有名ブロガーと黒田如水が指摘する「日本の破滅」


より

上記文抜粋
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日本人の「自死念慮」が日本を戦争へ導くか
「世に倦む日々」ブログ記事だが、まさに日本が今「戦争突入」の瀬戸際にあることを明確に説明している、論理的な文章である。そして、そのことに(私も含めて)日本人のほとんどはまったく切実感を持っていないというのが、まさに最大の問題なのである。
「岸田総理のNATO会議参加」ということを谷間の百合さんが非常に憂いていたが、この「世に倦む日々」ブログ記事を読むと、その懸念が実に的を射たものであることが分かる。
なぜ日本人が真面目に自国の戦争可能性を心配しないのか、ということは大衆心理学的に真剣に考察する意義があると思う。
要は、「毎日の生活と貧苦の疲れ」で、「すべてどうでもいい」という気持ちになっているのではないか。むしろ戦争で現在の社会のすべてが破壊されることすら期待する「自死念慮」さえあると私は見ている。現在の貧困は昭和前期の貧困と比べると大きな違いがあるが、「先行きに期待が持てない」という点は同じだろう。今の日本の先行きに、何の期待が持てるというのか。そして、そういう社会を作ってきたのは誰か。国民自身の責任だというのは簡単だが、それは「責任政党」つまり、長年日本をリードしてきた自公政権ではないか。

(以下引用)下手をしたら、日本の戦争と滅亡の前に書かれた最後の警世の文章として後世に残るかもしれない。それほど真剣で誠実で理性的な文章である。

NATOとの連携に絶対反対 - リトアニア有事で存立危機事態でロシアと戦争

先週、岸田文雄がG7とNATOの首脳会議に出席。出発前の会見で、「日本の総理大臣として、初めてNATO首脳会合に出席いたします。この機会を捉えてNATOとの連携を新たなステージに引き上げたいと思っています」と決意表明した。この問題について、国内では批判はおろか議論もほとんどない。国内マスコミは、この政府の新方針に対して賛成し支持する基調の報道ばかりで埋められていて、憲法上の問題を指摘する声もなければ、軍事的な危険と脅威を言う声もない。その現実が私にはどうにも理解できず、途方に暮れる。

NATOは集団的自衛権の軍事同盟である。その敵はロシアであり、今回明確に「最大かつ直接の脅威」と定義した。NATOの仲間に加わることは、NATOの新方針を日本も共有するということであり、ロシアを敵認定して軍事的に対峙するという意味である。欧州においてNATOとロシアの間で戦端が開かれれば、自衛隊もNATO陣営の一員として参戦し、極東ロシア軍に攻撃を加えるという意味だ。今回のNATO首脳会議の決定と空気からすれば、またリトアニア情勢の緊迫からすれば、いつNATO軍とロシア軍との間で戦闘が始まってもおかしくない。

NATOがロシアと戦争を始めれば、当然、NATO司令部(米軍)は自衛隊に極東地域での作戦行動を指示し、ロシアを東から挟撃する役割を自衛隊に受け持たせるだろう。欧州で戦争が始まったとき、NATOパートナーの日本が何もせずに局外中立で傍観できるわけがない。軍事行動を要請され、極東ロシア軍を相手に血を流さないといけない。NATO司令部は自衛隊の戦力と行動に大いに期待するだろうし、極東ロシア軍の地上部隊や艦隊を欧州方面に周回させぬよう釘付けし、できれば無力化する作戦と戦果を求め、自衛隊はその任務を請け負わされるだろう。

北方四島への上陸と占領、宗谷海峡の封鎖とサハリン露軍基地への攻撃、オホーツク海の制海権と制空権の奪取、日本海上の航空優勢確保とウラジオストクの海上封鎖、ペトロパブロフスク軍港の攻略と千島列島全域の制圧、等々が自衛隊の作戦目標として割り当てられ、陸海空の部隊が動員され、激しい戦闘が行われる展開が予想される。そのような動き(=ロシア極東への軍事侵略)に出たときは、当然、ロシア側から容赦ない反撃が放たれ、これら作戦活動を阻止するべく、中距離・短距離ミサイルの雨霰の応戦があるだろう。戦術核が使用されるかもしれない。

こうした推移と局面になったときは、第三次世界大戦であり、中国が座視して傍観の立場を堅持という進行はあり得ない。自衛隊のロシア極東への侵攻作戦も、当然ながら米軍が共同で支援するものであり、すなわち、この地域で日米と中露が大きな軍事衝突を起こし、第三次世界大戦の東アジア戦線を形作るところとなる。欧州戦線では、現在のウクライナ戦争を見ても、中国はロシアとウクライナとの間で中立の立場を決め込んでいて、干渉せずの態度で臨んでいる。だが、東アジアでは話は別で、日米が共同演習の挑発をやったときは、あるいは何か刺激したときは、必ず中露でタッグを組んで牽制のリターンをする対応を見せている。

