ガザが、中東を統一させた。
より
上記文抜粋
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カラガノフ:古くて新しいロシアの夢を創造する
セルゲイ・カラガノフ氏の記事はこれで3本目になります。
カラガノフ氏の論説は単刀直入でズバリとその本質を指摘しているところが好きです。さらにそこには希望とロマンがあります。しっかりとした歴史観を背景に、優れた分析と、未来の予測をシンプルに表現する才、そして、にじみ出る人への優しいまなざし。勝手な想像ですが、カラガノフ氏はロマンチストだと思います。
この論説の中で
「この(ウクライナでの)戦いでは、脅しをかけてでも、必要であれば最も残忍な手段を用いてでも、勝たなければならない。これは、自国の勝利のためだけでなく、世界が第三次世界大戦に陥るのを防ぐためにも必要なことなのだ」という一文が出てきます。
反露、ロシア憎しのおバカさんが飛びつきそうな文言です。逆に親露の方の中には、ちょっとした驚きとともに違和感を感じた方がいらっしゃるかもしれません。ですが、ここに、カラガノフ氏の真骨頂があるような気がします。
実際に「必要であれば最も残忍な手段を用いてでも」を歴史的にも現在進行形でも恥じることなく実行しているところはどこでしょうか?
そう、実際にやっているのは、イスラエルのネタニヤフとウクライナに巣くったネオナチ、これまでのアメリカではありませんか?
ロシアは理想に向かってひとつひとつ段階を踏んで着実に前進しているように見えます。
さて、日本で理想を掲げて未来を描くことができた政治家や学者、専門家がいたでしょうか? そのような時があったでしょうか?
世界中で騒然となったタッカー・カールソンとプーチンの対談は、最初の30分間、プーチンはロシアの歴史を語りました。日本は原爆を落とした国が何処なのかさえ濁すお国柄です。誤魔化しだらけの歴史ですから、胸を張って歴史を語ることさえできない。
一方、日本をやたら持ち上げる方々がいます。神の国とかどうとか。スピ界隈からも、保守と自称する界隈からも。それはそれで結構なことで、反対するわけではありません。しかし、優越感(劣等感の裏返し)を過度に刺激することはあっても、そこには未来への理念、理想、信念、哲学は無いように感じます。そう、カラガノフ氏が説くような哲学とパッションがありません。だからといって、それは、誰か、"立派な"ヒーローに期待したり、その出現を待望することではないと思います。一人一人が自分の頭で心で追求すべきだと思います。そして今がそれができる時です。
なお、この記事は、掲載された媒体によってタイトルが違います。
RTでは「セルゲイ・カラガノフ:ロシアがヨーロッパを永久に放棄し、アジアに完全に目を向けなければならない理由がここにある」── ヨーロッパは終わり、ロシアの地理的・文化的優位性は沈みゆく船と共に沈む必要がないことを意味する。
カラガノフ氏自身のサイトでは「ターン(戦略の変更)2か、シベリア・ロシアか」となっています。
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抜粋終わり
そもそも「天皇」がそれをしない。
だから皆無。
俺は「天皇を根絶やしにして、美しい国を取り戻す」くらいしか言えんな。
さらに続いて抜粋
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ロシアの東への第二のターンは"ウラル山脈の向こう"にある
Сибиризация: Второй поворот России на Восток лежит “за Камнем"
Сергей Караганов (Заслуженный профессор, научный руководитель факультета мировой экономики и мировой политики НИУ ВШЭ)
シビリゼーション(シベライゼーション):ロシアの東への第二のターンは"石の向こう"にある
セルゲイ・カラガノフ(国立研究大学高等経済学院世界経済・世界政治学部名誉教授、研究部長)
