「通俗道徳」「自己責任・自助至上」が、変化への対応力を削ぎ、破滅させる。
より
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・
昭和の風土では戦えない=冷戦思考問題
今朝の日経のオンライン一面。
「昭和の企業風土で戦えるか」だそうです。
思わずスクシャしてしまったけど、日本の問題はここからだな、など思った。
昭和の企業風土とかいってるけど、企業のみならず、そもそも、日本の主要なストリームそのものが戦後昭和の風土だというのが問題ではないのか、ということ。
つまり、日本のあらゆる発想慣習の中に著しい冷戦思考が蔓延してる。このトレンドが勝ちすぎてて、世界の中の出来事を素直に見られなくなって、引き返せなくなっている、と。
すぐ下には、「歴史操る習氏」とか言って、中国のやり方をくさしてる記事が出てるけど、この横柄さが何に由来するのかというと、冷戦対立こそこの世の真理みたいな発想でしょう。他者を見ようという態度ではない。
これが冷戦思考のプロトタイプでしょう。日本は中国を、欧州はロシアを敵視して、揶揄して、馬鹿にして、西側主導の発想と違うことをすると叩きまくる。
その結果、こういう大惨事になる。日本の雑誌、新聞の見出しを集めても似たようなものが作れると思う。
で、こういうことに忙殺していると、そんなことより我が国の方向はどうなのだ、という発想が失われ、現在に至る、と。
別の言い方をすれば、フランシス・フクヤマみたいなアホにつられてるとろくなことにならない、ネオコンによる「歴史の終わり」運動は失敗に終わりました、といったところか。
ネオコンの世界制覇戦争を信じちゃった (2)
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/f8a4464e5bf62e4a64481fd606682394
ネオコンの世界制覇戦争を信じちゃった
https://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/1aed226f81646f0bfd230beb62342380
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
昭和の企業風土とかいってるけど、企業のみならず、そもそも、日本の主要なストリームそのものが戦後昭和の風土だというのが問題ではないのか、ということ。
つまり、日本のあらゆる発想慣習の中に著しい冷戦思考が蔓延してる。このトレンドが勝ちすぎてて、世界の中の出来事を素直に見られなくなって、引き返せなくなっている、と。
この最大の原因は「自己責任論=通俗道徳」ではなかろうか。
「自助・報徳思想」は、「勤勉・勤労・誠実なら、きっと報われる」ってらしい。
でも、その状況が変われば、勤労で疲弊してしまえば、それに対応できなくなって死ぬ。
そもそも「自助」とはいうが、サンデル教授でさえ「それすら運じゃん」
仮に、「努力・縁・運」が、成功の要素として、自力でできるのは「努力」だけ。
生まれ・環境・運など、当人ではどうにもならん。
空海大先生曰く
「なにが理由かわからんが無明で生まれてきて、訳もなく死という殺人鬼に殺される」
と言っている。
状況が変われば、成功していた要素の「縁」や「運」も変り、その成功を支える一つの「努力」も変る。
でもそんなの「考えないで、努力しろ」ってのが、自己責任論・自助思想。
当然、状況が変化すると、破綻する。
さらに、その運や縁の変化すら「自己責任」と押し付け「公助・共助」に掛けない。
となると、個々人のアトム化・社会の弱肉強食化が、潜行するのは、必然なのだよね。
アトム化し弱肉強食化した社会は、機能を失い、まあそのままそこの人間が家畜化か死滅するしか、無い。
ちょうど、今の日本人が、家畜化してワクチン打って死に捲っているのは、この様相の一面なのである。
自助・自己責任が、倫理の筆頭・重要位置に来ると、当然に、変化にも弱くなる。
仮に変化に気が付いた人は、気が付かないかった人を、踏み台か食い物にするようになるし。
また稀に善意で「変化が来ている・変化している」と訴えても、そもそも「自己責任・自助」で他者不信になっているのもあるし、そもそも「変化に対応する」ための試行錯誤も、自己責任・自助での「弱肉強食」で、さっそく強者の食い物とのしてのターゲットになる。
自己責任・自助・報徳思想は、「社会が安定して、動かない」って江戸時代の珍しい状況では、尊いものだったかもしれない。
だが、そんな江戸のような「安定して変わらん」社会の方が稀なのである。
その上に、「敬神・誠実」とはいえども、もともと「弱い奴は自己責任~弱肉強食」なので、そんなものは、容易に意味がなくなるのだ。
明治以降、全国に「報徳思想・自己責任論」が、日本全土で伝播したが、それがあったから、国際情勢・経済や社会の変化に、日本人は適応する力を失っていったと考えていい。
なんせ「毎日が殺し合い・奪い合い」が、自己責任論・自助思想の行き付く先だからね。
まあ、だから天皇とその閨閥が、安心して、日本人を殺し続けれるのだ。
「自己責任」と、自分の力以上の変化・不遇を甘受させて、日本人同士のつぶし合い・殺し合い・自殺を、眺めているだけでいいのだからね。
自力だけでは、どうにもならん。
孫子に言う「道・天・地・将・法」
自力でできるのは、将と法だけ。
あとは利用するか、避けるかしかなく「百戦危からず」とは、自力では如何ともできない状況もあることを示唆しているのである。
でも、それすら「自己責任論・報徳思想」には無い。
まさに、家畜脳の人間の生きる指針が「自己責任論」であるといいえる。
まあ、愚かな「自己責任論」者は、その愚かさの自己責任で死に絶える。
まさに、絵だよね。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す