左氏春秋のよさげな言葉を。
岩波文庫の「左氏春秋」のよさげな言葉とかあげる。
桓公 六年
「道ありとは、民に対して忠、神霊に対して信なるこど。上の者が民の利をはかるのが忠であり、祝・史{祭祀官}が祭文を正直につくるが、信であります。今、民は飢えているのに国君は勝手に{出兵を考え}、祝・史は嘘を並べ立てて祭ってます。これではとてもいけません」
「民は神の祀り手なので、聖王は先ず民を安定させてから、神を祀ることに努めました。」
桓公 十年
「この人はとめどがない。とめどがなくては、そのうち自分の命までほしがるだろう」
桓公 十一年
「卜は迷いをけっするためのもの。迷いもないのに卜う必要はありません」
荘公 八年
「国君の民の治め方が、放漫だから、乱がそのうちおこる」
荘公 十年
「何に依拠して戦われますか」
「暖衣飽食をひとり占めせず、いつも他人と共にしておる」
「そんな些末なお裾分けでは行きわたらず、民は従いかねます」
「神に捧げる犠牲や玉ハクに、余計なものは加えず、信をもってやっておる」
「そんな些末な信だけでは不十分で、神の福は期待できません」
「大小の訴え事には、たとえ真相は究め得ずとも、実情把握につとめておる」
「そういう忠{まごころ}がおありなら、一戦できましょう。その折にはお伴いたします」
荘公 十一年
「宋はきっと興起するだろう。禹と湯が自ら罪を責めたので、勃然と興起し、桀と紂が人に罪をなすりつけたので、忽然と亡んでいる。」
荘公 十四年
「人の嫌う{妖変}は、自分の気炎で燃え上がって生ずるもの。妖は人から生ずるのです。人に隙が無ければ、妖がひとりでにおこったりしません。人が常道を棄てると妖がおこる。それは妖しかありません」
荘公 二十年
「時ならぬ哀楽は、禍を招くもと」
「災禍を眼前にして憂いを忘れるようでは、必ず憂いが降りかかりましょう。」
荘公 二十七年
「いけません。カク公は驕慢ですから、何度か我に勝つうちに、きっと民を見棄てるでしょう。人望を失ってから攻撃すれば、我を迎え撃とうにも従う者がいません。礼・楽・慈・愛は戦うための資産です。民が譲りあい{礼}、和合を楽しみ{楽}、親族を愛し{慈}、死者を哀惜する{愛}になってこそ、戦いに動員できるのです。カクにはその資産がありません。度重なる戦いでダレかけています」
荘公 三十二年
「カクは必ず亡びます。民を虐げながら、一方で神をあてにしていては」
「カクはきっと亡びる。「国が興るときには民意に順い、亡びる時は神意をあてにする」と吾は聞いている。神は聡明正直で偽りなく、人の徳に応じて福を下される。かくも薄徳のカクが、田土を手に入れるはずがない」
閔公 二年
「徳もないのに福があるのは災禍だ。災禍が近くやってくる」
また、覚えていたら、載せますね。
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