2000年代後半、私が若い同僚たちとロシアの"東方ターン(東向きの方向転換、戦略の変更)“の利点と必要性を立証する活動を始めたとき(並行して、現ロシア連邦国防相のS.K.ショイグも同僚たちと同じ方向で力強く活動していた)、この"ターン(方向転換、戦略の変更)“の概念と展開には、シベリアとウラル山脈全体が含まれていた。アジアとその市場に向けたターン1は、行政的には主に太平洋シベリアを経由し、そこに北極圏が加わった。
2010年代に始まった東方への軸足移動は成功したが、極東が人的、産業的、資源的にはるかに強力な東シベリアと西シベリアから人為的に切り離されたことが大きな原因である。また、極東は"大陸の呪い"、つまり市場から遠く離れていることに苦しみ続けた。
今、新たな地政学的状況は、当初の考え、すなわち、ウラル山脈を含む全シベリアの第一次開発によるロシア全体の東方化、すなわちロシア全体の"シビリゼーション(シベライゼーション、シベリア化)“への回帰を緊急に必要としている。アジアが急速に発展している一方で、ヨーロッパは長年にわたって閉鎖的であり、決して第一級のパートナーになることはできないし、なるべきでもない。
西側諸国がウクライナで挑発し、解き放った戦争によって、人類の発展の中心である南と東への動きから私たちの目をそらしてはならない。この新しい、しかし長い間予測されていた状況は、私たちに"故郷"に戻るよう指示し、求めている。300年以上にわたるヨーロッパの旅は、私たちに多くのものを与えてくれたが、一世紀も前にその有用性を使い果たしてしまった。
(この「故郷に帰る」という言葉は、ハバロフスク出身の著名な哲学者・歴史家である L.E.ブリャッハー教授が、前回の東方視察の共同作業を行っていた数年間に私に与えてくれた)
偉大なピョートルによって始められたこの旅がなければ、ロシアは多くの業績を残すことはできなかっただろう。その最たるものが世界最高の文学であり、ロシアの文化、宗教、道徳をヨーロッパの文化と融合させた結果である。ドストエフスキー、トルストイ、プーシキン、ゴーゴリ、それからブロク、パステルナーク、ソルジェニーツィンなど、私たちの近代的アイデンティティを形成してきた精神の巨人たちは、"ヨーロッパの予防接種(接ぎ木)“なしにはほとんど現れなかっただろう。
この三世紀の間、私たちは国家と民族の東方のルーツを半ば忘れていた。モンゴル人は略奪もしたが、発展も促した。結局のところ、彼らとの対立と協力の中で、私たちは彼らの国家形態の多くの要素を認識し、そのおかげで私たちは強力な中央集権国家、大陸的思考を築くことができた。
どうやら、チンギス・ハーンの帝国から、現在ではほとんどユニークな文化的、国家的、宗教的開放性も受け継いだようだ。モンゴル人は自分たちの文化や信念を押し付けず、宗教的にオープンだった。だからこそ、ロシアを守るために、聖なる王子アレクサンドル・ネフスキーは彼らと同盟を結んだ。
もし16世紀以降、ロシア人が一斉に"石を越えて"(ウラル山脈を越えて)"太陽に出会いに"移動しなければ、大ロシアは実現しなかっただろうし、おそらく、西と南からのライバルや敵に包囲されたロシア平原で生き延びることもなかっただろう。神の意志の介入を別にすれば、彼らの衝動の速さは不可解である。コサックは60年で大洋に到達した。
シベリアの開発によって、古代ロシア、ロシア王国から偉大なロシアが生まれた。帝国と宣言される以前から、シベリアの資源、最初は"柔らかい金"、次に銀、金、鉱物によって、強力な軍隊と海軍を創設し、装備することができた。
北シルクロードのキャラバンは、毛皮と引き換えに中国製品を運び、キャフタ(ロシアとモンゴルの国境近くの国境地帯に位置する)を経由してロシアやその周辺に至るまで、重要な役割を果たした。シベリアでは、ロシア人は競争と交易をしながら、中央アジア人(当時は"ブハラ人"と呼ばれていた)と緊密に協力し始めた。
※ブハール人:民族ではない。ブハラ・ハン国には、ウズベク人、タジク人、ウイグル人、キルギス人、カザフ人、カルカルパク人など、さまざまな民族が住んでいた
