心書 将器
守屋洋訳 諸葛孔明の兵法 {徳間書店} より
{将器}
将帥の器
一口に将帥といっても、その器量には大小の違いがある。
腹黒い人間を見分け、危機を未然に察知し、よく部下を統制することができる。これだけなら十人の将にすぎない。
朝早くから夜おそくまで軍務に精励し、ことば遣いもいたって慎重である。こえはまだ百人の将にすぎない。
曲がったことがきらいでしかも思慮に富み、勇敢かつ戦闘意欲が旺盛である。これは千人の将といえる。
見るからに威たけく、内には満々たる闘志をひめ、しかも部下将兵の労苦、飢寒を思いやる心をもっている。これなら一万人の将といえる。
有能な人材を登用するとともに、みずからは毎日、怠りなく修養につとめる。信義に篤く寛容性に富み、治乱に心をみだされない。これなら十万人の将といえる。
人民に仁愛をたれ、信義をもって近隣諸国を心服させる。天文、地理、人事の万事に通じ、全人民から敬慕される。これなら天下万民の将の器である。
・・・・・・・・抜粋終わり
究極的には、「政治家」こそ、最大の器量が問われる・・ていえるかな。
日本は「十万の将」となると、人文・社会学の識見の低さで、容易にはわからないだろう。
ましてや「天下万民の将」など、今は期待できないように思える。
なんせ「天皇」は、「天下万民の将」であるよりも「自己保身」が大事だからな。
逆言うと「天下万民の将」がいたら、「天皇」など、どう考えても要らんよね。