえあまりにも自己紹介がないとあれなのですこし自分自身に触れます。武豊出身、35歳、ダンス歴23年、新体操→ジャズ→コンテ→太素 タイソーテクニック←いま
ニューヨークに4年住みましてダンスをしてました。途中からグループを作り振付作品をたくさん細かくやったり、カーネギーホールの一番小さいホール借りたりして主宰公演打ったりと珍しい動きをしてました。そのあとはベルリンでも活動。
 そんでもっていろいろあって大石田AIRという企画を立ち上げて4年になりまして、現時点で実はクリエイション真っただ中なわけですが、週末に児玉北斗さんの作品上演に向け、大石田に集まった3人のダンサー(うち二名は地域おこし協力隊)と共に毎日踊っています。毎日踊りながらも制作業務や、次回2/11のイベントの制作、3月に2つあるダンス公演の制作宣伝打合せ等同時進行で手分けして行っています。個人的には年度末ということで予算を使い切るかの如く、集客は半分期待せずイベントを消化しアーティストへ機会と少しの富を分配するような意識です。ここら辺は協力隊の町の業務として行っているため、日を追うごとに微妙になっていく役場スタッフの表情をグッと抑えながら(甘いものをたまに差し入れしたり)走りまわってます。
 4年目でもはやアーティストが大石田に来ることは珍しいものでも、ありがたいものでもなくなりましたが、それだけ当たり前かのように事が進行しているのは良い点だと思います。ましてコンテンポラリーダンスなんて見たことも聞いたこともないという住民がほとんどだったので、なんとなく固定の客層が見えてきているのは成果かなと思っています。しかしほとんどの住民はこの機会の貴重さを活かせておらず、鑑賞の機会の損失はもちろんですが、wsや知識の共有などの場づくりも行っていますが一部のそもそも文化への興味水準の高い人たちがそれを享受しています。この点をひっくり返すには小中教育しかないのではと思っていて、希望する子供たちへ向けたダンスクラブ活動を始めています。ダンスクラブではダンスの指導だけではなく、社会に出たときに即戦力となれるような総合的で実践的な教育を試しています。例えば、チラシのデザインであったり、人に教える方法論であったり、座学としてダンスの文化知識を学ぶことそして、自分たちでイベントを制作し発表する場づくりから出演、チケット販売などです。その経験を経た子供の変化を通して保護者への影響が、ダンス文化というか少なくとも鑑賞やライブ文化に繋げていきたいです。 

 ここから先、更にこういった活動を総合的に行い、奇妙なまじめなダンスみたいなものをなんとなく受け入れ、知らない人どうしが面白がったり語り合ったりするようなめんどくさい町に変容させていきたいと思っています。その町の意識の変化、町のあたりまえを形成していくことを自分自身のアートワークとして捉え何かわからないけどわくわくできて面白いまちづくりをしています。

次回は金、集客など数字の話をしたいと思います。
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