シベリアは、文化的、民族的な開放性、ロシアの自由への渇望、巨大な勇気といったロシア人の性格の最良の部分を強力に強化した。シベリアは、何十もの国籍の人々によって支配され、現地の人々と絡み合った。そしてもちろん、集団主義 ─ 相互扶助なしには、空間や自然の力(自然災害)に打ち勝ち、生き残ることは不可能だった。
ロシア系ロシア人、ロシア系タタール人、ロシア系ブリヤート人、ロシア系ヤクート人、ロシア系チェチェン人など、数え上げればきりがない。著名なチュメニのジャーナリストで作家のA.K.オメルチュクは、シベリアを"ロシア人の性格の醸造所"と呼んでいる。
ヴィッテ、ストルイピン、そしてその仲間たちというエリート中のエリート、そしてシベリア鉄道を最短時間で建設した人々の偉業は前代未聞である。彼らは"太陽に向かって"という古いスローガンの下でも、"大海原に向かって"という具体的で壮大な目標を反映した新しいスローガンの下でも行進した。そして今、"大ユーラシアへ前進"という新たなスローガンが掲げられるべきだろう。
※セルゲイ・ユリエヴィチ・ヴィッテ:ロシアの"金本位制"の導入(1897年)を達成し、海外からのロシアへの資本流入を促進し、鉄道建設への投資を奨励した(大シベリア道を含む)。ヴィッテの活動は、ロシア帝国における産業成長の急激な加速をもたらし、そのために彼は"ロシアの工業化の祖父"と呼ばれた
私たちは、彼らの労働と自己犠牲、そして自らの意志ではなくシベリアに渡った人々の労働に感謝すべきである。収容所の囚人も受刑者も、国の発展に多大な貢献をしたが、十分には評価されていない。
ソビエトの北極探検という精神を高揚させるプロジェクトがあり、シベリアのコムソモールという大きな建設現場があり、そこではソビエト連邦のあらゆる民族の代表が手を取り合って働き、友人を作り、家族を作った。シベリアの油、穀物、毛皮のコート、モンゴル、ブリヤート、トゥヴァからの馬、そしてもちろんシベリアの連隊は、大祖国戦争でモスクワを救い、勝利に重要な役割を果たした。
※トゥヴァ共和国:南および南東でモンゴルと、東でブリヤート共和国と、北東でイルクーツク地方と、北でクラスノヤルスク地方と、北西でハカス共和国と国境を接している。西にはアルタイ共和国がある。トゥヴァは、山脈と山間盆地が交互にある山岳地帯。
そして、シベリアの石油とガスが登場した。
しかしもちろん、全ロシアの国庫に対するシベリアの主な貢献は、勇気と粘り強さ、強靭さ、進取の気性に富んだ人々である。ロシア精神の体現者である。必要なのは、ロシア人を中央から(統一された土地からを含む)シベリアに移住させることだけではなく、彼らの経験と展望、そしてアジアに近いという感覚を持つシベリア人に、国を運営してもらうことも必要だ。
シベリアを育てた私たちの同胞の世代は、先見の明があったとはいえ、シベリアをアジアの市場、つまり未来の市場に持ち込むことで、ロシアをヨーロッパ・アジアの大国にするということを十分に理解していなかった。
そして、この未来がやってきた。
西側諸国によって解き放たれた対立、エリート層によって刺激された社会的分解の過程、ヨーロッパの長期的な発展の鈍化は、ロシアの未来が世界の中心が動いている東側、南側にあることを明確に示している。
私たちは新しい世界の誕生に立ち会っている。さまざまな意味で、私たちはその助産婦となり、500年にわたるヨーロッパ=西側の覇権、すなわち軍事的優位の土台を打ち砕いたのである。
私たちは今、ウクライナの野原で我々に戦略的敗北を与えることによって、歴史を逆戻りさせようとしている去りゆく西側諸国の、願わくば最後の攻撃を退けている。この戦いでは、脅しをかけてでも、必要であれば最も残忍な手段を用いてでも、勝たなければならない。これは、自国の勝利のためだけでなく、世界が第三次世界大戦に陥るのを防ぐためにも必要なことなのだ。