日本周辺の地域では、限定的に、日米同盟に対抗しての中露の軍事協力関係が暗黙裡に結ばれているかの如くで、中露の間で米日が仕掛けてくる「有事」に対して本格的に迎撃する構えが整っている印象を受ける。欧州では「中露同盟」はないが、東アジアではそれがある。そうした重大な状況と前提をNATO司令部が考慮しているか甚だ疑問だが、日本の平和と安全などお構いなしに、NATOは欧州を守るため、日本自衛隊に極東ロシア軍への攻撃を命じ、ロシア軍に西と東の二つの戦線の負担をかける挟撃戦略に出るだろう。日本人の命などどうでもよく、欧州を守る捨て石にできれば上等という底意が透けて見える。

NATOとのパートナーシップ協力計画なるものは、2014年5月に策定され、2018年と2020年の二度にわたって改訂されている。安倍晋三が集団的自衛権の憲法解釈を変更したのが2014年7月だから、軌を一にした政策過程だったことが分かる。当時、集団的自衛権の解釈変更は重大問題として政局になり、マスコミでも反対論が上がったが、NATOとの連携は焦点にならなかった。文書で表に出ているものは、抽象的な文言が短く書かれている紙切れだ。軍事的な詳細は秘密にされ、防衛省とNATO司令部が何を計画し密約しているかは窺えない。日米同盟と違って、ガイドラインのような指針や要綱が公表されていない。

が、いずれにせよ、今回の岸田文雄のNATO首脳会議出席とコミットによって、年内に策定される安全保障3文書(戦略、大綱、中期防)の中に、対ロシア戦の柱がくっきり立ったことは間違いない。台湾と南西諸島で中国と全面戦争する、いわば南進論と、NATO司令部の要請で千島樺太・沿海州・カ半島に侵攻する北進論と、二本立ての軍事路線になった。奇しくも85年前と同様だが、北海道への兵力再配備と新基地建設が急務になり、青天井で膨らんで消化内容をどうしようかと佐藤正久が悩んでいた防衛予算の編成は、新しい使途の地平が見つかってホッと安堵なのかもしれない。

それにしても、7年前の安保法制の政局の夏を思い出して隔世の感を覚える。あのとき大きな議論となり争点となった一つは、ペルシャ湾での機雷掃海に海自艦隻が派遣される問題で、そんなことをしたら海自の隊員が戦争に巻き込まれて死ぬじゃないかという話だった。安倍晋三と中谷元はコロコロと舌を回して曖昧な答弁で逃げ、安保法制でそれが可能かどうかは不明なまま法案可決の強行劇となったが、今度の件はペルシャ湾での機雷掃海どころの話ではない。ロシアは目と鼻の先の隣国で、そこに強大な極東ロシア軍が控え、膨大な核ミサイルが格納・配備されている。ロシアは物理的に日本と最も近接した隣国だ。

日本の観光船が海の事故で沈んだら、遺体が流れ着いて連絡を取り合う関係の至近距離の国である。ロシア以外にそこまで近い国はない。そして、言うまでもなく核弾頭保有数で世界一の核大国だ。そのロシアと日本は戦争する関係に立とうとしている。仮にペルシャ湾で海自の隊員が運悪く犠牲になったとしても、イラン軍の攻撃で日本の一般市民が命を落とすという心配はない。だが、隣国のロシアに侵略攻撃して戦争状態になったら、北海道と東京がミサイル攻撃の標的にならない保証はないだろう。ロシア軍のミサイルは精密誘導機能が弱く、民間人施設に躊躇なく打ち込まれる。どれほどの脅威であり、国民の命が大量に失われる危機だろうか。

憲法9条は集団的自衛権の行使を認めていない。戦後一貫して、日本政府は解釈でその原則論を守ってきた。2014年に変更があり、ハーフスペックで一部容認したという理解になっている。だが、内閣官房のHPの記述では、安保法制での集団的自衛権行使は、「あくまでも国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限度の自衛の措置を認めるだけです。他国の防衛それ自体を目的とするものではありません」とある。欧州でNATOがロシアと戦争を始め、NATO司令部がロシアを東から挟撃する「第二戦線」を日本に求めた場合、果たしてこれは、いわゆる存立危機事態に該当するのだろうか。

欧州での戦いを想定すると、カリーニングラード情勢の沸騰からリトアニアが発火点になり、バルト海に延焼し、エストニアとラトビアとポーランド、そしてスウェーデンとフィンランド、さらにドイツが戦場圏域になると考えられる。はて、これらの国々がロシアと交戦状態に及んだとして、これはわが国の存立危機事態と定義できるのか。地球の裏側の戦争である。バルト3国やポーランドやフィンランドを助けるために、日本の自衛隊員がロシア極東に侵攻して血を流さなければならないのだろうか。北海道が戒厳令下に置かれるのだろうか。あり得ない話だと私は思うが、NATOの仲間に入るということは、実際にその選択と方向に出ることに他ならない。

