日本は、どこか遅れている。かなり・・
名君といわれた秦の穆公
彼は国家を隆盛させながら、死んだ後に177人殉死させ、有能な臣下も多数殉死しだ。
それを左伝は、厳しく批判している
「主君って奴は、法と善人を残すものだ。善人を一緒にあの世に連れ去ってしまうのは、国家を損なうもので、彼が覇者になりきれなかったのは、当然だった」
てみたいなことを言われている。
それが2000年以上前・・・
で、日本は、平然と明治くらいまで、「殉死」してた。
山岡鉄舟にも、殉死者がでてた。
明治天皇の死んだときも、乃木希典とか殉死者。
それを日本では「賛美」されているが、
左伝の批判や 黒田官兵衛の「自分に殉死する者は、息子・新君を見捨てるて意味では不忠者である」
と決して、賛美すべき行為ではない。
社会と亡き主君・新指導者への不忠と裏切りなのだ。
殉死という不忠不義が、100年前まで・・いや今でも起きえる日本は、ある意味で、すさまじく時代遅れの国・社会としか言えないのだろう。
純情純粋て理由で、悪事・不義・不忠を行う・容認されるのがまだ残るのが日本の後進性だと思う。
純粋・純情てことで、慈悲・愛を見捨てる・人の尊厳を踏みにじり社会・国家を破壊する・・それがどうも日本の宿アと思う気もする。
要するに「幼稚性」が、未だに抜けないところが多いのが「日本」