しかし、繰り返すが、西側諸国との戦いによって、最も重要な創造的仕事から目をそらしてはならない。その中で、ロシアの東部全体の新たな発展と台頭は、地理経済学、地政学の発展だけでなく、今後数十年の間に避けられない気候変動も、一方ではその必要性を示しているが、他方では、全ロシアの新たなシベリア・ターン(転換、変化、曲がり角)を推進し、精力的に実施することの可能性と利益を証明し、その精神的、人間的、経済的発展の中心を東部に移している。
シベリアの鉱物資源、その豊かな土地、森林、豊富できれいな淡水は、近代的な技術と、最も重要なことは、シベリア人を使用して、ユーラシア大陸の発展のための主要な基盤のひとつになるように求められている。そして私たちの仕事は、シベリアを私たちの手でしっかりとつかみ、国民、国、そして全人類の利益のために発展させることである。これまでのところ、我々は主に低レベルの加工資源を供給している。課題は、国家の規制的役割の下で、全ロシアのフルサイクル生産コンビナートを構築することである。国防企業への注文の流れを利用して、シベリアの機械製造業を最新の基盤で再構築する必要がある。
全ロシアの行政中枢(省庁、立法機関、大企業の本社)、そして愛国的で、良い意味で野心的な若者たちも、同じ方向に進むべきである。もしピョートル大帝が現代に生きていたら、間違いなくシベリアに新たな首都を築き、アジアへの窓口を力強く広げていただろう。モスクワ、サンクトペテルブルクと並んで、ロシアには第三の、シベリアの首都を絶対に必要としている。これは、今後数十年にわたって展開される軍事戦略上の状況からも必要とされている。
ウラル山脈とウラル山脈横断地域の住民の多くが、偉大な発見者である先祖の燃えるような精神を受け継ぎ、シベリアの優先的台頭を含め、ロシアの復興と繁栄を願っていることは知っている。残念なことに、彼らの多くは、その野心と能力を発揮する展望と機会を見出せず、発展した中央地方に去っていくか、東部の小さな町や村で静かに"燃え尽きる"。この巨大な人的資本を活用し、シベリアの内陸部や大規模な行政センターとロシアの他の地域との間の不必要な架け橋を破壊し、地理的にも文明的にも大きな歴史の軸をひとつにすることが、私たちの力と利益になる。
すべての同胞の自己意識と思考の方向転換、国全体の利益のための輝かしいシベリアの過去、現在、未来との団結は、必ずやシベリア人自身の心に響くことだろう。繰り返すが、ウラル、シベリア、極東地区だけでなく、ロシア全体のためのシベリア戦略が必要なのだ。また、後者はアプローチの狭さも含め、率直に言って弱い。
この戦略は、既存のものは説得力があるが、経済的な計算から始めるのではなく、アジア・ロシアの発展の壮大で息をのむような歴史を、ロシアのアイデンティティの中心に据えるという精神的、文化的な取り組みから始めるべきである。ロマンと勝利と冒険に満ちたシベリアの歴史は、わが国のすべての愛国者にとって自分のものになるはずだ。
誰もが知っているアメリカ西部の征服は、私たちの祖先の一連の偉業の影も形もない。同時に、彼らは大量虐殺に手を染めることなく、地元の人々との交流を深めていった。しかし、私たち大衆や知識人でさえ、この歴史をほとんど知らない。
1240年代後半、アレクサンドル・ネフスキーが中央アジア、南シベリアを経てモンゴル帝国の首都カラコルムまで一年半の遠征を敢行し、バティエフスキー(Batyev?)以上の称号を手に入れたことに何の価値があるだろうか。マルコ・ポーロの物語で知られ、やがて中国を統一した皇帝、元朝の創始者となったフビライ・ハーンもこの時、そこにいた。彼らはほぼ間違いなく会っている。おそらく、アレクサンドル・ネフスキーの遠征からシベリア探検とロシア・中国関係の歴史を始めるべきだろう。
南シベリアと北海航路を結び、中国へ、そして北海航路を通じて東南アジアへとつながる新たな子午線ルートを建設すべきである。ウラル山脈とシベリアの西部地域は、インドや南アジア諸国、中東への効果的なアクセスを得る必要がある。遅ればせながら、ようやくシベリア地域を含むロシアとイランを経由してインド洋を結ぶ鉄道の完成に着手したことは心強い。
水資源に乏しいが労働力にも恵まれた中央アジアの同胞諸国を巻き込んで、水資源のあるシベリアを開発することが必要だ。下手な河川移管プロジェクトではなく、水集約型生産を共同で創出し、"バーチャルウォーター"(食料品やその他の商品の生産に使われる水)を輸出するのだ。シベリアと中央アジアの発展の共生関係は、すべての人々に大きな利益をもたらす。