国会でも、選挙討論でも、テレビの時事報道でも、こうした問題が全く議論されず検討されてない。岸田文雄が言う「NATOとの連携のステージ引き上げ」とは具体的にどういう中身なのか、欧州で実際にカリーニングラード有事が起きたとき、米軍(NATO司令部)は自衛隊に何を求めるのか、政府はどう対応するのか。現在のウクライナ戦争の情勢を考えれば、台湾有事よりもカリーニングラード有事が勃発する可能性が高いし、時間的にそちらの方が早い。バルト3国とポーランドは、ウクライナ軍が東部戦線で押し返され、膠着し、西欧諸国が「ウクライナ疲れ」している現状に焦燥している。このままだとプーチンに巻き返されると恐怖を覚えている。

彼らの本音の願望は、米軍部隊が正面に出てきてロシア軍を壊滅することで、米軍の武力でプーチン政権を打倒し、ロシア連邦を解体に追い込むことである。2008年のサーカシビリの論理と動機と同じだ。その目的を強引に達成するため、サーカシビリと同じく非常に危険な冒険的行動に出る。ロシアを挑発し、NATOエリアに手を出させようとする。米英や仏独伊の市民のウクライナへの関心が途切れないよう、危機を演出して無理に煽る動きをする。バルト3国の心理からすれば、ここまで来たらもう後戻りはできず、プーチン打倒とロシア解体まで行き着くしかないのだ。中途半端に米露で手打ちなどされたら、彼らの立場がなくなり、国際政治に復活したプーチンにどんな仕置きをされるか分からないのである。

それがロシアと国境を接するNATO加盟小国の論理である。第三次世界大戦や核戦争に対する西側市民一般の危機感のレベルよりも、仇怨と憎悪が煮えたぎる反ロシア感情の方が強く、300年来の千載一遇の民族的歴史的好機を目の前にしての、ロシア殲滅の欲望と衝動の方が優越するのだ。そしてそれは、アメリカの軍産複合体が望むところであり、世界覇権維持に固執する佞悪なイデオロギーが歓迎するところでもある。NATOとの連携に断固反対する。

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抜粋終わり

要は、
「毎日の生活と貧苦の疲れ」で、「すべてどうでもいい」という気持ちになっているのではないか。むしろ戦争で現在の社会のすべてが破壊されることすら期待する「自死念慮」さえあると私は見ている。
現在の貧困は昭和前期の貧困と比べると大きな違いがあるが、「先行きに期待が持てない」という点は同じだろう。今の日本の先行きに、何の期待が持てるというのか。そして、そういう社会を作ってきたのは誰か。
国民自身の責任だというのは簡単だが、それは「責任政党」つまり、長年日本をリードしてきた自公政権ではないか。

私も、同感に思う。

過労死自殺・いじめ自殺・体罰死・・・怒りを自分に向けているとみると・・

自殺は、殺人とおなじくらいの怒りの分量が必要と、心理学でいわれている。

それが「自分」に向かう間は、為政者・天皇は、まだ安泰である。

でもそれが、正当に、為政者・天皇に向かうと・・・天皇国家は、イチコロである。

黒田如水が、その辺を、すでに指摘している。

上記文抜粋
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「戦国の世には、無理に討死した家臣を数えあげ、これを忠誠のあらわれと思い、ひとり満足している大名があるが、これなども笑うべき愚人だ。

無理に討死する者は、主君にたいして絶望の感をいだいている者だ。

だから。世にながらえて益なし、しかし脱奔すれば、親類・縁者にめいわくがかかる。

いっそ主君と刺し違えて死のうかと思うが、逆賊の汚名は免れないし、妻子一類にも危害がおよぶ。そこで戦にかこつけて、体のいい自殺を行うのだ。

つまり、この心得の者は、いつでも主君を一刀のもとに討ち果たし、腹をかき切って死にたいと思っている者なので、さてもさても、恐ろしい敵を養っているのと同じことなのだ」

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抜粋終わり

無理に討死する者は、主君にたいして絶望の感をいだいている者だ。

つまり、この心得の者は、いつでも主君を一刀のもとに討ち果たし、腹をかき切って死にたいと思っている者なので、さてもさても、恐ろしい敵を養っているのと同じことなのだ

今でも、過労死やいじめ死寸前の人が、腐るほど居る。

それが正当な「敵」たる、天皇国家に向かうか、自滅するか・・

になるのは、必然のことと思う。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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