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滅びか、大掃除が、起きつつある。

ありがとうございます。

なので、穏やかな状況ではないですが、ご本人たちは恋人と魔術師が正位置なので、「この人だ」と決めていますし、それに向かうスキルも得たので、このまま自分の砦を建設する方向で始めていくでしょう。ところが過去の強い「この人だ!」という幸福感や勢いが復活することは無さそうです。塔は土台ができてないです。いうなれば、砂地に高層ビルを建てようとするようなもので、どんなに技術があっても根本が間違っているのでなかなかそのプランの実現は進まなかったり、内部崩壊する危険性が伴います。ではありますが、それも織り込み済みで、年内ご結婚というイベントは、そのまままとまっていくようですね。

多分、こういう見方の方が穏当で正しいように思えます。



て記事を読むと、天皇とその体制自体が

いうなれば、砂地に高層ビルを建てようとするようなもので、どんなに技術があっても根本が間違っているのでなかなかそのプランの実現は進まなかったり、内部崩壊する

て思えます。


て記事を見ると、

でも自分の出した「真子さんと小室圭の天皇脱出計画」にも思えなくもない。

仮に「離婚」しても、真子さん的には「脱出成功」で「世界の 正」てことかな?

細菌戦に関わった皇族の写真は、元JOC会長の竹田氏の親父さん。


名簿の筆頭は裕仁天皇(昭和天皇)で、次に細菌兵器の開発・実験に携わった731部隊(正式名称:関東軍防疫給水部本部)初代部隊長の石井四郎、100部隊(同:関東軍軍馬防疫廠)の若松有次郎獣医少将が続く。さらに名簿には731部隊2代目部隊長の北野政次、関東軍総参謀長を務めた笠原幸雄、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王、同じく皇族で陸軍参謀、731部隊の担当参謀を務めた竹田恒徳も含まれている。

さらに名簿にはペストノミを使った杖の設計者である田中淳雄、炭疽菌を詰めたチョコレート使用を提案した太田大佐、1940年に対中国の細菌兵器使用に関わった鈴木少佐と野崎少佐の名もあった。
ソ連側の論拠
戦犯として裁判にかけることを目的に5人の引き渡しを求める米国政府宛文書案は、承認を受けるべくスターリンに提出された。
対象の5人とは昭和天皇、石井731部隊初代部隊長、北野731部隊2代目部隊長、若松100部隊獣医少将、笠原関東軍総参謀長。ヴィシンスキーによると、この5人全員は「細菌兵器開発と使用に関与している」と1949年ハバロフスク裁判で日本人が証言している。
外交文書案には「日本の帝国主義者は自身が仕向けた攻撃的戦争において、平和を愛する諸国民に対して細菌兵器の使用を計画していた。細菌兵器は軍隊への攻撃、また高齢者、女性、子どもを含む一般市民への攻撃を目的とし、ペストやコレラ、鼻疽や炭疽菌などの致命的な疫病を拡散させるという大規模な使用が想定されていた」とあった。
また文書案には、これら兵器は日本軍の細菌部隊である731部隊と100部隊により開発されていたこと、両部隊は昭和天皇の命、陸軍省および参謀本部の指示により特別に編成されたものであることも記されていた。
両部隊の組織編制や活動内容などの詳細な説明もあった。
文書案ではさらに「ソ連、中国、モンゴル、米国、英国の国民に対して致命的な細菌を使用するための準備として、日本の狂信者はこの大量殺戮兵器を中国とソ連を中心とする数千人に対して人体実験を行った」ことも指摘。
・・・中略・・・
文書では、1925年のジュネーブ議定書「戦争における窒息性、有毒、および類似のガスおよび細菌性物質の使用禁止」を含む、当時の国際規範について言及されている。
最後に「ソ連政府は戦犯として裁判に処するため、人類に対する重大犯罪に問われる裕仁天皇、石井四郎、北野政次、若松有次郎、笠原幸雄をソ連当局に引き渡すよう求める」と文書は結ばれている。
ソ連の外交文書は1950年2月1日にアレクサンドル・パニュシキン駐米ソ連大使によりディーン・アチソン国務長官に手渡されている。しかし米国側はソ連側の主張を無視し、ソ連が要請した5人を引き渡すことはなかった。


それを見て見ぬ振り・・。

まあ、天皇ってエゲツナイ仕事ですは・・・

もう少なくとも、こんなの=天皇は辞めましょう・・・・


そういう意味もあるかもしれない・・・


なんか、上手く〆れないけど・・


今はこれで。


また交換日記の件は書くつもりです。


ありがとうございました。


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