労働力の不足は、勤勉で規律正しい北朝鮮の人々を大量に受け入れることで部分的に補うことができるはずだ。我々は、北朝鮮に関して愚かにも西側の路線に従うことからようやく抜け出し、友好関係を回復しつつある。インドとパキスタンが、少なくとも季節労働力の供給に関心を持っていることは知っている。
私たち国立研究大学高等経済学院は、ロシア科学アカデミーシベリア支部 経済学・産業生産組織研究所、科学アカデミーのシベリア支部および極東支部の他の研究所、トムスク、バルナウル、ハバロフスク、クラスノヤルスクの大学とともに、「東方ターン(東を向く)」プロジェクト2(ロシアのシベライゼーション)を実証するプロジェクトを開始している。
また、東洋学、東洋の言語、民族、文化に関する知識を学校教育から発展させるための国家プログラムも必要である。文化的にも宗教的にも開かれたロシアは、祖先から受け継いだ大きな競争優位性を持っており、ヨーロッパ人とは異なり、東洋に向かって移動しながら奴隷化したり破壊したりすることなく、現地の民族や文化を吸収してきた。
孫子、孔子、カウティリヤ(あるいはヴィシュヌグプタ)、ラビンドラナート・タゴール、フェルドウスィー、ダリウス王、ティムール、アル・ホズレミ(代数学の創始者)、 アブ・アリ・イブン・シーナ(アヴィセンナ:医学の創始者)、ファティマ・アル=フィフリ(世界初の大学の創始者)は、教養あるロシア人にとっては、アレクサンダー大王、ガリレオ、ダンテ、マキャベリ、ゲーテと同じくらい身近な存在と考えられるはずだ。
私たちは、正統派のキリスト教だけでなく、イスラム教や仏教の本質も理解しなければならない。これらの宗教や精神(霊的な)運動はすべて、私たちの精神的記憶の中にすでに存在している。私たちはそれらを保存し、発展させるだけでよいのだ。
加えて、シベリアは今後数十年の間に避けられない気候変動を考慮に入れて、快適な生息域を拡大していくだろう。自然そのものが、ロシアの新たなシベリア東方シフトへと私たちを誘っている。もう一度繰り返す。
ロシアの東方シフトのプログラムを創造し、実行することによって、私たちは、力と偉大さの源に帰るだけでなく、私たち自身と将来の世代のために新たな地平を開き、国の偉大さ、繁栄と意志、すなわちロシアの自由への熱望、私たちの中の最良のもの、すなわちロシア人の精神を体現するという、古くて新しいロシアの夢を創造し、実行するのである。
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抜粋終わり
こういう真摯さと自信が大事なことに思う。
アイヌが、アメリカ西部のようになってる。下手したら沖縄も・・
「天皇」の惨さよ・・・
より
上記文抜粋
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中東を再統一させたガザ(トビー・マティーセン Toby Matthiesen)
前回に引き続き、浅井基文氏のコラムからだが、2024年2月15日の記事では、日本ではほとんど知られていないトビー・マティーセン(Toby Matthiesen)署名文章「中東を再統一させたガザ-新・汎イスラム戦線:アメリカ最大の挑戦(?)-」(原題:"How Gaza Reunited the Middle East -A New Pan-Islamic Front May Be America's Biggest Challenge-")を紹介かつ翻訳されている。
以下、最後の「(イランが勝利する可能性のあるゲーム)-A GAME IRAN CAN WIN-」のみを掲げよう。全文は➡︎「中東政治の展望(トビー・マティーセン署名文章)浅井基文2024/2/15」である。
◼️「中東を再統一させたガザ-新・汎イスラム戦線:アメリカ最大の挑戦-」
トビー・マティーセン フォリン・アフェアズ(FA)WS 2024年2月9日
How Gaza Reunited the Middle East
A New Pan-Islamic Front May Be America’s Biggest Challenge
By Toby Matthiesen, February 9, 2024
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(イランが勝利する可能性のあるゲーム)-A GAME IRAN CAN WIN-
中東の中でも、親イラン枢軸の武装勢力が戦争を拡大させているという批判を行うものはいるが、世論調査及びアラブ・ソーシャル・メディアでは、ハマス及びその武装抵抗ドクトリンに対してアラブの支持が厚いことを示している。同じ調査によれば、アメリカ及びアメリカと緊密に結びついている政権、すなわちサウジアラビアとUAE(2022年にイスラエルと関係正常化)、に対する支持が劇的に落ち込んでいる。サウジアラビアでは、人口の大半すなわち90%以上がイスラエルと国交を樹立することに反対、という世論調査結果がある。また、1月のアラブ・オピニオン・インデックス(16のアラブ諸国を対象としたドーハの調査)によると、回答者の3/4以上が、10月7日の戦争開始以来、彼らのアメリカに関する見方が否定的になったとされている。
これらの見方がどのように形成されたのかを理解するのは難しいことではない。すなわち、親西側アラブ諸国政府が戦争をストップさせるためにほとんど何もしてこなかったのに対して、イラン及びその枢軸勢力は、自分たちこそが地域のリーダーであり、パレスチナ人の主要支持者であることを示すことができている。フーシを例に見てみよう。彼らはこれまでほとんど知られていないイエメン北部の反乱武装勢力だが、米英による間断ない砲撃に直面しても、バブ・エル・マンデブ海峡経由の海運を遮断することに成功している。フーシは支離滅裂な戦争を行うことで、以前は彼らさらには枢軸派の政策全般を支持していなかったアラブ民衆の間でも名をとどろかせることになった。この意味では、ガザの戦争は、過去数十年間のいかなる紛争にも増して、イスラム世界をまたぐ大きな団結をもたらしている。
矛盾しているように見えるが、現時点での枢軸派に対する最大の反対勢力はISIS等のスンニ派過激派である。彼らこそ、イスラエルとアメリカがハマスになぞらえてきた勢力である。イスラエルとアメリカは10月7日の攻撃の野蛮性を宣伝する意味からこのようになぞらえたのだが、ISIS自身はハマスのことをナショナリスト過ぎてグローバリストではないと繰り返し非難している。そのISISは1月初めに、イランで行われたカセム・ソレイマニ(抵抗枢軸の中心的設計者)を讃える追悼式をめがけて大規模なテロ攻撃を行い、94人の死者と284人の負傷者を出した。この際にISISは、ソレイマニ追悼出席者はシーア派であるが故に死に値すると主張し、この攻撃はソレイマニ及び彼が代表するものに対する象徴的攻撃であるとした。サラフィー聖戦士グループがこの攻撃に訴えたのは、中東における存在感を示すとともに、スンニ派とシーア派が大団結した瞬間をめがけてシーア派とスンニ派との間の宗派的暴力に火をつけることを狙ったものと見られる。
ソレイマニは、中東地域におけるアメリカの利益に対する攻撃を組織したために、2020年にトランプ政権によって暗殺された。しかし、2015年から2017年にかけて、ソレイマニはアメリカが率いる連合軍とともにISISに対する戦いのためにシーア派イラク武装勢力のとりまとめを支援していたのは不都合な真実である。ソレイマニ暗殺を受けて、イラクはアメリカ軍を地域から追い出すための努力を加速させることを示唆した。今アメリカがガザにおける戦争でイスラエルを無条件に支持し、イスラエルの時間稼ぎのために軍事的外交的行動をとっていることは、中東全域で西側及びイスラエルに対する抵抗を支持する動きが広がっていることに鑑みれば、アメリカ追い出しの動きを加速させる可能性がある。それに対して、枢軸勢力のネットワーク(イラン、シリア、フーシ、ヘズボラ、イラクのシーア派武装勢力)が、パレスチナ人が非常な困難に直面しているときにその真の支持者であることを示すことができる限り、アラブ諸国の枢軸批判勢力が有利な地歩を獲得できる可能性はない。
したがって、アラブ諸国政府が傍観者であり続ける限り、枢軸側は、ハマスを支持し、軍事的抵抗を行う意思表示を行うだけで、中東全域における影響力を獲得できる。今後何が起こるとしても、イスラエル及び西側のこれまでの過ちの結果として、イラン及びその同盟者はますます影響力と行動力を高めていく可能性があると見られる。親西側アラブ諸国に関しては、その政策と自国民のパレスチナに対する共感との間の大きなギャップを埋めるための努力をしなければならないだろう。長い間パレスチナ問題をおろそかにしてきた親西側アラブ諸国としては、新たなアラブ蜂起の波に直面することを避けるためにも、パレスチナ問題の正しい解決を緊急に推進する必要があろう。
アメリカに関しては、武装勢力をピンポイント攻撃することで軍事力を誇示する選択が満足できる政策かもしれない。しかし、ますます明らかになっていることは、アメリカがガザ休戦を実現し、イスラエルの占領を終了させ、そして最終的に実効的パレスチナ国家を樹立することができなければ、地域におけるエスカレーションをストップすることは不可能であるということである。こうした信頼できる、具体的なステップをアメリカがとらない限り、地域諸勢力はパレスチナ問題を自分たちのポイント獲得のために利用し続けるだろう。しかも、パレスチナ国家の建設という事業は、パレスチナのすべてのグループ及び地域のすべての主要国(サウジアラビアその他のアラブ諸国のみならず、トルコ、イラン、枢軸諸勢力を含む)の支持によって支えられない限り、成功することはまず考えられない。この事業を邪魔しようとする勢力は数限りない。また、イスラエル政府のこの問題に関するむき出しの立場を考えれば、以上のアプローチに対する障害はとてつもなく大きいものがある。しかし、こうした広い支持に支えられた正しい解決をパレスチナ問題に関して行わない限り、中東は持続的な平和を実現することができず、多くのものが夢に見てきた政治経済協力を実現することもできないだろう。それに代わるものは、果てしのない暴力の連鎖、西側の影響力と正統性の衰退、そして西側そのものに敵対する形での地域統合という危険性である。
このトビー・マティーセン(Toby Matthiesen)の記事は、少し前掲げたサイモン・ティスダル(Simon Tisdall) の「米国はもはや中東最大の大国ではない。イランがそうだ。」The US isn’t the biggest power in the Middle East any more. Iran is), The Guardian Sat 13 Jan 2024の主張をより綿密に、とくに宗教的側面(シーア派とスンニ派)も含めて記述されていて、浅井基文氏の言うようにとても説得的である。何はともあれ、ガザジェノサイドを機縁に、中東、いや西アジア全体は、かつての親米国家も含めて、大きく反米へと動いているのは紛いようがない。
Toby Matthiesen@TobyMatthiesenのXアカウントも参照されたし。
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抜粋終わり
世界の統合というか安定に、シオニズム=ナチズムに反対する、ってことが、肝になってくるのだろう。
天皇~シオニズムでナチズムだから、天皇在る限りに、日本はご臨終。
天皇制って、なんかその思想なり物語が、、、ナチスみたいに、「妄想」ばっかりだし。
今の大河で、平安時代に「天皇家と藤原氏の中での殺し合い」が日常茶飯事だから、ようするに「歴史」があっても、社会学・政治思想は中身が結構スカスカなのが、日本だは・・天皇に呪われ規制されているからね・・
まあ、このままガザによる中東の統一・ロシアの深い歴史と思想がみれない日本は、世界人類から、根絶される目に合うでしょう、「天皇」を根絶しない限りに。
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